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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第四章 札がなくても

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第117話 速く振るな


 水筒を半分ほど空けたところで、ようやく喉の渇きが落ち着いた。


 腰掛けの隣には、さっき使った魔法書が置いてある。開いた頁には、全身を巡る線が変わらず残っていた。


 少し休んでから、もう一度歩くのだろう。


 そう思っていたら、目の前へ木剣が差し出された。


「持て」


 顔を上げる。


 ドランが柄の方をこちらへ向けていた。


「いいんですか?」


 罠じゃなかろうか。


「持てと言った」


「振っても?」


「誰が振れと言った」


「まだ駄目なんですね」


「いいから持て」


 駄目と言われたので安心した。木剣を受け取る。


 少し離れたところで、エルザが何か言いたそうにしていた。


「大丈夫ですよ。振らないそうです」


「そこを心配していたわけではありません」


「違うんですか?」


「ノワールさんが、嬉しそうだったので」


 確かに嬉しい。この世界に来てから、こうして考えていることを当てられることが増えた。向こうでは、何を考えているのか分からないとよく言われたものだが。何が違うのかは、自分でもよく分からない。


 立ち上がり、いつもの位置へ移動する。


「身体強化は?」


「使うな」


「はい」


 まだ使わないらしい。


 足を置き、木剣を構える。


 何度もやってきた形だ。最初の頃ほど、足の位置を一つずつ確かめることはなくなった。


「振れ」


 踏み込む。


 足を出し、腰を運び、木剣を振り下ろす。


「もう一回」


 元の位置へ戻る。


 同じように構え、もう一度振る。


「次」


 三度目。


 四度目。


 五度目を振り終えたところで、ドランが木剣の先を俺の足元へ向けた。


「今、何を考えてた」


「何をって……」


 振り返る。


 足を出して。


 腰を運んで。


 肩を――。


「最初の二回くらいは、足と腰を」


「後は?」


「途中から、あまり」


「そうか」


 それだけ言って、ドランが顎をしゃくった。


「強化しろ」


「はい」


 待ってました。


 木剣を持ったまま、身体の内側へ魔力を向ける。


 さっき覚えた道筋へ流す。


 一度、腕の辺りで引っ掛かった。


 息を吐いて、もう一度やり直す。今度は身体の内側へ魔力が広がった。背中、腰、脚まで、いつもとは違う力の入り方になる。


「できました」


「構えろ」


 言われた通りに木剣を上げた。


 そこで少し違和感があった。


「……軽いですね」


「剣がか」


「たぶん、俺の方が変わったんだと思います」


 木剣そのものの重さは変わっていない。


 ただ、持ち上げるのが楽だった。


 握った柄も、いつもよりしっかり手の中に収まっている気がする。


「振れ」


「はい」


 踏み込んだ。


 右足が前へ出る。


 さっきよりは抑えたつもりだった。


 そのまま腰を運び、木剣を振る。


 ぶん、と大きな音がした。


 剣先が思ったより早く下まで落ちた。


 止めようと腕へ力を入れる。


 肩が引かれ、身体が前へ傾いた。


 右足をもう一歩出して、どうにか倒れずに済んだ。


「……速いですね」


「馬鹿」


「いきなりですか」


「誰が速く振れと言った」


「普通に振ったつもりなんですが」


「それのどこが普通だ」


 ドランが、俺の木剣を指した。


「振り下ろしてから慌てて止めてる」


 言われてみれば、その通りだった。


 振り始めた時より、止める時の方が力を使った気がする。


 エルザが少し離れた位置からこちらを見ている。


「ノワールさん。最後に右足がもう一歩出ています」


「出ましたね」


「さっきの歩く練習と似ています」


「ああ……」


 足が余計に前へ出た時と同じだ。


 身体強化を使った分だけ動きが大きくなって、その後から止めようとしている。


「もう一回」


 ドランが言う。


「今度は、いつもと同じ速さで振れ」


「強くなってるのに?」


「だからだ」


「少しくらい速くした方が――」


「振れるようになってから言え」


「はい」


 今のところ、何を言っても勝てそうにない。


 元の位置へ戻る。


 身体強化はまだ続いている。


 足を置く。


 腰を落とす。


 木剣を構える。


 いつもの速さ。


 それだけを考える。


「振れ」


 踏み込む。


 右足が出る。


 出すぎないように――。


「遅い」


 ドランの声が飛んだ。


「あ」


 考えたせいで、足が止まった。


 腰も遅れる。


 そのまま振ると、今度は木剣だけが先へ出た。


「止めろ」


 振り切る前に戻す。


「今、何を考えた」


「右足を出しすぎないように」


「その次は」


「腰を合わせようと」


「その次」


「剣をいつもと同じ速さで」


 言いながら、自分でも多いと思った。


 ドランが鼻を鳴らす。


「全部別々にやるな」


「それができたら苦労してないんですが」


「だから稽古してんだろうが」


 また同じ返事だった。


 エルザが手を挙げた。


「ドランさん、私からもいいですか?」


「好きにしろ」


 ドランは腕を組んだ。


「一回、身体強化を止めましょうか」


 エルザが声を掛けてきた。


「まだ大丈夫ですよ」


「疲れたからではありません。比べてみましょう」


「ああ。なるほど」


 魔力を流す意識を解く。


 身体を巡っていた感覚が薄くなった。


「一度、いつも通りに振ってみてください」


「はい」


 構える。


 踏み込む。


 木剣を振る。


 さっきまでより遅い。


 けれど、止めようとは考えなかった。


 剣が下り、身体もそこで止まる。


「……こっちだと楽ですね」


「何がだ」


 ドランが聞く。


「止めるのが、です」


「止めてねえ」


「え?」


「最初から、そこで終わるように振ってる」


 意味が分からず、自分の足を見る。


 右足はいつもの位置にある。


 腰も前へ流れていない。


 木剣も振り終えた場所で止まっている。


「もう一回やれ」


 振る。


「もう一回」


 振る。


「止めようとしたか」


「……してません」


「それを強化してもやれ」


 簡単に言う。


 だが、さっきよりは何をすればいいのか分かった。


 身体強化を掛け直す。


 全身へ魔力が回る。


 木剣が少し軽く感じる。


 足も、さっきまでより動きやすい。


 だからといって、それに合わせて動きを変えない。


「振れ」


 踏み込む。


 一歩目が少し大きい。


 そこへ腰を運ぶ。


 木剣を振る。


 速くしない。


 強くもしない。


 いつも通り。


 そうしたつもりだったが、剣先はやはり少し早く下まで落ちた。


 今度は無理に剣を止めようとせず、そのまま振り終える。


 右足が半歩ほど余計に前へ出た。


「さっきよりましだ」


 ドランが言った。


「今、褒めました?」


「ましだと言った」


「それは褒めたことには」


「次」


「はい」


 エルザが顔を背けた。


 ヴェラも口元へ手を当てている。


 何がおかしいのだろう。


 もう一度構える。


 振る。


 今度は右足を抑えようとして、また腰が遅れた。


「違う」


「はい」


 戻る。


 振る。


「肩」


「はい」


 戻る。


 振る。


「最後に力むな」


「はい」


 戻る。


 何度やっても、どこか一つ直すと別のところがおかしくなる。


 身体強化を使っていない時なら、少なくともここまでばらばらにはならない。


「師匠」


「何だ」


「これ、身体強化を使わない方が強いんじゃないですか?」


「そうだぞ」


「即答ですね」


「使えないもんを使ってるんだから弱くなって当たり前だろ」


 言われてみればその通りだった。


「覚えたばかりなのに厳しいですね」


「覚えただけで強くなるなら稽古場はいらん」


 それもそうだった。


 元の位置へ戻る。


 木剣を構える。


 さっきから、足、腰、肩、剣と順番に考えすぎている。


 少し前に、ドランに言われたことを思い出す。


 ――お前はいつになったら、考えずに動けるようになる。


 考えないで動けと言われても、今は考えなければ崩れる。


 なら、考えることを一つずつ減らすしかないのだろう。


「もう一回いきます」


「勝手に終わろうとしてたのか」


「違いますよ」


「なら構えろ」


「はい」


 足を置く。


 木剣を上げる。


 身体強化は維持できている。


 ドランを見る。


「振れ」


 踏み込む。


 足の位置は考えなかった。


 腰も考えない。


 いつもの稽古でやっているように、前へ出て、剣を振る。


 ぶん、と木剣が鳴った。


 剣先が下りる。


 身体が少し前へ流れる。


 ただ、さっきのようにもう一歩足を出すほどではなかった。


「……どうですか?」


「肩が少し前だ」


「……そうですか」


「だが、足はさっきよりましだ」


 自分の右足を見る。


 いつもの位置より少し前。


 最初のように大きく飛び出してはいない。


「今、足は考えてませんでした」


「なら次も考えるな」


「腰は?」


「考えるな」


「肩は?」


「考えるな」


「何を考えればいいんですか?」


 ドランが俺を見た。


「俺を見ろ」


「師匠を?」


「剣を振る時に、自分の足ばっかり見てどうする」


 言われて、黙る。


 稽古なのだから、相手がいる。


 今は素振りに近いことしかしていなかったから、いつの間にか自分の身体ばかり気にしていた。


 ドランが自分の木剣を取った。


「次はこれに当てろ」


 身体の前へ、木剣を斜めに出す。


「打ち込んでいいんですか?」


「一回だけだ。身体強化はそのままだ」


「はい」


「速く振ろうとするな」


「分かってます」


「本当か?」


「たぶん」


「駄目じゃねえか」


 エルザの方から、小さく息が漏れる音がした。


 俺は聞かなかったことにする。


 構える。


 目の前にあるドランの木剣を見る。


 足の位置は考えない。


 腰も考えない。


 肩も同じだ。


 目の前にあるのは、ドランの木剣だけだった。


「来い」


 踏み込んだ。


 木剣を振る。


 乾いた音が鳴った。


 俺の木剣が、ドランの木剣へ当たる。


 思っていたより衝撃が強い。


 けれど、足は前へ流れなかった。


 振り終えた木剣を戻す。


 そこで初めて、自分が身体強化を維持したままだと確かめた。


「……当たりましたね」


「見れば分かる」


「今のは?」


「力みすぎだ」


「駄目ですか」


「誰が駄目だと言った」


 ドランが木剣を下ろした。


「もう一回」


「はい」


 同じ場所へ戻る。


 今度は、さっきより少しだけ柄を握る力を抜いた。


「来い」


 前へ出る。


 木剣を振る。


 また乾いた音が鳴った。


 今度は一度目ほど腕に衝撃が残らなかった。


「次」


 三度目。


 四度目。


 五度目。


 途中で一度、身体強化が切れた。


 魔力を保つことを忘れていたらしい。


 掛け直して、また構える。


 さっきまでなら、そのたびに足の位置から考え直していた。


 今は、とりあえずドランが差し出した木剣を見る。


「来い」


 踏み込む。


 打つ。


 戻る。


「次」


 もう一度。


 打つ。


 戻る。


「次」


 何度目かを終えたところで、ドランが木剣を下ろした。


「休め」


「もうですか?」


「もうじゃねえ」


 そう言われて初めて、息が少し上がっていることに気づいた。


 身体強化を解く。


 腕が重くなる。


 ヴェラが水筒を持ってきた。


「どうぞ」


「ありがとうございます」


 受け取って、一口飲む。


「外から見て、どうでした?」


 聞くと、ヴェラは少し考えた後に口を開いた。


「最初の頃は、振った後に足が動いていました。最後の方は、それが少なかったと思います」


「やっぱり最初は酷かったんですね」


「酷いとは申しておりません」


「優しい言い方をありがとうございます」


 エルザも近くへ来た。


「身体強化は途中で一度切れましたね」


「はい。剣の方を見てたら忘れました」


「それも、今は仕方ないと思います」


「エルザさんは忘れないんですよね」


「今は、です」


「最初は?」


 エルザは少し考えた。


「私も最初は全身に使っていましたけど、今は使い方を変えていますから」


「変えた?」


「必要な時だけ、短く使っています」


「そうでしたね」


「はい。ですから、全身の強化をノワールさんが覚えていくところを見るのは、新鮮です」


 そう言ってから、俺の木剣へ視線を落とした。


「でも、さっきの方が自然でした」


「最後の方?」


「はい。最初は身体強化を使うたびに、ご自分の足や身体を気にしていましたから」


 俺も木剣を見る。


 最後の数回は、ドランが差し出した剣へ当てることしか考えていなかった。


 身体強化が一度切れたのだから、うまく使えているとは言えない。


 それでも、足と腰と肩を順番に考えていた時よりは動けた。


 ドランが腰掛けの近くへ木剣を戻す。


「今日は終わりだ」


「もうですか?」


「腹減ってねえのか」


 言われて、少し考える。


 確かに減っている。


 空を見ると、稽古を始めた時より陽が傾いていた。


「そんなにやってました?」


「陽の高さもわからなくなったか」


「集中してたみたいです」


「なら、その集中を足に使うな」


「どういう意味です?」


「明日も来い」


「説明は?」


「稽古で覚えろ」


 やっぱり言葉で全部説明する気はないらしい。


 木剣を戻し、鞄を持つ。


「明日も、剣でいいですか?」


 念のため聞いた。


「歩くところからだ」


「戻ってません?」


「お前は先に進むと前のことを忘れるからな」


「俺のことを理解してくれているんですね」


「帰れ」


「はい」


 板垣へ向かう。


 後ろで、エルザが小さく笑った。

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