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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第五章 知らない道の向こう

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第136話 十人の足音


 朝食のパンを食べ終わったところで、荷袋の口をもう一度引いた。


 するりと革紐が動き、きちんと閉まる。


「今日は大丈夫そうですね」


 向かいのエルザが笑った。


「昨日、ヴェラさんに直していただきましたから」


「ヴェラさんに感謝しましょう」


 昨日から言われっぱなしだ。不器用なのは仕方ないじゃないか。


「……開け閉めの練習は、俺がしました」


 無理やり反論をしてみたが、内容が非常に情けなかった。


「それはえらいですね」


 軽く流された。


 ヴェラは杯を置くと、足元へ伸ばしていた右脚を軽く曲げた。脚具の革帯を指で確かめ、椅子から立ち上がる。


「私も準備できています。昨日のうちに、締めるところは見直しておきました」


「今日は歩く人数が多いですからね」


 俺が言うと、ヴェラは頷いた。


「はい。ほかの盾役の方が、どんな動きをされるのか楽しみです」


 楽しみなことがあるのは俺も同じだった。昨日のラウルの話を思い出すと、知らない道を見に行く時とはまた違った気分になる。今まで一緒に歩いたことのない人たちが、どんなふうに動くのか。


 エルザが手帳を鞄へ入れた。直してもらった表紙の角は、今朝もきれいに揃っている。


「ノワールさん。ちゃんと水は入れました?」


「入れましたよ」


「食べるものは?」


「入れてますよ。……子ども扱いしてません?」


「どうでしょう?」


 リンがエルザの髪際で、ちりん、と鳴いた。


◆


 〈灰石の口〉の入口には、すでに大勢が集まっていた。


 昨日のラウルに加え、見覚えのない冒険者が四人。少し離れたところには、フィロスとミレイが並んでいる。俺たち三人を合わせると、十人になる。


 以前フィロスと一緒にいた、大柄な男性と、もう一人の若い男の姿はなかった。


「おはよう。時間どおりだな」


 ラウルが手を上げる。


「おはようございます」


 ミレイもこちらに気づき、軽く頭を下げた。


「おはようございます。皆さん、お揃いですね」


「そういえば、いつものお二人はいないんですね」


「ガレンとトビアスですね。二人は別の依頼に出ています。今日はフィロス様と私だけなんです」


「そうだったんですね」


「何だ、石ころ。俺とミレイだけでは不満か?」


 フィロスがこちらを見た。


「いえ。フィロスさんがいれば大丈夫でしょう」


「当然だ」


 ミレイが少し笑った。


「では、先に入口の登録を済ませよう」


 ラウルが声を掛け、俺たちはガイルのところへ向かった。


 ガイルの前には木札が並んでいた。俺たちはいつものように一枚ずつ受け取るが、今日は後ろにまだ人がいる。


「今日はまた、大所帯だな」


「第一層の分岐を見てくる。昼を過ぎたら戻るつもりだ」


 ラウルが人数と行き先を伝える。ガイルは帳面へ印をつけてから、俺の顔を見た。


「お前らも一緒か」


「ええ。今日は俺たちの方が、少しだけ道に詳しいんです」


「そうかい。じゃあ、ちゃんと教えてやれよ」


「責任重大ですから頑張ります」


 ガイルは次の木札に手を伸ばした。


 入口の脇へ移ると、ラウルが俺たちを招いた。横には丸盾を持つ女性が立っている。盾はヴェラのものより少し大きく、縁の金具には細かな傷がついていた。


「狭いところまでは、俺と〈コンパス〉が前に出る。後ろは少し間を空けて続いてくれ。通路が広がったら、そこで一度揃える」


 ラウルはフィロスへ顔を向けた。


「フィロス、後方の警戒は任せた。前はこっちで見る」


「ふん。言われるまでもない」


「私は後ろで盾を出せるようにしておくわ」


 隣の女性が丸盾を軽く持ち上げた。


 ヴェラの視線が自然とその丸盾へ向かった。向こうも気づいたらしく、腕を一度通し直してみせる。


「その盾、軽そうでいいね」


「はい。右へ動く時に使いやすいようにしています」


「なるほど。あとで少し見せてよ」


「ええ、ぜひ」


 ヴェラの声が明るい。俺が口を挟む前に、盾の話が始まりそうだった。


「二人とも、続きは帰ってからにしてくれ」


 ラウルが笑う。


「そうですね。行きましょう」


 フィロスはその後ろで腕を組んでいた。


「第一層の探索に十人とは、大げさなものだ」


 ラウルが表情を引き締める。


「ダンジョンが変化して新しく出来た道だ、階層に関係なく未踏地帯には最大の警戒をすべきだ」


「分かっている」


 ミレイは後ろの仲間と何か話していた。俺が石段へ向かうと、目が合った。


「よろしくお願いしますね」


「こちらこそ」


 フィロスは後ろの一団へ歩いていき、ミレイもその後に続いた。


◆


 地下へ下りると、足音が増えた。


 自分たち三人だけの時は、靴が砂を擦る音も、剣の鞘が揺れる音も聞き慣れている。今日は少し後ろから別の足音が重なり、誰かの金具が鳴るたび、つい振り向きたくなった。


「何というか、にぎやかですね」


 エルザが小声で言う。


「はい。いつもと同じくらい静かには歩けませんね」


 ヴェラが答えると、前のラウルが振り返った。


「何か気になるか?」


「いえ。人が多いと、音の聞こえ方が変わるなと思って」


「そうだな。止まる時は後ろにも声を掛ける。前だけ止めても、人は止まらないからな」


 言い終える前に、ラウルは後方へ向けて片手を上げた。少し離れたところから、同じ合図が返ってくる。


 第三道標を過ぎ、最初の分岐が見えてきた。


 いつもなら壁の白墨印を確かめて左へ入るだけだ。今日はラウルが足を止め、全員が揃うのを待つ。右壁の張り出しの方へ視線が向きかけたが、そこには前に見た時と変わらない岩の影があるだけだった。


「左でいいんだな?」


「はい。二本目の分岐までは、こちらです」


 俺が答えると、エルザが手帳の線を指した。


「この先、少し坂になります。壁が湿っているところもありますから」


「分かった。先頭はそのまま。後ろへも伝えてくれ」


 ラウルが短く声を掛けると、少し遅れて後ろから返事があった。


 坂を下り、二本目の分岐へ向かう。壁の湿りが強くなる辺りでラウルが一度立ち止まり、奥の灯りを確かめた。後ろの組も、少し間を残したまま止まる。十人もいるのに、通路で肩がぶつかるようなことはなかった。


「正面は前に入った方か?」


「ええ。水の溝があって、その先は右へ曲がっています。今日は左側ですよね」


「そうだ。左の先を見たい」


 フィロスの方から、何か短い返事が飛んできた。言葉までは聞き取れない。


◆


 左へ曲がると、靴底の下で砂が鳴り始めた。


「この先、平たい石があります」


 ヴェラが先へ目を向けたまま告げる。


「動くかどうかは分かっていません。私たちは左の固い床を通っていました」


「見えてきた。あれだな」


 エルザが松明を寄せると、砂の間から石の縁が斜めに覗いていた。


「一人ずつ通ろう。後ろはそのまま待ってくれ」


 ラウルが後ろへ声を掛け、返事が届くのを確かめた。


 俺たちは慣れた場所なので、いつもの足の置き方で石を避ける。ラウルも続き、平たい石の向こうで立ち止まった。


「次、どうぞ」


 俺が後ろへ声を掛けると、一人目が固い床へ足を置いた。向こう側へ渡りきるのを待ち、次の人が同じ場所を通ってくる。


 最後の方にいたフィロスが、こちらを見た。


「石ころ。お前が先に転んで見せれば、もっと分かりやすかっただろうに」


「良い案ですね。次はフィロスさんにお願いしても?」


「......」


 睨まれた。軽口勝負なら負けない。ラウルから変な声が漏れた。


 その先の広い空間へ出ると、ラウルは全員を集めた。何人もの松明が壁を照らし、前に来た時には暗かった岩の上の方まで見える。


「ずいぶん明るいですね」


「見えていなかった傷まで見えますね」


 エルザはそう言って、壁の剥がれた部分へ目を向けた。明るくなった分、重なった影も増えている。少し横へ動くと、さっき見えた凹凸の輪郭があっさり消えた。


「灯りが多ければ全部見えるわけでもないですね」


 ラウルがこちらへ顔を向ける。


「何か見つけたか?」


「いえ。灯りの影が重なって、奥の壁が見にくくなるところがあるなと」


「なるほど。後ろの灯りは一つ下げよう。前はそのままでいい」


 言われた仲間が松明を下げると、さっきより足元の影が薄くなった。エルザが灯りを少し動かして確かめてから、手帳へ目を落とす。


「これなら見えます」


 広い空間の奥へ、また道が続いている。ここから先は、三人だけで前回来た時に少し歩いた場所だ。


「ここからは、俺たちが先に行った方が良いですか?」


「そうだな。ヴェラ、前を頼めるか。俺は君たちの後ろにつく」


「はい」


 ヴェラが丸盾を持ち直す。俺とエルザもすぐ後ろへ続いた。


 岩壁が腰の高さで張り出す場所へ近づいたところで、ヴェラが歩調を落とす。


「ここです。盾を横に開くと、壁へ当たります」


「見れば分かるが、向こうからも同じ幅なのか?」


「はい。抜けるまで狭かったです」


「なら、後ろの盾は広い場所で待機。先に通す人数を減らそう」


「後ろは広場で待機! ここから前は四人で行く!」


 ラウルが声を張ると、少し間を置いて返事が届いた。


「了解。広場で待つ!」


 ヴェラが盾を身体へ寄せ、一歩ずつ進む。そのあとを俺が通り、エルザは松明を少し下げて岩の下側を照らした。


 振り返ると、後ろの六人が広い空間で待っている。松明がいくつか揺れていた。さっきまで重なっていた足音は遠ざかり、近くにはヴェラと俺たち、それにラウルのものだけが聞こえた。


 張り出しを越え、床の右寄りの窪みに差しかかる。


「右が下がっています。左側を使います」


 ヴェラの声に従って歩き、俺も同じ場所へ足を置いた。エルザは窪みの縁へ松明を向けながら続く。その光で足元を確かめ、ラウルも窪みを避けて通ってきた。


「思ったより、横へ広がれないな」


「はい。ですから、前は三人で来ても盾の向きを変えるのに苦労しました」


「分かった。ここで無理に並ばない方がいい」


 ラウルは身体を少し後ろへ向け、声を張った。


「前は曲がり角まで確認する。後ろはそのまま待機!」


 すぐには返事がなかったが、少し遅れて声が届いた。


「待機している!」


 声を張っても、岩が間に入るとずいぶん遠く聞こえる。


 俺たちは緩やかな曲がり角の手前まで来た。前回、引き返した場所だ。


「ここから先は、まだ入ってません」


 俺が言うと、ラウルが頷いた。


「そうか。後ろは待機のままだ。まずは角の手前から様子を見よう」


 ヴェラが立ち位置を変えようとした、その時だった。


 曲がり角の向こうに、何かいる。


 仲間たちとは別の反復が伝わってくる。大まかな位置はつかめるが、壁の向こうでどう動いているのかまでは分からない。


「待ってください」


 ヴェラの肩越しに声を掛けた。


「曲がり角の先に、生き物がいます」


「見えたのか?」


「いえ、姿は見えません。でも、いるのは分かります。これまで同じ感覚があった時は、必ず生き物がいました。魔物を先に見つけたことも何度かあります」


 ラウルは俺の後ろにいるエルザへ目を向けた。エルザが頷く。


「ヴェラも、同じことを確認しているか?」


「はい。何度も助けられています」


「そうか。フィロスと似た感覚かもしれんな」


 ノアも同じようなことを言っていた。


「数はどうだ?」


 もう一度、曲がり角の向こうへ意識を向ける。ひとつに重なっているようにも、近くに別のものがいるようにも感じた。


「そこまでは分かりません。一体とは限らないです」


「分かった。複数いるつもりで動こう。前へは出るな」


 ラウルはすぐに後ろへ向き直った。


「前方に未確認の生き物。広い場所まで戻す。後ろの組、場所を空けてくれ!」


「了解! 広場を空ける!」


 少し遅れて返事が届く。後ろの灯りが、左右へ動き始めた。


「ヴェラ、後ろへ戻れるか」


「はい。ただ、ここで振り返ると盾が壁へ当たります。下がりながら戻ります」


「それでいい。ノワールも、前を見たまま下がってくれ」


「分かりました」


 足を一つ引く。


 岩の向こうから、かり、と乾いた音がした。


 続けて、もう一度。


 ヴェラが盾を身体の前へ戻そうとする。俺も剣の柄へ手を掛けた。


 曲がり角の下に、灰色の前脚が現れた。


「マッドクローです!」


 エルザの声が響く。


 低い位置から、一体の頭が覗く。続けて、その頭より上の岩の出っ張りに、別の灰色の前脚が掛かった。もう一つの顔が、松明の光の中へ出てくる。


 ラウルが槍を下ろした。


「二体いる! 前は下がれ。後ろの盾、広場で受ける準備を!」


「分かった! こっちは空けてある!」


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