第126話 通ってきた道
翌朝、冒険者ギルドの依頼板には、昨日より少し札が増えていた。
町の外れへの荷運びに、倉庫の整理、第一層の資材回収。受けられそうなものはあるが、急いで選びたいほどの仕事は見当たらない。エルザが下の段まで見終えたところで、俺たちはいったん札から離れた。
「今日は、急いで決めなくても良さそうですね」
「昨日の報酬も入りましたからね」
「では、先に昨日の地図のことを聞いてみますか?」
ヴェラが受付へ目を向ける。地図係と一緒に測った分岐は、帰ってきた時点ではまだ正式な地図に載っていなかった。
「もう何か変わってますかね」
「正式に反映するのは、これからだそうですけど」
「聞くだけなら、ただですから」
エルザがこちらを見た。
「それ、昨日も言っていましたね」
覚えられていた。歳をとると口癖が増えてしまう。
受付へ並ぶと、前の客がミラと話しているところだった。使い込まれた外套に、腰の小さな筒。蓋の縁には白い粉がついている。
「二層の印の件、頼むな。次に通る時には場所を取り違えたくない」
「はい、ダリオさん。報告は受け付けています。ただ、補修の時期まではお約束できませんので」
「分かってる。こっちも気づいた時に伝えてるだけだ」
男は筒を腰へ押し戻し、俺たちに場所を譲った。受付の脇で誰かを待つように立ったまま、鞄の紐を掛け直している。
「おはようございます」
「おはようございます。今日は依頼ですか?」
「まだ選んでいるところです。昨日の地図は、その後どうなりました?」
ミラが受付の内側から記録紙を一枚取り出した。
「地図係から測量結果は届いています。分岐の位置と入口の向きは、皆さんの報告ともおおむね一致していました。正式な地図の更新は、引き続き確認中です」
「まだ古い地図のままなんですね」
「はい。ただ、分岐があること自体は注意情報として共有しています」
「それなら良かったです」
すぐ横から声がした。
「昨日、地図係を案内したのはお前らか?」
さっきの男だ。こちらの話が聞こえたらしい。
「はい。そうですけど」
「第一分岐の左側だろ。最近、報告が増えてるところだな」
「ご存じなんですか?」
「前には通ったことがある。新しい分岐はまだ見てないけどな」
ミラが記録紙を置いた。
「ダリオさん、こちらは〈コンパス〉の皆さんです。ここしばらく、第一層の確認に何度も入っていただいています」
「ああ。報告で名前を見たことがある」
「ノワールです。こちらはエルザさんとヴェラさんです」
順に挨拶すると、ダリオも名乗った。
「銀級のダリオだ。普段は三層から五層にいることが多い」
その時、後ろに次の客が並んだ。俺たちは受付を空け、少し離れた壁際へ移動する。ダリオもついてきたので、話の続きになった。エルザの髪際で揺れるリンに一度目を向けたが、特に何も聞かない。
「第三層から第五層ですか。そこまで行くだけでも時間が掛かりそうですね」
「掛かるぞ。三層に着いて、ようやく仕事が始まる日もあるくらいだ」
そう言いながら、ダリオは腰の筒を指で叩いた。中で白墨がこつ、と鳴る。
「途中で印が薄くなってたり、道が崩れてたりしたら、そっちも見なきゃならん。さっき報告してたのも、そのためだ」
「白墨の補修って、石級向けの札で見ることが多いですよね」
「そうだな。俺も石級の頃は、よくやったよ。通路を確認したり、資材を運んだりな」
「ダリオさんもですか?」
「最初から銀級だったわけじゃないからな」
「……当たり前でしたね」
エルザが小さく笑い、ダリオも口元を緩めた。
「前に、通路補修の資材箱を何箱も運ぶ仕事があってな。帰る頃には腕が上がらなくなった。魔物には会わなかったのに、翌日は剣を振るのが面倒だったよ」
「何だか、聞き覚えがありますね」
エルザが俺を見る。
「俺のことですか?」
「荷物を運んで疲れたことはありましたね」
「あれは身体強化を使いすぎたんです」
「余計にまずいじゃねえか」
初対面のダリオにまで言われてしまった。
「……反省しています」
横でヴェラが口元へ手を当てている。笑うなら普通に笑ってもらって構わないんですけどね。
依頼札を何枚か抱えた冒険者が、すぐそばを通り過ぎた。ダリオはその人を避けて半歩壁へ寄ると、白墨の筒をもう一度押さえた。
「でも、銀級になっても持って歩くんですね、それ」
「使うからな」
「三層や四層へ行く時もですか?」
「当たり前だろ。三層へ行くにも、一層と二層を通るんだからな」
ダリオが筒の蓋を少し開ける。中には短くなった白墨が二本入っていた。
「帰りなんかは特に助かる。行きに覚えたつもりの角も、荷を背負って疲れた頃には似たような壁に見えるからな」
「でも、印があるから安全、というわけでもありませんよね」
エルザが言う。
「もちろん。印があったら足元を見なくていい、なんて話じゃない。ただ、目印が残ってると違うだろ」
「はい。それは、俺たちも何度か助けられました」
「だろうな。毎回、入口から先の道を全部調べ直してたら、奥へ着く前に疲れちまう」
「昨日の測量も、役に立つといいですね」
「役に立つさ。すぐに地図が直らなくても、分岐があるって分かれば注意できる」
「ダリオさんも、奥で気づいたことは報告されるんですか?」
ヴェラが尋ねた。
「そりゃする。さっきの二層の印もそうだ。あそこは俺たちが何度も通る場所だからな」
「地図そのものを直すことも?」
「いや、そこは専門の奴に任せるよ。俺が分かるのは、通れたか、何が変わってたかってところまでだ」
エルザが頷く。昨日の地図係も、曲がった先を見ないまま線を伸ばすことはしなかった。
「そういえば、その新しい分岐は、どっちが古い道なのか分かったのか?」
「まだです」
エルザが答える。
「左は少し入って広い場所まで確認しましたが、正面はまだ歩いていません。古い地図の一本道がどちらにつながるのかも不明です」
「だったら、分からないって残しておいてくれ。一本道だと思って来る奴がいたら困る」
「はい。昨日の地図係の方にも伝えています」
「それならいい」
受付の奥から「ダリオさん」と声が掛かった。振り向くと、職員が布で包んだ荷物を窓口へ置いている。先ほどから待っていたのは、あれだったらしい。
「おっと、呼ばれたな」
ダリオは筒の蓋を締め直し、腰へ戻した。
「じゃあな。また会うこともあるだろ」
「ありがとうございました。勉強になりました」
「何も教えてねえよ。昔やった仕事の話だ」
軽く手を上げて、奥の窓口へ歩いていった。
俺たちも依頼板へ戻る。先ほどより人が減り、下の段まで見やすくなっていた。
「銀級の方も、使いかけの白墨を持っているんですね」
ヴェラが言う。
「自分でも補修することがあるんでしょうね」
エルザはそう答え、札を一枚ずつ見ていく。
「……腕が上がらなくなるほどの荷物は、今日は遠慮したいですね」
「ノワール様、身体強化を使わなければ大丈夫なのでは?」
「普通に重いものは重いんですよ、ヴェラさん」
「それはそうですね」
即座に納得された。最初から分かっていたのでは。
「こちらなら、三人で受けられそうですよ」
エルザが示したのは、町の倉庫で通路補修用の資材を整理する仕事だった。箱の仕分けと棚への移動、積み下ろしの手伝いも含まれている。
「……また資材ですか」
「倉庫の中の整理ですね。三人で受けられるみたいです」
札の最後まで目を通す。重い荷物は複数人で運ぶこと、と書かれていた。
「まあ、町の中で済む仕事ですね」
「そうですね。危険な道を歩く必要もありませんし」
ヴェラが札を覗き込んだ。
「重い荷物は、三人で運びましょう」
「はい。そうしましょう」
エルザが札を外す。俺たちはそれを持って、受付の列へ向かった。




