第123話 おじさんは二人
翌日の昼前、俺たちは王都の東広場を歩いていた。
午前中に頼まれていた買い物を済ませ、あとは昼食を取って帰るだけだ。広場には野菜や果物を積んだ露店が並び、焼き菓子の甘い匂いに店主たちの売り声が混じっている。ヴェラは買った道具を荷袋へ収め、エルザはその隣で店先の布飾りを眺めていた。
「エルザさん、何か気になる物がありましたか?」
「いえ。あの結び方が可愛らしくて」
エルザが指したのは、露店の庇から下がる細い布紐だった。小さな輪を三つ重ね、端を花びらのように広げてある。
「今度、真似してみましょうか」
「作るんですか?」
「できそうなら、作ってみたいですね」
そう答えながら、エルザはもう一度飾りへ目を向けた。髪際にいたリンも、同じ方向へふわりと動く。
「お花はいかがですか。今日摘んだお花です」
聞き覚えのある声がした。
広場の端に目を向けると、花籠を抱えた小さな女の子が立っていた。通りかかった女性に花束を見せ、断られると「ありがとうございました」と頭を下げる。その持ち手には、前に見たのと同じ麻紐が巻いてあった。
「リタさん?」
女の子が顔を上げた。
「あっ。ノワール!」
「お久しぶりです。元気でしたか?」
「うん! おじさんも元気だった?」
「ええ。おかげさまで」
どうやら、呼び方も変わっていないらしい。
「ノワールさん、お知り合いですか?」
エルザが隣へ来た。
「ええ。こちらはリタさんです。俺がこの町へ来て間もない頃、お花を売ってもらったんですよ」
「初めまして。エルザです」
「ヴェラと申します」
ヴェラが少し腰を屈めて挨拶すると、リタは二人を順に見上げた。
「おじさんの友達?」
「ええ、友達ですよ。一緒に仕事もしています」
「ふうん……」
リタが俺を見た。
「前はいないって言ってたよね?」
「ああ。覚えていたんですね」
「うん。おじさん寂しいんだって」
「それ、リタさんに言われたんですよ」
「そうだっけ?」
首を傾げたリタは、すぐに笑った。
「友達ができて良かったね!」
「……ええ。ありがとうございます」
まさか、あの時のことを覚えていてくれるとは思わなかった。返事をしてから二人を見ると、エルザは口元を緩め、ヴェラも静かに頷いている。
「良かったですね、ノワールさん」
「エルザさんまで」
「私も、そう言っていただけて嬉しいです」
ヴェラがそう言うので、俺は花籠の方へ視線を戻した。
「ところで、リタさん。持ち手の紐は大丈夫ですか?」
「うん。ほら!」
リタが籠を少し持ち上げてみせる。前に一緒に結び直した紐は、まだしっかりと籠に巻きついていた。
「上手に使っていますね」
「毎日使ってるもん」
「そうでしたね」
エルザの髪際から、リンがふわりと顔の横へ出てきた。リタが目を丸くする。
「それ、なあに?」
「リンです。私たちと一緒にいるんですよ」
「ちっちゃい!」
リタが籠を抱え直して少し顔を近づけると、リンはエルザの肩の向こうへ回り込んだ。
ちりん。
「嫌われちゃった?」
「初めて会う人には、少し様子を見ることもありますから」
エルザが答える。リンは髪際に戻り、今度はそこからリタを眺めていた。
「あ、そうだ。お花はいかがですか。今日摘んだお花です」
リタが背筋を伸ばした。さっきまでの話し方から、すっかり商売の声に戻っている。
「今日はどんな花がありますか?」
「白いのと、薄紫の。黄色いのもあるよ。……あります」
「では、薄紫と黄色を一束ずついただきましょう」
「二つ?」
「ええ。友達にあげたいので」
リタは俺の隣にいる二人を見た。
「エルザとヴェラに?」
「はい」
リタは嬉しそうに頷き、籠の中から花束を選び始めた。
「薄紫のは、こっちがきれいだよ。黄色いのは長く咲くの」
「詳しいですね」
「毎日摘んでるもん」
リタは二束の茎を揃え、結んだ紐を指で確かめてから俺へ差し出した。
「一束、鉄貨八枚です」
銅貨二枚を渡すと、リタは小袋から鉄貨を取り出した。四枚を並べて数え、俺の手へ載せてくれる。
「お釣り、四枚です!」
「はい。ありがとうございます」
「前も二つ買ったよね。紫と黄色」
「よく覚えていますね」
「あれ、誰かにあげたの?」
「宿に飾ってもらいましたよ。あの時は、渡す相手がいませんでしたから」
「そっか」
リタが二人を見て、また嬉しそうに笑った。
俺は受け取った花束を持ち直し、淡い黄色の方をエルザへ差し出した。
「エルザさん、どうぞ」
「……私にですか?」
「ええ。良ければ受け取ってください」
エルザは花束と俺の顔を交互に見た。
「私の好きな色です」
「ええ。覚えていますよ」
「ありがとうございます。大切にしますね」
両手で受け取ったエルザが、花束を顔の近くへ寄せた。髪際にいたリンも、淡い黄色の花びらへ近づく。
ちりん。
「リンも気に入ったみたいですね」
「それなら良かったです」
続いて、薄紫の花束をヴェラへ向ける。
「ヴェラさんには、こちらを」
「私にもいただけるのですか?」
「もちろんです」
ヴェラは花束を両手で受け取り、少し目を丸くした。
「……私の好きな色まで、覚えていてくださったのですね」
「ええ。前に教えてもらいましたから」
「ありがとうございます、ノワール様。とても嬉しいです」
「喜んでもらえて何よりです」
ヴェラが花束を眺め、エルザも隣からその花を覗き込む。リタは二人の顔を見上げていた。
「二人とも、うれしそう!」
「リタさんが良い花を売ってくれたおかげですよ」
「えへへ」
照れたように笑ったあと、リタはまた背筋を伸ばした。
「ありがとうございました!」
「こちらこそ。また買いに来ますね」
「石ころ。こんなところで何をしている」
背後から聞こえた声に振り向くと、フィロスが歩いてくるところだった。銀の長髪に黒い衣服、銀の胸当てと片翼を思わせる肩鎧。胸元の星の紋章が日に光り、腰には刀と脇差を差している。隣にはミレイもいた。
「フィロスさん。こんにちは」
「子供と立ち話か。暇そうで何よりだな」
「買い物の帰りです。フィロスさんこそ、お散歩ですか?」
「仕事だ」
「お仕事帰りですよ。これから戻るところです」
ミレイが穏やかに補足した。
「ミレイさんまで。お疲れさまです」
「ありがとうございます。皆さんもお元気そうですね」
エルザとヴェラが挨拶を返している間に、リタがフィロスを見上げた。
「おじさんも、お花はいかがですか。今日摘んだお花です」
フィロスが一瞬固まった。
「……誰がおじさんだ」
「おじさん?」
リタが不思議そうに首を傾げる。
俺だけではなかった。
「……石ころ。今、笑ったな」
「いいえ?」
「顔に出ているぞ」
「フィロスさんも、おじさんですね」
「俺はおじさんじゃない!」
「リタさんから見れば俺たちはおじさんです」
フィロスが俺を睨んだ。ミレイは隣で口元に手を当て、少しだけ横を向いている。
「お花、いかがですか?」
リタはもう一度、籠を差し出した。
「要らん」
「そうですか。ありがとうございました」
リタが素直に籠を下げる。
「リタさん」
「なあに?」
俺はフィロスへちらりと目を向けた。
「あっちのおじさんはケチですね」
「おい、石ころ」
すぐに声が飛んできた。
リタは俺とフィロスを交互に見た。
「でも、お花がいらない人もいるよ?」
「そうですね。リタさんの言う通りです」
「分かっているなら余計なことを言うな!」
「すみません。俺は二束買ったものですから、つい」
フィロスは俺を睨んだまま、何か言い返そうとして口を閉じた。それから、リタの籠へ視線を落とす。
「……残り全部でいくらだ」
「え?」
「その花だ。全部買う」
今度は俺も籠を見た。まだ何束も残っている。
「全部ですか?」
「お前まで聞き返すな」
「いえ、そこまでは思っていなかったので」
「なら黙っていろ」
リタは花籠を石畳の端へ置き、しゃがみ込んで束を数え始めた。ミレイもその隣へ腰を落とす。
「一緒に数えましょうか」
「うん! ……はい、お願いします」
途中で数が合わなくなったらしく、リタは最初からやり直した。ミレイは急かさず、数えた束を籠の片側へ移していく。最後の一束を揃えると、リタは両手の指を見つめてから顔を上げた。
「十束です。全部で銅貨八枚になります!」
「ミレイ」
「はい。フィロス様のお買い物ですね」
ミレイは小袋から硬貨を取り出し、リタに渡した。リタは何度か数を確かめ、ぴんと背筋を伸ばす。
「ありがとうございました!」
「ああ……花を包む物はあるのか?」
フィロスに聞かれたリタは、籠の底から薄い布を引っ張り出した。
「これ、使っていいよ」
「いくらだ」
「お花をいっぱい買ってくれたから、いいの!」
「……そうか」
フィロスが布を受け取り、花束をまとめ始めた。俺も少し手を出そうとしたが、ミレイの方が早かった。茎の向きを揃え、花を潰さないように布で包んでいく。
「フィロス様、こちらをお願いします」
「分かっている」
フィロスは差し出された花束を受け取り、胸当ての前で抱えた。次の束、そのまた次の束が重なり、銀の胸当てが白や黄色の花で半分ほど隠れてしまう。
「……フィロスさん」
「……何だ」
「似合っていますよ」
笑うのを必死でこらえながら言った。
「その顔で言うな」
エルザが隣で小さく笑った。ヴェラはリタの籠に花が一つも残っていないのを確かめている。
「今日は早く帰れそうですね」
「うん! 全部売れた!」
リタが嬉しそうに籠を抱き上げた。さっきまでと違って軽くなったのか、持ち手が少し跳ねる。
「気をつけて帰ってくださいね、リタさん」
「うん。ノワールもね! フィロスもありがとう!」
リタは皆に手を振ってから、広場の向こうへ駆けていった。フィロスも、いつの間にか名前呼びに昇格していた。
「……現金な子供だ」
フィロスはそう呟くと花束を抱え直し、俺へ顔を向ける。
「石ころ。お前のせいで余計な買い物をした」
「でも、きれいな花ですよ」
「それくらい見れば分かる」
「では、良いお買い物でしたね」
「……お前とは、いつか決着をつける」
花束を抱えられながら凄まれても困る。
「どちらがたくさん花を買えるかですか?」
「違う!」
フィロスの声が広場に響いた。ミレイが彼の抱えた花束を一つ支え直す。
「フィロス様、そろそろ参りましょう。花が傷んでしまいます」
「分かっている」
「それでは、皆さん。またお会いしましょう」
ミレイが会釈し、フィロスも花束を抱えたまま踵を返した。すれ違う人がその腕の中をちらりと見ていく。
俺たちは二人の背中を見送った。
「……全部買ってしまいましたね」
エルザが淡い黄色の花束を持ち直した。
「本当に買うとは思いませんでした」
「あんなに沢山の花をどうするのでしょうか」
ヴェラが薄紫の花束に目を落としてから、首を傾げる。
「さあ。あれだけあれば、飾る場所を探すのも大変そうですけど」
「ノワールさんは、ちゃんと二束で済ませましたね」
「フィロスさんが買い占めるのは計算外でした」
エルザが笑った。ヴェラも花束を抱えたまま、小さく頷いている。
「それより、そろそろお昼にしませんか?」
ヴェラが言った。広場の奥では、屋台から焼いた肉の匂いが流れてきている。
「そうしましょう。何が食べたいですか?」
「私は、あちらのお店が少し気になります」
エルザが指した先には、湯気の上がる鍋が並んでいた。リンもそちらへふわりと向きを変える。
「では、行ってみましょうか」
エルザとヴェラはそれぞれ花束を抱えたまま、俺と一緒に人の流れへ戻った。




