第125話 地図に書く仕事
翌朝、冒険者ギルドの依頼板に見覚えのある文字が並んでいた。
〈灰石の口〉、第一層、第三道標より先。
「……これ、俺たちが行ったところですよね」
札を読んでいると、隣のエルザが頷いた。
「第一分岐の左側ですね。地図係の同行と、分岐までの経路確認……」
「前に報告した道のことですよね」
ヴェラも覗き込む。札には、戦闘を目的としないこと、同行者の安全を優先すること、確認できた場所で引き返してよいことが書かれていた。報酬は三人で分けても、それなりになる。
「道はもう知ってますからね。お引き受けしてもいいかもしれません」
「地図係の方も一緒です。私たちだけで歩いた時とは違いますよ」
「護衛ですね」
ヴェラが言った。
「そういうことになりますね」
俺はもう一度、札の最後まで読んだ。確認するのは新しい分岐まで。その先の探索は依頼に含まれていない。
「受けますか?」
「私は賛成です」
エルザはそう答え、ヴェラを見る。
「私も賛成です。道を知っているのは私たちですし、先に見ておきたいところも分かっています」
「じゃあ、ミラさんに聞いてみましょう」
札を外して受付へ向かう。リンがエルザの髪際で、小さく一度鳴った。
◆
「こちらですね」
ミラは依頼札を受け取ると、受付の奥から一枚の地図を出した。
「皆さんが報告してくださった分岐の確認です。古い地図では一本道になっているので、地図係が現地で位置を確かめます」
「確認できれば、地図も直るんですか?」
「すぐには。ほかの記録とも照らし合わせてからになります」
ミラが地図の端を押さえた。
「なるほど。俺たちは地図係の方を案内するわけですね」
「ええ。安全に戻ってくるところまでが依頼です」
そこはいつもの仕事と変わらない。
「地図係の方は、ダンジョンへ慣れているんですか?」
ヴェラが尋ねた。
「入口付近には何度も入っています。ただ、第三道標より先は、今日が初めてだそうです。地図を扱う仕事ですが、魔物への対応は皆さんにお願いすることになります」
「分かりました。歩く順番は、現地へ入る前に決めます」
「お願いします」
ミラが報酬と帰還の手続きを説明しているところで、受付の横から細身の男性が現れた。肩に革の鞄を掛け、革張りの細長い筒を片腕に抱えている。鞄の脇には、結び目のついた細い縄を巻いた木枠が収まっていた。剣は下げていない。
「ギルドの地図係です。現地の測り直しを担当しています。よろしくお願いします」
俺たちも順に名乗った。男性は少し緊張した様子で頷いたが、古い地図を指して経路を確かめる時の手つきは慣れていた。
「入口付近の図面なら、何度も直しています。皆さんが見つけた分岐は、私も実際に見てみたかったんです。ただ、あの辺りを歩くのは初めてなので、危険な時は指示をお願いします」
「分かりました。道のことは俺たちから伝えます。測る方はお任せしますね」
「はい。そちらならお役に立てます」
「皆さんの報告、読みました。平たい石のある場所より手前で止めていただいて構いません。まずは分岐を確認できれば十分です」
「その予定です」
エルザが答える。
「途中で危ない場所があれば、そこまでで戻ることもあります」
「はい。そこはお任せします」
素直に頷いてもらえると助かる。
「それと、歩く時はヴェラさんの後ろに入ってください。俺がその後ろ、エルザさんが最後尾です」
「分かりました」
男性が図面筒を抱え直した。少し長い筒が受付の縁へ当たり、こつ、と音を立てる。
「……これも、もう少し短いものにすれば良かったですね」
「通路で壁にぶつけないよう、鞄の横へ収められますか?」
ヴェラが言った。
地図係は試しに筒を鞄の横へ留め、歩いてみた。今度は腰の脇から大きく飛び出さない。
「これなら大丈夫そうです。ありがとうございます」
「では、行きましょうか」
◆
〈灰石の口〉の入口で、ガイルが帳面を開いた。
「今日は四人か」
「地図係の方を案内します」
「分岐の確認だな。話は来てる」
ガイルは四人分の名前と行き先を確かめ、帰還予定を書き込んだ。差し出された木札も四枚ある。
「無理に線を伸ばそうとするなよ」
「俺たちに言ってます?」
「お前たち以外にも聞かせてる」
横を見ると、地図係が真面目な顔で頷いていた。
「分かっています。今日は確認だけです」
「ならいい」
ガイルが帳面を閉じる。
階段を下りる前に、ヴェラが右脚の脚具を確かめた。留め具を指で押さえ、膝を一度曲げる。動きに引っ掛かりはないようだ。
「皆さん、準備はよろしいですか?」
「はい」
「いつでも」
地図係の男性も頷く。
ヴェラを先頭に、俺たちは石段へ足を向けた。
◆
第三道標までは、見覚えのある道だった。
木札へ印を入れる時だけ足を止め、狭くなる場所では一人ずつ通る。ヴェラが前から道の状態を伝え、俺は男性がヴェラから離れすぎないよう気を配った。エルザの灯りが最後尾から足元を照らしている。
「普段から、こんなふうに歩くんですか?」
地図係の男性が小声で尋ねてきた。
「いつも全く同じではないですよ。今日は人数が一人増えていますから」
「なるほど」
男性は先を歩くヴェラを見てから、自分の足元へ視線を戻した。歩きながら時々、壁の曲がり方へ目をやっている。見慣れた道でも、俺たちとは気にするところが違うらしい。
第三道標を過ぎ、最初の分岐で左へ入る。古い白墨の印は残っていた。曲がり角を抜けると足元に細かな石が増え、ヴェラが歩みを緩める。
「ここから、少し足場が悪くなります。右側の岩肌が出ているところを通ります」
「はい」
坂を下りる間、男性の足が一度だけ滑りかけた。すぐに立て直したが、紙筒が鞄の脇で揺れた。
「大丈夫ですか?」
「ええ。足を置く場所を間違えました。大丈夫です」
「慌てなくていいですよ。足を置くところを見ながら行きましょう」
ヴェラが前で止まって待っていた。
坂を下りきると、前に引き返した平坦部へ出た。ここから先は、最初に自主探索で入った時には知らなかった道だ。
「少し休みますか?」
俺が聞くと、男性は紙筒を確かめ、頷いた。
「できれば、水を一口」
「どうぞ。俺たちも飲みましょう」
壁から離れた場所で休憩を取る。エルザが懐中時計を開き、帰りに必要な時間を確認した。まだ余裕はある。
男性が水筒をしまったところで、ヴェラが声を掛けた。
「次の区間は、右壁の下が濡れているところがあります。滑りそうなら無理に進まず、おっしゃってください」
「分かりました」
もう一度順番を整えて歩き出した。
壁の下の色が濃くなる場所へ来ると、前回と同じように床の一部が湿っていた。ヴェラは濡れた側へ寄らず、乾いた床を選んで進んだ。
「ここが、報告にあった場所ですね」
「ええ。水がどこから来ているのかは、分かっていません」
「位置を記しておきたいです。少し止まれますか?」
ヴェラが周囲を確かめて頷いた。男性は壁へ寄りすぎないようにしながら、濡れた範囲を帳面へ書き留める。
「前より水が増えたかどうかも、分かりますか?」
「前の記録はそこまで詳しくないので、今日は見えた範囲だけですね」
俺たちも正確な量までは残していない。男性は帳面を閉じ、俺たちは先へ進んだ。
◆
分岐が見えてきたのは、それから間もなくだった。
「こちらです」
ヴェラが足を止める。
目の前の通路は、正面と左に分かれていた。左はすぐ先で曲がり、正面は灯りの届く範囲ではそのまま続いている。
「確かに、二つある……」
地図係は革張りの図面筒から地図を取り出し、そっと広げた。紙には一本の線が伸びているだけだった。
「ここまでの道は、古い記録と大きく違いません。それなのに、ここで分かれている」
「俺たちが最初に来た時も、驚きましたよ」
男性は古い地図と目の前の道を見比べ、鞄から細い縄を巻いた木枠を取り出した。
「少し測らせてもらってもいいですか?」
「ここから見える範囲なら大丈夫です。ただし、どちらの通路にも入らないでください」
ヴェラが答えると、男性は頷いた。
「それ、何です?」
「測り縄です。分岐までの距離を確かめます」
縄には等間隔に小さな結び目がついていた。男性は少し手前の壁を指す。湿った場所の端で、岩肌の色が変わっている。
「ノワールさん、あそこまで戻って、縄の端を持っていただけますか?」
ヴェラが足元を見て頷いた。
「何かあれば縄は放してください」
「分かりました」
来た道を少し戻り、縄の端を指でつまむ。男性が結び目を数える間、ヴェラは分岐の入口を、エルザは灯りを上げて後ろの道を見ていた。
測り終えると、合図を受けて縄を放し、元の場所へ戻った。男性は帳面へ数字を書き込んだ。
「皆さんの記録より、分岐は少し手前のようですね」
エルザも手帳を開いた。
「私の記録では、もう少し奥でした」
「歩いたあとに描かれたんですよね。それでも、湿った壁の位置が分かっていたので助かりました」
エルザは手帳の線を少し書き直した。
地図係は今度は、目盛りのついた小さな板を取り出した。
「今度は何です?」
「測角板です。道がどちらへ曲がるかを確かめます」
男性は板を左の入口へ向け、目盛りを確かめた。
「これで地図に線が引けるんですか?」
「入口の向きまでは。曲がった先は、実際に歩かないと描けません」
そう言って、帳面へ数字を書き足した。
「……どっちが、昔の地図の道なんでしょうね」
俺が何気なく言うと、男性の筆が止まった。
「それは、まだ分かりません」
「正面の方が、真っ直ぐですけど」
「そう見えます。でも、古い地図の一本道が、今の正面側と同じ道だったとは限りません」
俺は二本の入口を見直した。どちらも先は暗い。
「今、確かめられるのはここまでですか」
「はい。分岐の位置と、入口の向きまでです」
男性は帳面の余白へ短い線を引き、顔を上げた。
「これなら、帰って説明できます。ありがとうございます」
「良かったです。では、戻りましょうか」
エルザが手帳を閉じる。
「もう、ですか?」
男性は慌てて首を振った。
「いえ。すみません。測ってみると、曲がった先も気になってしまって」
「分かりますよ」
俺が答えると、エルザがこちらを見た。
「よく分かるんですね」
「……身に覚えがありますので」
ヴェラが小さく笑う。
「今日は、ここまででお願いします」
「はい。分かりました」
男性は測り縄の木枠を収め、地図を筒へ戻した。
◆
帰りの坂は上りになった。地図係は途中で一度息を整えたが、それ以上足を滑らせることはなかった。第三道標を過ぎる頃には、俺たちの足音も少し軽くなっていた。
入口へ戻ると、ガイルが四枚の木札を順に確認した。
「全員、無事だな」
「はい」
ヴェラが答える。
「分岐は見られたか」
「見られました。図面の方は、戻ってからまとめます」
地図係の男性が言う。
「そうか。まずはギルドに帰れ」
ガイルが木札をしまった。
俺たちは礼を言って、入口を離れた。
◆
ギルドへ着くと、地図係の男性は受付の脇で地図を広げた。ミラも横から覗き込む。
「分岐は、前の報告どおりでしたか?」
「はい。分岐の位置と入口の向きは確認できました。湿った壁の場所も記録しています」
「ありがとうございます。皆さん、怪我はありませんでしたか?」
「ありません。坂で一度足を滑らせかけましたが、問題ありません」
ヴェラが答え、地図係の男性も頷いた。ミラは報告をまとめ、依頼票へ完了の印を押す。
「地図への正式な反映は、ほかの記録と合わせて進めます。お疲れさまでした」
「ありがとうございました」
報酬を受け取り、三人分を共同資金へ加える。地図係の男性は、広げた紙を慎重に丸めていた。
「皆さんの手帳のおかげで、測る場所をすぐ決められました。助かりました」
「こちらこそ。距離を測ると、前に見た場所の印象も変わるんですね」
「ええ。実際に測ってみないと分からないこともありますから」
男性はそう言って、紙筒を抱えて受付の奥へ入っていった。
俺たちもギルドを出る。昼は少し過ぎていた。
「今日は、仕事になりましたね」
ヴェラが言った。
「最初に行った時は、報酬なんてなかったですからね」
「ノワールさん、あの時も聞いていましたよね。報酬はあるのかって」
エルザが笑っている。
「聞くだけなら、ただですから」
「今日は、ちゃんといただけました」
「ええ。ありがたいです」
ヴェラが通りの先へ目を向けた。
「次は、どちらへ行くんでしょうね」
「正面か、左か……。まだ決められませんね」
エルザが答える。
「次に行く時は、また三人で決めましょう」
「はい」
返事をしたところで腹が鳴った。
エルザがこちらを見る。
「今のは、身体強化のせいではありませんよね?」
「使ってませんよ、今日は」
「でしたら、お昼ですね」
「はい。お昼です」
ヴェラが先に歩き出し、俺たちもその後へ続いた。




