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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第四章 札がなくても

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第115話 光るかどうか


 〈鈍色亭〉へ戻ると、エルザとヴェラは食堂の端の卓にいた。


 エルザの前には開いた手帳があり、ヴェラは湯気の残る杯を両手で持っている。リンはエルザの髪際で静かに揺れていた。


「お帰りなさい」


「ただいまです」


 椅子を引く前に言う。


「身体強化の適性、見てきます」


 エルザが手帳から顔を上げた。


「今からですか?」


「はい。ドランさんにも、先に見てもらえと言われたので」


「私たちもご一緒してよろしいでしょうか」


 ヴェラが杯を置く。


「もちろんです」


「では、私も行きます」


 エルザが手帳を閉じた。


 三人で宿を出た。


◆


 午前の冒険者ギルドは、依頼へ出る人間が一段落した後だった。


 依頼板の前にはまだ何人か残っているが、朝一番ほど混んではいない。受付の奥では紙をめくる音と、木札を重ねる乾いた音がしていた。


 空いた窓口へ向かうと、ミラがこちらに気づいた。


「おはようございます。今日は依頼ですか?」


「いえ。身体強化の適性を見てもらいたいんですが」


 ミラの手が止まる。


「身体強化ですか?」


「はい」


「新しく覚えるおつもりで?」


「使えるなら」


 そこまで言ってから付け足す。


「まだ適性があるかも分かりませんけど」


「そうですね。では、まず判定からにしましょう」


 ミラは俺の登録票を確認した。


「ノワールさんは水魔法をお持ちですが、身体強化は別系統です。反応があれば、対応する魔法書を購入できます」


「光らなかったら?」


「身体強化は覚えられません」


「分かりました」


「少々お待ちください」


 ミラが席を離れた。


 奥の棚から厚い布に包まれたものを持って戻ってくる。布を開くと、両手で包めるくらいの透明な水晶玉が現れた。


 台座ごと卓へ置かれる。


「こちらへ手を添えてください。普段、魔法を使う時と同じ感覚で大丈夫です」


「はい」


 右手を水晶へ置く。


 ひんやりしていた。


 水魔法を使う時の感覚を思い出し、そのまま水晶へ意識を向ける。


 最初は何も起きなかった。


 透明なままの水晶が掌の下にある。


 少し待つ。


 やがて中心がぼんやりと明るくなった。


「お」


 思わず声が出た。


 近くの依頼板にいた男が、こちらを振り返った。その隣で木札を見ていた女も、水晶へちらりと目を向ける。


「身体強化か」


「普通くらいじゃない?」


 小さな声が聞こえた。


 珍しい見世物というほどではないらしい。それでも、新しく魔法を覚えようとしている人間がいれば、少しくらいは気になるようだった。


 光はゆっくり広がり、それ以上強くなることなく止まった。眩しくはないが、見間違えるほど弱くもない。


「そのままでお願いします」


 ミラが水晶を見る。


 数秒待つと、光が薄れて消えた。


「もう大丈夫ですよ」


 手を離す。


「どうですか?」


「適性はあります。反応は普通ですね」


「普通」


「はい。標準的です」


 もう一度、水晶を見る。


 特別強くも、弱くもない。普通。


 悪くない。


「反応が強いと、身体強化も強くなるんですか?」


「同じ使い方なら、魔力を少なく使いやすくなります」


「消費が違う?」


「そうです。適性が低い方は同じ魔法を使っても魔力を多く使います。高い方は少なく済みます」


「燃費みたいなものですか」


 ミラが少し考える。


「言い方は分かりませんが、意味は近いと思います」


「じゃあ、普通なら普通の消費ですね」


「だいたいは。ただ、上手に使えるかどうかは別ですよ」


「そこは別なんですね」


「はい。長く使っている方の方が、必要な時だけ使ったり、無駄を減らしたりするのは上手です」


 それなら分かりやすい。


 適性が高ければ、同じ魔力量でも長く使える。試せる回数も増える。


 けれど、水晶が使い方まで教えてくれるわけではない。


「身体強化の魔法書はありますか?」


「ありますよ」


「買えます?」


「今の反応なら問題ありません」


 ミラが金額を確認し、こちらへ示した。


 自分の革袋を開く。手持ちで足りる。


「お願いします」


「分かりました」


 ミラが再び奥へ向かった。


「普通でしたね」


 エルザが言う。


「普通でした」


「残念ですか?」


「いえ」


 首を振る。


「使えるなら十分です」


 ヴェラが頷いた。


「おめでとうございます」


「ありがとうございます」


「兄ちゃん、身体強化か?」


 横から声がした。


 さっき依頼板にいた男だった。使い込まれた革の胸当てを着け、片手には選んだらしい依頼札を持っている。


「はい。普通でした」


「俺もだ」


 男が自分の胸を親指で示した。


「今でも普通に使ってる。覚えたばっかりの頃は、何が変わったのかよく分からなかったけどな」


「そういうものですか」


「俺はな」


 男はそれだけ言って、依頼札を持ったまま別の受付へ歩いていった。


 隣にいた女が後ろから声を掛ける。


「早くしないと、その依頼取られるよ」


「分かってる」


 二人はそのまま受付の列へ入った。


 俺は少しだけその背中を見る。


 普通でも、使っている人はいる。


 当たり前のことだが、実際に聞くと少し違った。


 戻ってきたミラが、一冊の本を卓へ置いた。


 厚くはない。表紙には大きな擦れもなく、閉じたまま革紐で留められている。


「身体強化の基礎魔法書です」


 手に取る。


 見た目より少し重い。


「これで覚えられるんですね」


「基礎は。ただし、覚えた後は実際に使いながら慣れてください」


「はい」


 代金を払い、手続きを済ませる。


 ミラが折り畳んだ紙を一枚、魔法書の横へ置いた。


「使用前に、こちらも確認してください。習得の手順と注意事項です」


「分かりました」


 紙も受け取り、魔法書を鞄へ入れようとして手が止まった。


 表紙を見る。


 開いてみたい。


 朝、ドランに言われたことを思い出す。


 ――速くなれば下手が消えると思うな。


 革紐から手を離した。


「どうされました?」


 ヴェラが尋ねる。


「いえ。今は開かないでおきます」


 エルザが魔法書を見る。


「宿へ戻ってからですか?」


「最初に使うところまでやりたくなりそうなので、場所を決めてからにします」


「それがいいと思います」


「エルザさん、身体強化は使えますよね?」


「はい」


「最初に使う時、見てもらってもいいですか?」


 エルザは頷いた。


「もちろんです」


「私もご一緒してよろしいでしょうか」


「お願いします」


 魔法書と折り畳んだ紙を鞄へ収め、受付を離れた。


 ギルドの扉を開けると、午前の日差しが石畳へ落ちていた。


 歩き出す。


 鞄の中で、魔法書の角が腰へ当たった。


 さっきまで入っていなかった重みだけが増えていた。

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