第118話 使う時だけ
翌朝、職人区の稽古場へ着くと、ドランは木剣ではなく庭の端を指した。
「そこから、あそこまで歩け」
「本当に歩くところからなんですね」
「嫌なら帰れ」
今度は稽古場の出口を指した。
「歩きます」
昨日と同じ場所へ立ち、身体強化を使わずに往復する。戻ったところで、ドランが顎をしゃくった。
「強化しろ」
「はい」
身体の内側へ魔力を流す。昨日よりは引っ掛からず、背中から腰、脚まで感覚が広がった。
「行け」
歩き出す。
昨日のように一歩目から大きく前へ飛び出すことはなかった。石の手前で少し早めに勢いを落とすと、その横で止まれた。
ドランが足元を見る。
「昨日よりはましだ」
「ありがとうございます」
「仕事へ行け」
「もう終わりですか?」
「昨日やったことを、朝からもう一度全部やる気か」
「稽古って、そういうものでは?」
「普通はな……お前の稽古のやり方はこれだ」
お。
「それって特別ってことですか?」
「そうだな特殊だ」
なんかちょっと違う。
どうやら、本当に終わりらしい。
腰掛けの横に置かれた木剣へ目をやったが、ドランは取ろうともしなかった。
「身体強化、仕事で使ってもいいんですよね」
「好きにしろ」
「雑ですね」
「慣れてねえもんを、危ねえところで初めて試すな。それだけだ」
昨日ここで歩いて、剣も振っている。そのための稽古だったらしい。
「分かりました」
「なら行け」
「はい」
今日は二度目の「行け」だった。
◆
冒険者ギルドへ着くと、エルザとヴェラはすでに依頼札を見ていた。エルザの髪際では、リンがいつものように静かに漂っている。
二人のところへ行く。挨拶をすませると、ヴェラが一枚の札を指した。
「こちらはどうでしょうか」
東門の外、街道沿いの柵を補修するための資材運びだった。
昨夜の雨で街道脇の土が一部崩れ、獣避けの柵も何箇所か倒れたらしい。補修をする職人はすでに現地へ向かっていて、門の脇に置かれた支柱や縄、金具を運ぶ人手を募集している。
「戦闘の仕事ではないんですね」
「はい。ただ、城外ですので武装は必要です」
エルザが札の下まで目を通す。
「補修そのものは職人の方が行います。私たちは資材を届けて、外した古い木材や金具を持ち帰るところまでですね」
「これにしましょうか」
二人が頷く。
依頼札を外し、受付へ持っていった。
◆
東門脇の資材置き場には、長い木材が壁へ立て掛けられていた。
今回運ぶのは、人の背丈より少し長い支柱が二本。それと短い横木、縄束、鉄の留め具だった。
門番から受け取った一覧と数を合わせる。
「一本は俺が持ちます」
「では、もう一本は私が」
エルザが支柱へ手を伸ばした。
「持てます?」
「持てますよ」
そのまま持ち上げる。
「身体強化、使ってます?」
「いいえ、使ってません」
「普通に持てるんですね」
意外に力持ちだ。
「ノワールさんも、持ってみてください」
「そうします」
支柱へ両手を掛けて持ち上げる。想像していたより重かったが、持てないほどではない。肩へ担ぎ直すと、木の硬さが服越しに当たった。
「……これを持って歩くのか」
「嫌になりました?」
「身体強化が役立ちそうなので良かったと思っています」
ヴェラが縄と金具の入った荷を背負い、短い横木をまとめて持った。
三人で門へ向かう前に、身体強化を掛ける。
全身へ魔力が回ると、支柱を支えるのが一気に楽になった。木そのものの重さは変わっていないはずなのに、肩や腕に掛かる負担が随分違う。
「おお」
「歩幅には気をつけてくださいね」
「分かってます」
東門を出る。
雨上がりの土はところどころ色が濃く、轍にはまだ浅く水が残っていた。荷車の通った跡を避けながら、三人で街道の端を進む。
身体強化を使っていると、支柱を担いだままでも歩くのが楽だった。昨日ほど足が前へ出すぎることもない。
しばらく進んだところで、エルザがこちらを見た。
「ノワールさん、まだ身体強化を使っていますか?」
「使ってます。楽なので」
エルザは少しだけ間を置いた。
「私は、ずっとは使いませんよ。魔力が減るので」
「……あ」
足は止めず、そのまま歩く。
魔法なのだから、使っている間は魔力を使う。当たり前のことなのに、身体そのものが楽になるせいか、水魔法よりも使い続けている感覚が薄かった。
魔力を流す意識を解く。
支柱の重さが肩へ戻った。
「重い……」
「最初からその重さでしたよ」
「思い出したくなかったですね」
エルザは何も言わなかった。
少し先を歩く肩が、わずかに動いた。
◆
補修場所には、二人の職人がいた。
街道から少し外れた斜面に古い木の柵が続き、そのうち二本の支柱が傾いている。横木も片側が外れ、流れてきた土や枝が根元へ溜まっていた。
「ギルドからです」
声を掛けると、作業着の男が手を上げた。
「助かる。そこへ置いてくれ」
運んできた木材を指定された場所へ下ろす。もう一人の職人が一覧を受け取り、数を確認した。
「全部あるな。古い方を外すまで少し待ってくれ。持って帰ってもらう木が出る」
「手伝えることはありますか?」
「じゃあ、その横木の端を少し持ち上げてくれ。下へ木を噛ませたい」
「分かりました」
地面へ落ちた横木の端へ回る。
濡れているせいか、見た目より重そうだった。
両手を掛ける前に、身体強化を使う。全身へ魔力が回るのを待ってから、腰を落とした。
「上げます」
「ああ。ゆっくりな」
持ち上げる。
思ったより簡単に上がった。そのまま勢いで高くしそうになり、腕を止める。
「そこだ。そのまま」
「はい」
職人は横から短い角材を差し込み、横木の下へ噛ませた。俺が手を離しても動かないことを確かめてから、絡んだ枝と土を道具で掻き出していく。
少しして、もう一度横木を持つよう頼まれた。
「ほんの少し上だ」
ゆっくり上げる。
「そこ」
止める。
さっきより動かす幅は小さかった。
作業が済むと、今度は地面へ落とさないようにゆっくり下ろす。土へ触れる直前に速度を落とすと、横木は大きな音も立てずに収まった。
「それでいい」
「はい」
職人はもう次の作業へ移っていた。
俺も邪魔にならない場所へ下がる。
◆
その後は、古い木材や外した金具をまとめるのを手伝った。
重い物を持ち上げる時だけ身体強化を使い、終われば切る。最初はいちいち掛け直すのが面倒だったが、さっきの街道を思い出せば、掛けっぱなしにする理由もなかった。
最後の古材を縄でまとめていると、結び目を押さえた指先がわずかに震えた。
一度手を離し、握り直す。
まだ少し震えている。
「ノワールさん?」
エルザが気づいて近づいてきた。
「少し待ってください」
しゃがんで自分の手を見る。冷たくはない。汗もひどくない。ただ、さっきから妙に腹が減っていた。
今朝の稽古でも身体強化を使った。ここへ来る途中では、必要もないのに長く掛けっぱなしにしていた。その後も作業のたびに何度か使っている。
「魔力を使いすぎたかもしれません」
「気分は?」
「空腹なのと、手が少し震えるくらいです。ふらつきはないです」
ヴェラも持っていた荷を置いた。
「私が治癒を使った時と似ていますか?」
「ああ」
以前、ヴェラが治癒魔法を使った後にも似たことがあった。
「似てますね」
「でしたら、休みましょう」
「はい」
素直に地面へ腰を下ろす。
エルザが鞄から小さな包みを出した。
「どうぞ」
「持ってるんですね」
「依頼ですから」
中には砂糖菓子が入っていた。
一つ受け取り、口へ入れる。
甘い。
水も飲んで、しばらく休む。
「低血糖に似てるんですよね」
「ていけっとう?」
ヴェラが首を傾げた。
「向こうで、食べなかった時なんかに似た症状が出ることがあるんです」
「同じものなのですか?」
「それは分かりません。ただ、似てるなと思っただけです」
エルザが俺の手を見る。
「震えは?」
指を開いてみる。
「さっきよりは落ち着きました」
「今日は、もう身体強化を使わない方がいいと思います」
「そうします」
古材を見る。
行きに運んだ支柱ほど重くはない。
これなら普通に持てる。
立ち上がる前に、砂糖菓子をもう一つ取った。
「それは必要ですか?」
「念のためです」
エルザが包みを閉じようとする。
「あと、美味しいので」
一瞬止まった後、包みはそのまま閉じられた。
三個目はなかった。
◆
帰り道は、身体強化を使わなかった。
古材の重さが肩へ掛かる。楽ではないので途中で一度荷を下ろし、水を飲んだ。
東門が見えてくる頃には、指先の震えもなくなっていた。
門脇の資材置き場へ古材と金具を返し、受領の印をもらう。そのままギルドへ戻って、ミラへ作業内容を報告した。
「資材は全部届けました。古材と外した金具も門の倉庫へ戻してあります」
「補修作業で問題は?」
「ありません。ただ、俺が身体強化を使いすぎました」
ミラの筆が止まった。
「体調は?」
「少し手が震えました。休んで砂糖菓子を食べたら落ち着いて、帰りは使ってません」
ミラはエルザとヴェラにも目を向けた。
二人が頷く。
「では今日は、これ以上魔法を使う仕事は避けてください」
「そうします」
報告を終え、依頼完了の処理を待つ。
受け取った報酬を共同資金へ入れてギルドを出ると、ヴェラが俺の持つ袋を見た。
「帰りは、使わなくても大丈夫でしたね」
「はい」
肩は少し重い。
けれど、それだけだった。
「明日、ドランさんにもお話ししますか?」
エルザに聞かれる。
「します」
迷わず答えた。
「たぶん、先に怒られると思いますけど」
「その後で、何か教えていただけると思います」
「先に教えてほしいんですよね」
エルザがこちらを見る。
「それでは、ドランさんではなくなってしまいます」
「それもそうですね」
三人で〈鈍色亭〉へ向かう。
今日はもう、身体強化を使う理由はなかった。




