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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第四章 札がなくても

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第116話 歩くだけ


 職人区へ戻る頃には、昼が近くなっていた。


 石畳を抜けて稽古場へ向かう間も、鞄の中の魔法書が気になった。重さは大したことがない。けれど、腰へ角が当たるたびに、買ったばかりの本のことを思い出す。


「ノワール様、楽しそうですね」


「まだ何もしてませんよ」


「だからでしょうか」


 ヴェラの言葉の意味が深い気がする。隣のエルザを見る。彼女は小さく笑っていた。


「最初は、歩くところからにしましょうね」


「分かってます。いきなり走ったりしません」


「剣も振りませんよ」


「……それも分かってます」


 剣も振りたい。


 稽古場の板垣をくぐると、ドランは庇の下で木剣を削っていた。俺たちの足音に顔を上げる。


「調べたのか」


「はい。適性を見てもらいました。普通だそうです」


「そうか」


「もっと何か感想はありませんか?」


「普通だったんだろ」


「そうですけど」


 良かったなくらい言って欲しい。


 ドランは木剣の表面を親指で確かめ、削り屑を払った。


「覚えるなら、そっちに見てもらえ。俺は面倒だ」


 顎で示された先にいるのはエルザだ。


「……俺は面倒だということは、師匠も身体強化を使えるんですか?」


「使える。適性がありゃ、身体強化を選ぶ剣士は多い」


 なるほど。それもそうか。


「だったら少しくらい……」


「使い方を一から教えるのが面倒だと言ってんだ。剣の振り方は見てやる」


「さぼりたいんですね」


「文句があるなら聞くぞ」


「ありません」


 返事をすると、ドランは鼻を鳴らした。


 エルザが稽古場の端にある腰掛けを指した。そこへ鞄を置き、魔法書と、ミラから渡された折り畳みの紙を取り出す。


「先に説明を確認しましょう」


「はい」


 紙には使用前の確認と、習得の手順が簡潔に記されていた。魔法書を開いて記載を読み、指定された頁へ手を置く。そのまま魔力を流し、習得が終わるまで途切れさせない。一冊で習得できるのは一人だけらしい。


「これ、読み終わったら消えませんか?」


 ゲームならきっと消える。


「え? 本が消えるってことですか? 消えませんよ?」


 ヴェラが不思議そうに答える。当然の反応だ。本が消えるとか言ってる奴はおかしい。こういうところがヴェラに心配をさせてしまうのかもしれない。ごめん。


「……魔法の使い方も書いてあるんですかね」


「私は、身体強化を最初から使えましたので。魔法書に何が書いてあるか興味あります」


「俺もです。水魔法は最初からでしたし」


「私は治癒魔法を覚える時に使いました」


 ヴェラが、開いた本へ視線を落とした。


「その紙に書いてある通り魔力を流して、終わるまで手を離さないようにしました。途中で少し気になっても、慌てず続ければ大丈夫です」


「気になってもって、何がですか?」


「いつ終わるのか、です」


「ああ。それは気になりますね」


 俺なら間違いなく気になる。


 説明をもう一度読んでから、魔法書を指定された頁で開いた。図には人の身体と、そこを巡る魔力の流れが描かれている。文章にも目を通したが、読み方を知っただけで使える気にはならなかった。


「ここに手を置けばいいんですね」


「はい。落ち着いて魔力を流してください」


 右手を頁へ重ね、ヴェラの言う通りに焦らずゆっくりと魔力を流した。


 紙の下で淡い光が広がる。頁に描かれた線が少しずつ明るくなり、指先から腕へ、何かが伝わってくるような感覚があった。


 水魔法を使う時とも違う。魔力を外へ押し出すのではなく、自分の身体へ向けるための道筋が、順番に示されているようだった。


 手を離さずにいると、光はゆっくり弱まり、やがて消えた。


「……終わりですか?」


 念のため紙を見直す。エルザも本を確かめた。


「説明にある終了の状態と同じですね。何か変わりましたか?」


「使い方が、なんとなく分かるようになりました」


 言葉にすると妙だが、そうとしか言いようがない。さっきまで文章で追っていた魔力の通し方を、今なら自分で試せそうだった。


 手を離し、頁をめくる。文字も図も残っている。光っていた跡もない。


「本はこのまま使えるんですね」


「もちろん読めます」


 ヴェラが答える。


「高かったので助かります」


 エルザが笑った。


 魔法書を鞄へ戻し、稽古場の中央へ出た。ドランはいつの間にか木剣を置き、こちらを見ている。


「まず、何も持たずに立ってください」


 エルザの指示に従い、足を肩幅ほどに開く。


「身体の一か所だけを強くしようとしないで、全体へ通すつもりで。最初は強くしなくていいです」


「はい」


 さっき覚えた道筋を思い浮かべ、魔力を流してみる。


 うまくいかない。


 何も起きなかった、というより、流し始めるところで引っ掛かった。水魔法なら迷わないはずの魔力が、身体の内側へ向かうところで止まる。


「どうですか?」


「まだ、うまく通せてない感じです」


「急がなくて大丈夫です。もう一度、最初から」


 息を吐き、改めて魔力を動かす。今度は身体の内側へ魔力が広がり、腕も背中も、足元までいつもとは違う力の入り方をする感覚があった。


「……あ。今、通った気がします」


「では、少しだけ動いてみましょう。ご自分で維持できているかも確かめてください」


 手を握って開く。足の裏へ体重を掛け直す。身体が軽いような気もするが、立っているだけではよく分からない。


「魔力は流れています。たぶん、維持もできています」


「なら、歩いてみてください」


 右足を出した。


 思っていたより足が前へ出る。慌てて左足を運ぶと、今度は歩幅が大きくなった。三歩目でようやく止まったが、いつもの位置より随分先にいる。


「……歩くだけで、これですか」


「いつもより大きく踏み出していましたね」


 エルザが俺の足元を見る。


「魔力の感覚はどうですか?」


「まだ流しています。足だけじゃなくて、身体全体に力が入る感じです」


「それなら、今は歩幅を小さくしてみましょう」


 後ろからドランの声が飛んだ。


「小さくするんじゃねえ。いつも通りに歩け」


「それが難しいんですが」


「だからやれ」


 あなたの出番は剣を振る時ではなかったのですか。


 俺は無言で元の位置へ戻り、もう一度歩く。今度は足を出し過ぎないよう意識した。すると、踏み出しは抑えられたものの、腰が遅れて上半身が置いていかれる。


「止まれ」


 ドランが声を掛けた。


「足だけ気にするな。腰から上が遅れてる」


「身体強化って、足だけ速くなるわけじゃないですよね?」


「当たり前だ」


 ドランは腰掛けから立ち上がった。


「魔法が全身でも、お前の動きが全身じゃねえ」


 妙に納得できる言い方だった。


「いつもの稽古と同じですね」


「同じことを何度も言わせるな」


 言われてみれば、普段から足と腰と肩を別々に動かすなと叱られている。身体強化を覚えたところで、その問題まで解決するわけではなかった。


「いったん止めてみましょうか」


 エルザの声に頷き、魔力を流す意識を解く。身体を巡っていた感覚が薄れ、足元がいつも通りに戻った。


「止めました」


「違いは分かりますか?」


「はい。さっきまでの方が、少し力が入りやすかったです」


「もう一度、発動してみましょう」


 今度は最初より早く魔力が通った。それでも、歩き出す前に全身へ行き渡るのを待たなければならない。動きながら自然に使えるほど慣れてはいなかった。


 ゆっくり歩き、止まる。戻って、また歩く。


 何度か繰り返すうちに、最初ほど大きく踏み出さなくなった。代わりに、魔力を保つことと足の位置を気にすることが重なり、普段よりずっと頭を使う。


「ノワール様、今の足跡は、先ほどより手前ですね」


 ヴェラが地面を指した。乾いた土に残った跡を見比べると、確かに歩幅が少し戻っている。


「本当ですね」


「ただ、止まる時に少し身体が前へ流れていました」


「そこもですか」


「そこも、です」


 エルザまで頷く。


「よく見てますね、二人とも」


「ドランさんほどではありませんよ」


 そのドランが、稽古場の中央へ顎をしゃくった。


「いつもの踏み込みをやってみろ。剣は持つな」


「はい」


 足の位置を決め、腰を落とす。魔力はまだ身体へ通っている。いつも通り、足を出して、腰を運んで、そこで止まる。


 そう考えて踏み込んだ。


 足が予想より先へ出た。腰を追いつかせようとして、今度は肩まで前へ流れる。慌てて踏ん張り、どうにか止まった。


「最後が流れた」


「どうすればいいですか?」


「自分の身体に聞け」


 ドランが腕を組む。


「お前はいつになったら、考えずに動けるようになる」


「考えないと、足と腰がばらばらになるんですが」


「だから稽古してんだろうが」


「そうでしたね」


「いちいち足だ腰だと考えてるうちは、剣を振る前に相手に斬られるぞ」


 返す言葉が見つからなかった。考えないで動けと言われても、今は考えなければ余計に崩れる。


 考えずに動ける日が来るのだろうか。


「もう一回ですか?」


「その前に戻れ。今の位置から続けるな」


「はい」


 足を戻し、構え直す。魔力の流れを確かめてから、もう一度踏み込んだ。


 今度は歩幅を抑えられたが、止まった時に右肩が少し前へ残った。


「肩」


「はい」


「次」


 短い指示に従い、また元の位置へ戻る。


 三度目は足を置くところまでよかった。ところが、そこで魔力を維持する意識が途切れたらしく、身体を巡っていた感覚が消えた。


「あれ」


「どうしました?」


「今、切れました。足を止める方に気を取られて」


「それなら、もう一度掛け直す前に休みましょう」


 エルザが言った。


「まだ続けられますよ」


「続けられるのと、続けた方がいいのは別です」


 ヴェラが水筒を差し出してくる。


「まず、お水を」


「……いただきます」


 受け取って口をつけると、思っていたより喉が渇いていた。


 ドランは俺の足跡を見下ろし、鼻を鳴らした。


「魔法を覚えたからって、稽古が減るわけじゃねえぞ」


「増えた気がします」


「増やしたのはお前だ」


「困りました」


 エルザが笑い、ヴェラも口元を緩めた。


 腰掛けへ戻って魔法書を開く。習得に使った頁には、さっきと同じ図が残っていた。全身へ魔力を通す線を指で追い、稽古場に残る自分の足跡を見た。


 朝までなかった力は増えた。扱う方は、朝のままだった。


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