第122話 先輩は先輩
次の日の昼前、冒険者ギルドは依頼から戻った者と、午後から出る者とで混み合っていた。
俺たちも依頼札を一通り見たあと、食堂の端で少し早い昼食を取っている。今日は急いで受けたい札がなく、午後については食べながら決めることにしていた。
向かいでは、エルザが焼いた肉を小さく切っている。その隣でヴェラがスープの具を匙ですくい、エルザの髪際にいるリンは静かだった。
「ご一緒してもよろしいですか?」
声に振り向くと、エリカが書類の束を抱えて立っていた。
「どうぞ」
エルザが答える。
「ありがとうございます。今日はどこも混んでいまして」
代表になっても、昼食を食べる場所まで特別になるわけではないらしい。エリカは書類を卓の端へ寄せ、俺の隣席へ腰を下ろした。正面じゃなくてよかった。
「仕事ですか?」
「半分くらいは。残りは午後でも構わないものです」
「それは昼休みに持ってくる量ではない気がしますけど」
「見なかったことにしてください」
そう言って、エリカは書類の上へ布を一枚被せた。
見えなくなれば仕事ではなくなるらしい。
食事を再開したところで、すぐ横から声が飛んできた。
「先輩、そっち詰めてください」
「空いてるだろ」
「荷物置いたら狭いんですよ」
「お前の荷物だろ」
二人連れの男が、隣の卓へ座ろうとしていた。
一人は短い茶髪で、俺たちより少し若く見える。肩から大きめの鞄を下げたまま、当然のようにもう一人へ場所を空けるよう求めていた。
もう一人は少し背が高く、くすんだ金茶の髪を後ろで束ねている。
「ユアンさん。オスカーさん」
エリカが声を掛けた。
二人がこちらを見る。
「あ、エリカさん。どうも」
「こんにちは」
茶髪の男――ユアンが先に頭を下げ、その後ろでオスカーも軽く会釈した。
エリカが俺たちへ向き直る。
「お二人とも落人です。以前から何度かお会いしています」
「ユアンです」
「オスカーだ」
俺たちも順に名乗った。
ユアンの視線がエルザの髪際へ向いたが、リンが動かなかったからか、そのまま自分の席へ戻る。
「それで先輩、もう少しだけ」
「だから自分で詰めろ」
「先輩なんだから、それくらい」
「いつまで先輩なんだよ」
オスカーが面倒そうに言った。
ユアンは椅子へ座りながら、不思議そうな顔をする。
「いつまでもですよ」
「こっちへ来てまで?」
「何年経っても先輩は先輩でしょう」
即答だった。
オスカーは何も言わず、ユアンの鞄を足で卓の下へ押し込んだ。
「ありがとうございます」
「自分でやれ」
やってもらった後に言うことではない。
「向こうでも先輩後輩だったんですか?」
俺が聞くと、ユアンがこちらへ身を向けた。
「そうですよ。ずっとです」
「前にやってたゲームでもな」
オスカーが付け足す。
「前のゲーム?」
「ここに来る前に一緒にやってたやつです。あっちでも同じパーティーで」
「お前が勝手についてきたんだろ」
「誘ったの先輩ですよ」
「最初だけな」
どうやら、そこについても意見が違うらしい。
「じゃあ、ここも一緒に来たんですか?」
俺が続けると、ユアンは首を振った。
「それは違います。先輩の方が先にこっちへ来てたんで」
「来た時期が違うんですね」
「はい。俺が来た時には、もう先輩はこっちで暮らしてました」
何気なく言ったユアンに、オスカーが一度だけ視線を向けた。
「その辺にしとけ」
「あ」
ユアンの声が止まった。
叱られたというより、何かを思い出したような止まり方だった。
「何かまずかったですか?」
「まずいわけではありません」
答えたのはエリカだった。
手にしていた匙を皿へ戻す。
「ただ、時間の話は、人によって受け取り方が違いますから」
「時間?」
「向こうとこちらでは、時間の進み方がかなり違うのではないか。落人の間では、昔からそういう話があります」
エリカの声はいつもと変わらなかった。
「俺たちみたいに、向こうで知り合いだった奴が後から来ると分かりやすいんですよ」
ユアンが今度は少し声を落として言った。
「とはいっても、向こうで何日に始めたとか、こっちに来てから会うまでどれだけ掛かったとか、全部きっちり分かるわけじゃないですけど」
「お前も俺を見つけるまで掛かってるからな」
「大変だったんですよ。名前で連絡がとれるわけじゃないですし、顔だって知らないんですもん」
オスカーが笑う。
「そりゃイケメンに作ったし、俺もずっと同じ場所にいたわけじゃない」
それなら、二人の時間だけを比べても正確なことは分からない。
ユアンが卓の上のパンを一つ取り、オスカーの皿へ置いた。
「でも、向こうじゃまだそんなに時間が経ってないかもしれないって考える人もいますよ」
オスカーがパンをちぎる手を止める。
「だから面倒なんだ」
「先輩はすぐそう言う」
「悪い話だって言ってるんじゃない」
「分かってますよ」
二人の声が少しだけ静かになった。
俺は水を一口飲んだ。
食堂の奥で椀の重なる音がして、誰かが椅子を引いた。
それ以上、誰も時間の話を続けなかった。
「それより」
ユアンがオスカーの皿を見る。
「そっちの肉、一つください」
「嫌だ」
「先輩」
「自分の食え」
「さっきパンあげたじゃないですか」
「勝手に置いただけだろ」
いつの間にか話が戻っていた。
エリカが二人を見ている。
さっきまでの代表者らしい顔とは少し違って見えた。笑っているわけではない。ただ、二人のやり取りを眺めている。
「先輩、ですか」
エリカが小さく言った。
ユアンが振り向く。
「エリカさんにもいたんですか?」
「はい。昔ですけど」
「どんな人だったんです?」
「……そうですね」
エリカは少し考えた。
「面倒をよく見てもらっていました。私が気づいていないことまで、先に気づくような人でしたね」
「エリカさんが面倒を見てもらってたんですか?」
ユアンが驚きの声をあげる。俺も少し驚いた。
エリカさんが面倒を見てもらう姿は想像しにくい。
「厳しい人です?」
「それなりに」
返事が少し早かった。
「でも、頼りになる方で私の憧れでした」
「良い先輩だったんですね」
「また、会いたいです」
それだけ言って、エリカは自分のスープに映る顔を見つめていた。
俺も先輩や後輩のことを思い出してみた。たいした思い出はなかった。普通はこんなもんだろう。
俺の向かいで、エルザの手が止まっていた。
切り分けた肉へフォークを刺したまま、斜め向かいのエリカの横顔を見ている。
ほんの短い間だった。
エリカが顔を上げるより先に、エルザは視線を自分の皿へ戻した。
「エルザさん?」
「何ですか?」
「いえ」
聞いた俺の方が、何を聞こうとしたのか分からなかった。
「先輩、取ってください」
また隣から声がする。
「目の前だろ」
「そっちの方が近いです」
オスカーが塩入れを取ってユアンへ渡した。
「ありがとうございます」
「お前、絶対自分で取れるだろ」
「取れますよ」
「なら取れ」
「先輩がいるので」
オスカーが深く息を吐いた。
「昔からこうなんですか?」
ヴェラが尋ねる。
「昔からです」
ユアンが答える。
「昔はもう少しマシだった」
「そうでしたっけ?」
「そうだった」
「記憶が違いますね」
「都合よく忘れてるだけだ」
ヴェラが二人を見比べたあと、エルザへ視線を向けた。
エルザも同じように二人を見ている。
「長いんですね」
ヴェラが言った。
「ええ、長いんですよ」
ユアンは嬉しそうにそう答えて、パンをちぎった。
オスカーは否定しなかった。
◆
食事を終えると、エリカは被せていた布を外した。
書類は当然、そのまま残っている。
「消えてませんでしたね」
「残念ながら」
エリカが困ったように微笑む。
「午後に回すんじゃなかったんですか?」
「半分は」
エリカは一番上の紙を見てから、残りを抱え直した。
「先にこれだけ届けてきます」
ユアンとオスカーも立ち上がる。
オスカーが二歩進んだところで振り返った。
「ユアン」
「はい?」
「鞄」
椅子の下に、大きな鞄が残っていた。
「あ」
ユアンが戻る。
「先輩が持ってくれてもいいんですよ」
「置いていくぞ」
「もっと優しくしてくださいよ」
自分で鞄を肩へ掛け、ユアンがオスカーを追いかける。
「じゃあ、また」
「失礼します」
二人は並んで食堂を出ていった。
扉の向こうから、まだユアンの声が聞こえる。
「先輩、午後どうします?」
「まずその呼び方をやめろ」
「嫌ですよ」
声が遠ざかっていった。
エリカはしばらく扉の方を見てから、抱えた書類へ目を落とした。
「では、私も行きます」
「お仕事、頑張ってください」
ヴェラが言う。
「ありがとうございます」
エリカが席を離れる。
その背中を、エルザが目で追った。
食堂の卓には、まだ四人分の空いた皿が残っている。
ヴェラが自分の皿を重ね、その上へ俺の皿を載せた。
「午後はどういたしましょう」
「そうですね」
エルザが答える。
俺も残った水を飲み干した。
まずは、いつもの午後を決めるところからだった。




