第124話 乾かす前に
俺たちは南通りへ向かっていた。
昨日、荷袋の中身を整理したところ、手当てに使う包帯が思っていたより少なくなっていた。予備の布はあるが、傷に使う軟膏も買い足しておきたい。包帯は道具店で買い足してきたので、あとは薬師の店で軟膏を探すことにした。
「ノワールさん、行ったことのあるお店なんですよね?」
「ええ。ずいぶん前ですけど、薬草の採取依頼でお世話になりました」
「どんな方ですか?」
「腕は確かです。少し口は厳しいですけど」
「ドランさんみたいな方ですか?」
ヴェラに聞かれ、少し考えた。
「似ているところはありますね。二人とも、評価は甘くありません」
「良いことだと思います」
「言われる側は、結構大変ですよ」
ヴェラは頷いたが、あまり大変そうには見えなかった。エルザが隣で小さく笑う。
南通りは大通りほど人通りが多くない。干した布や木箱が店先へ並び、軒下から薬草らしい匂いが漂ってくる。通りの中ほどまで進むと、緑色の小ぶりな燈籠が見えた。
「ここです。〈緑燈の薬師〉」
扉を押すと、小さな鈴が鳴った。
◆
店の中は、前に来た時とあまり変わっていなかった。
壁の棚には乾いた草束と薬瓶が並び、奥の調合台には天秤と石臼が置かれている。薬草と乾いた土の匂いも覚えている。ただ、前にはなかった低い木箱が床に二つ置かれ、その間に一人の女性がしゃがんでいた。
「……あれ?」
声をかけるより先に、その女性がこちらを見た。
「ノワールさん?」
「ノアさん。こんにちは」
ノアは膝の上に載せた草束を木箱へ戻し、立ち上がった。以前、東門で会った時と同じような飾り気の少ない服装だが、今日は腰に短剣を下げていない。
「エルザさんとヴェラさんも。久しぶり」
「こんにちは。お元気でしたか?」
「うん。おかげさまで」
「今日はお仕事ですか?」
ヴェラの問いに、ノアは木箱を見下ろした。
「仕事っていうか、教わってるところ」
「教わっている?」
「これを、乾かす前に分けてるところ。傷んだ部分を取り除かないといけないんだって」
木箱を覗くと、細い茎のついた葉が積まれていた。片方には形の揃ったもの、もう片方には少し色の悪いものが入っている。俺にはその程度の違いしか分からない。
「客なら声をかけろ」
奥から低い声がした。
調合台に座っていた老薬師が、天秤の皿から目を上げる。白の混じった短い髪も、背中の丸まり方も変わっていない。
「ご無沙汰しています」
「……お前か」
「覚えていてくださったんですね」
「採った草を三つに分けて持ってきた奴は、そう何人もおらん」
「良い印象だったと思っておきます」
「勝手にしろ。それで、今日は何だ」
相変わらずだった。
「傷に使う軟膏を買い足したくて。普段持ち歩けるものが欲しいんです」
「見せるような傷があるのか」
「今はありません。備えです」
老薬師は俺たちを順に見てから、棚の方を指した。
「小さい容器なら上から二段目だ。使い方は分かるな」
「念のため確認させてください」
「なら、こっちへ持ってこい」
エルザと一緒に棚へ向かう。大小の壺が並んでいたが、持ち歩くには小さい方が良さそうだった。蓋の縁へ布が巻いてあるのを確かめて一つ取る。
その間、ノアはまた木箱の前にしゃがんでいた。
「それ、前に採りに行った草ですか?」
俺が尋ねると、ノアは首を振った。
「違う。前に採った草なら見分けられるんだけど、こっちは扱ったことが少なくて。乾かす前の選別を教わってるの」
「何を基準に分けるんです?」
「葉の傷み具合。色だけじゃ分からないものもあるんだって」
ノアが葉を一枚持ち上げた。隣の箱から別の一枚も取り、二つを並べてみせる。
「こっちは乾かす方。こっちは、先に傷んだところを落とさないと駄目なんだって」
「色が違うからですか?」
「それもあるけど……」
ノアが葉の付け根へ目を近づける。
「こっちは茎のところから柔らかくなってる。触ると分かる、って言われた」
試しに指で触れようとすると、老薬師の声が飛んだ。
「客が勝手に触るな」
「すみません」
「ノア、お前も見せるなら、使わん方だけにしろ」
「はい。すみません。気をつけます」
ノアは葉を木箱へ戻した。次に持ち上げたのは、脇へよけてあった傷んだ葉だった。
「こっちなら、使わない方だから」
俺は手を出さず、ノアの指先を見た。
「厳しいでしょう?」
俺が小声で言うと、ノアは少し笑った。
「でも、間違えたら教えてくれるから」
「それは確かに」
老薬師の前へ軟膏を持っていくと、蓋を開け、色と匂いを確かめさせられた。浅い傷や擦れたところへ使うものだが、深い傷や汚れた傷をこれだけで済ませるなと言われる。
「傷の具合を見ずに塗れば良いってもんじゃない」
「ええ。そこは気をつけます」
「前にも似たようなことを言ったな」
「薬の扱いには責任がある、という話なら覚えていますよ」
「ならいい」
老薬師は蓋を閉め、布を巻き直してくれた。
◆
代金を払うと、ノアが木箱の前で手を止めた。
「すみません。少し休憩してもいいですか。すぐに戻ります」
「残りはどうする」
老薬師が木箱を顎で示した。
「戻ってから続きをします」
「なら、戻ったら残りを数えておけ。葉だけ揃えても、使える量が分からん」
「はい。分かりました」
「それから、あの紙を忘れるな」
「ありがとうございます」
ノアは調合台の端に置かれていた小さな紙を手に取った。何かを書き留めているらしく、折らずに鞄へ挟んでいる。
「ノワールさんたち、外まで一緒に行くよ」
「失礼します。また来ますね」
「用があるならな」
こちらへの返事も変わらなかった。
店を出ると、南通りの午後の日差しが眩しかった。ノアは庇の陰に立ち、鞄からさっきの紙を取り出して見直している。
「前に、採取場所を教えてくれた人がいるって話してましたよね」
「うん」
「もしかして、あの方ですか?」
「そうだよ。前に採った草も、見つけ方を教えてもらった」
「世間は狭いですね」
「あの薬師さん、ノワールさんとも知り合いだったんだね」
「昔、調合を見せてもらったことがあるんです」
「そうなの?」
「ええ。見ている分には面白かったですよ」
「やってみなかったの?」
「俺は、薬を作る仕事をするつもりはなかったので」
「ふうん」
ノアはそれ以上聞かず、紙へ目を戻した。覗き込むつもりはなかったが、上の方には葉の絵と、いくつかの短い文字が並んでいるのが見えた。
「ノアさんは、薬師になるんですか?」
「まだ分からない」
返事はすぐだった。
「でも、覚えたいとは思ってる。妹の薬に使う草なら見分けられるけど、採ったあとの扱いは、まだ知らないことも多いから」
「妹さんのお薬ですか」
「それもある。どんな状態の草を、どう使うのかまで分かれば、採りに行く時にも役に立つと思うし」
ノアが紙の端を指で押さえた。
「今ある薬だけじゃなくて、ほかにも何かないか、いつか調べられるようになりたいんだ」
「そうですね。知っていることが増えれば、探せるものも増えますから」
「うん。でも、今日の草は乾かす前の選別が難しくて。傷んだところを見落とすと、すぐ戻されるんだ」
「厳しいですね」
「そう。でも、教えてもらうと次は分かるから」
ノアは苦笑したが、嫌そうではなかった。
「それに、乾かし方や薬の作り方を教わるの、案外好きみたい。知らなかったことが分かると面白いし」
エルザが頷く。
「それなら、続けてみるのも良さそうですね」
「そう思ってる。薬師さんが教えてくれる間は、だけど」
「少なくとも、今日の残りは教えてくれそうですね」
俺が言うと、ノアは眉を上げた。
「何で?」
「俺の時は、頼んでもいないのに調合を見せてくれましたから」
「へえ」
「ただし、質問すると大体怒られます」
「それはもう知ってる」
全員で少し笑った。
ノアが紙を鞄へしまったところで、ふと思い出したように俺たちを見た。
「あ、そうだ。フィロス君のことなんだけど」
「何かありましたか?」
「この前、すごい量の花を持ってきたんだよ」
エルザとヴェラが俺を見た。
俺も二人を見る。
「……ああ、そうでしたか」
「知ってるの?」
「ええ。買うところに居合わせました」
「本当? あれ、何かあったのかと思ってびっくりしたんだよ」
「特に何もなかったと思います。少なくとも、買った時は」
「そうなんだ」
ノアが不思議そうに首を傾げた。
「最初は一束か二束かと思ったのに、渡されても渡されても終わらなくて。花瓶も足りないから、空き瓶まで出してきた」
「それは大変でしたね」
ヴェラが言う。
「うん。でも、嬉しかったよ。妹も喜んでたし。フィロス君まで一緒になって置き場所を考え始めちゃって。そんなに気になるなら、最初から少しにすればいいのに」
俺は口元へ手を当てた。
あれを買うと決めたのは、本人だ。決めさせたのが誰かという話になると、少々ややこしい。
「フィロスさんらしいですね」
エルザが涼しい顔で言う。
「そうなのかな。……ちゃんとお礼は言ったよ。部屋が明るくなったし」
「それは良かったです」
ノアが通りの向こうを見た。
「そろそろ戻らないと。残りの葉も数えなくちゃ」
「大変ですね」
「うん。でも、分からないところは、ちゃんと聞いてくるつもり」
鞄を肩に掛け直し、ノアが俺たちへ手を振った。
「じゃあ、またね」
「ええ。また」
「お気をつけて」
ヴェラの言葉にノアが頷き、緑の燈籠が揺れる店へ戻っていった。
しばらくして、店の扉が閉まる鈴の音が聞こえた。
「薬師さんのお店でお会いするとは思いませんでしたね」
エルザが言った。
「ええ。前に教わったというのも、あの方だったとは」
「ノアさん、楽しそうでした」
ヴェラが呟く。
「そうですね」
今頃は、またあの二つの木箱の前に座っているのだろう。俺たちも買ったものを確かめ、宿への道を戻ることにした。
「フィロスさんの花、渡す人がいて良かったですね」
ヴェラの言葉に俺とエルザは深く頷いた。




