第129話 振ったあと
朝食を終えたところで、椅子の脇に置いた鞄を持ち上げた。
「今日は稽古ですか?」
エルザが聞いてくる。隣ではヴェラがパンの最後のひとかけを口へ運んでいた。
「ええ。昨日のうちに、少し聞いておきたいことができまして」
「剣の戻りですか?」
「よく分かりましたね」
「昨日、ノワールさんが自分でおっしゃっていましたから」
「……そうでした」
隠しているつもりはなかったが、先に言われると少し気恥ずかしい。
「私たちはギルドへ寄ってみます。今日受けられそうな依頼があるか、見ておきたいので」
ヴェラがそう言って、杯を置いた。
「分かりました。昼には戻ります」
「ノワール様、腕はもう大丈夫ですか?」
「昨日も普通に振れていましたよ。思っていたより速く振れてしまったのが問題で」
「それは、あまり大丈夫とは聞こえませんね」
返す言葉に困っていると、エルザが小さく笑った。
「怪我をしていないのは分かっていますよ。行ってらっしゃい」
リンが髪際で、ちりん、と鳴いた。
「行ってきます」
鞄を肩へ掛け、〈鈍色亭〉を出た。
◆
稽古場の板垣をくぐると、ドランは庇の下で木剣の柄を確かめていた。
いつもの平らな石へ銅貨を三枚置く。
「おはようございます」
「おう。今日は何だ」
「稽古に来ました」
「見りゃ分かる」
「昨日、ダンジョンで魔物と戦ったんですけど、その時のことで相談したくて」
ドランは柄から手を離した。
「怪我は」
「三人ともありません」
「なら話せ」
昨日のマッドクローとの戦いを、順を追って説明した。
ヴェラが盾で攻撃を右へ流したこと。俺が身体強化を使って左から入ったこと。剣が思ったより早く届いたのに、足と腰が遅れたこと。
「肩を斬ったんですが、浅かったです。そこから剣を戻すのにも手間取って、次の攻撃はヴェラさんに受けてもらいました」
「お前は」
「濡れた場所へ追いかけないように、一度足を止めました」
「そうか」
それだけ言って、ドランが一本の木剣を寄越した。
「やってみろ」
「昨日と同じようにですか?」
「できるところまででいい」
鞄を置き、木剣を受け取る。
ドランが正面へ立ち、自分の木剣を斜めに構えた。剣先は俺の左肩より少し高いところにある。
「そこへ当てろ。まず強化なしだ」
「はい」
一歩入って、木剣を振る。
かつん、と軽い音がした。相手の剣へ当たり、引いて構え直す。
「もう一回」
二度目も当たった。
三度目に入ろうとすると、ドランの木剣がすっと後ろへ退いた。
空いたところを追って腕を伸ばす。
木剣は届かない。
そのまま半歩前へ出たところで、ドランの剣先が俺の胸元へ来ていた。
「止まれ」
慌てて足を止める。
「今、何で出た」
「当てようとしたので」
「逃げたら追うのか」
「場合によりますね」
「今の場合は?」
「……追わない方が良かったです」
「なら、もう一回だ」
同じ位置へ戻る。
次はドランの木剣が動いたところで踏み込みを止めた。だが、腕はもう振り始めていた。剣先が空を切り、右肩が少し前へ出る。
すぐに引こうとしたが、その分だけ遅れた。
「ほら、そこだ」
ドランの木剣が俺の肩に軽く当たる。
「昨日も、こんな感じでした」
「だろうな。強化しろ」
全身へ魔力を流す。
木剣を持ち上げる腕が軽くなった。
「今度は速く振るなよ」
「分かっています」
「どうだかな」
ドランが木剣を元の位置へ戻す。
一歩入る。いつもと同じくらいの速さで振ったつもりだった。
かつん。
今度は少し強く当たった。握った手へ振動が返ってくる。引こうとした時には、剣先が思っていた位置より下へ落ちていた。
「もう一回」
二度目は弱く振る。
それでも、木剣が先に出た。
「腕だけ加減してどうする」
「足まで気を付けると、今度は何もできなくなるんですよね」
「知ってる」
「ご存じなら、もう少し教えてもらえませんか」
「教えてるだろ」
それはそうなのだが。
ドランの剣先が、俺の足元を指した。
「今のまま本気で踏み込んでたら、お前、もう二歩先にいるぞ」
確かに、そうかもしれない。
足を置き直すと、ドランが木剣を少し低くした。
「当てに来い」
今度は胸の辺りだ。
踏み込んで、剣を振る。
ドランの剣が横へ動いた。
追うな。
そう考えた途端、足だけ止まった。木剣はそのまま流れ、腰が後から引っ張られる。
横から肩を小突かれた。
「考えたな」
「はい」
「さっきよりひでえ」
「俺もそう思います」
どうも、昨日の失敗を思い出すほど身体がぎこちなくなる。
ドランは木剣を下ろして、俺の前へ足を出した。
「一度、強化を切れ」
「はい」
魔力を流すのをやめる。剣の重さが、少し手へ戻ってきた。
「俺を見てろ」
ドランが一歩踏み込み、木剣を振る。
俺の手前で剣先が向きを変え、そのまま手元へ戻っていった。身を引こうとした時には、もう構え直している。
「今の、どこで止めたんですか?」
「止めてねえ。届かねえから戻した」
「……それを聞きたいんですけど」
「だったら、届かねえ時に前へ伸びるな」
ドランは俺の右手を指した。
「当たらなかったら、お前の剣はなくなるのか」
「なくなりません」
「前にも言ったな」
「覚えていますよ」
「できてねえだけか」
「……その通りです」
「お前は、覚えだけは及第点なんだよな」
否定する材料はなかった。
もう一度、正面へ立つ。
ドランが木剣を構えた。
「まず強化なしでやれ」
踏み込む。
剣を振る。
相手の木剣が横へ退く。
今度は追わず、腕を引きながら後ろの足へ重さを戻した。
ドランの剣先が肩の前を通った。
当たらなかった。
「もう一回」
二度目は剣を戻す方へ急ぎすぎて、そもそも届かなかった。
三度目は手元が下がった。
四度目で、ようやく最初と似た形になった。
「……今のは、どうでしょう」
「お前はどうだ」
「さっきほど前へ残りませんでした。ただ、当てたかった場所には届いてません」
「両方やれ」
「簡単に言いますね」
「簡単なら金取らん」
石の上の銅貨を思い出し、黙って木剣を構え直した。
◆
何度か休みを挟んでから、身体強化をもう一度使った。
速さを抑えようとすると剣が届かず、当てようとすれば剣先が先へ出る。上手くいったと思った次の一回で、足が余計に踏み出すこともあった。
それでも、午前の終わり頃には、ドランが木剣を退いた時に慌てて追わずに済むことが少し増えていた。
「終わりだ」
ドランが庇へ戻る。
俺も身体強化を解いて、木剣を下ろした。
「また来ていいですか?」
「好きにしろ」
「今日の続きを、もう少しやっておきたくて」
「なら、ちゃんと飯食って寝ろ」
「そこは得意です」
ドランがこちらを振り返った。
「……稽古よりか」
「どちらが得意だと思いますか?」
鼻を鳴らす音が返ってきた。
木剣を片づけ、鞄を持つ。石の上の銅貨は、もうなくなっていた。
◆
冒険者ギルドへ寄ると、エルザとヴェラが依頼板から少し離れたところで話していた。
エルザの手には依頼札が二枚。ヴェラはそのうち一枚の裏を覗き込んでいる。リンはエルザの肩にいて、俺が近づくとふわりと浮かんだ。
「お疲れさまです」
「お疲れさまです。稽古はどうでしたか?」
「昨日と同じ失敗を、何度か再現してきました」
「……そうですか」
ヴェラが困ったように首を傾げた。
「でも、少しは良くなったと思います。たぶん」
「たぶん、ですか?」
「一度うまくいっても、次もできるとは限りませんからね」
エルザが一度頷いてから、手にした依頼札を持ち直した。
「こちらは町の中の荷運びで、もう一枚は街道脇の通行確認です。どちらも、今日すぐ出る必要はないそうです」
「荷運びですか」
思わず札を見た。
「ノワールさん、倉庫の仕事とは違いますよ」
「分かってます。ちょっと思い出しただけです」
ヴェラがもう一枚の札をこちらへ向けた。
「私は、こちらも気になっています。前に通った場所ですし、今の私たちなら受けられると思います」
「街道ですね。そういう仕事も、しばらくやっていませんでした」
「はい。ですから、ノワール様の稽古が終わってから相談しようと思っていました」
依頼札を受け取る。
紙の端が少し折れていた。何度か持ち直して読んだのだろう。
「じゃあ、昼ご飯を食べながら決めませんか。お腹が空いてしまって」
「それには賛成です」
エルザが札を受付へ戻しに行く。ヴェラは俺の腰の剣に目をやった。
「今日は剣が重そうですね」
「わかりますか? 朝はあんなに軽かったんですが」
鞄を持ち直すと、リンがちりんと鳴いてエルザの方へ戻っていった。
少し離れたところで、エルザが受付の人へ何かを確かめている。
俺とヴェラはその場で待った。
「ノワール様」
「はい?」
「昨日は、下がってくださって良かったです」
思いがけない言葉だった。
「剣を戻すのが遅れましたけどね」
「それでも、私が盾を入れる場所がありましたから」
「……そうですね」
上手く出来たこともあったようだ。
ヴェラが頷き、受付から戻ってくるエルザへ目を向けた。
俺もそちらを見る。
「お待たせしました。近くの食堂なら、まだ席が空いていると思いますよ」
「それは助かります」
三人でギルドを出た。昼の通りには、屋台から焼いた肉の匂いが流れてきていた。
朝から動いたせいか、いつもより腹が減っている。まずは何を食べようか。




