第111話 紹介したい人
朝食の席で、ヴェラが俺の方を見た。
「ノワール様、今日の午後はエリカ様のところへ伺う予定です」
「覚えてますよ」
答えてから、昨日もらった紙を取り出して見せた。折り目のついた紙には、たしかに三人で来てほしいと書かれている。
「ほら」
「はい」
ヴェラは安心したように頷いたが、隣のエルザは俺の手元を見ていた。
「それ、ずっと腰の袋に入れていたんですか?」
「そうですよ」
「……ずっと入れっぱなしにして紙をぐちゃぐちゃにする人ですか?」
「なんでわかるんですか?」
子供のころからそうだった。
エルザは深いため息をついた。
ヴェラが笑いながら焼いたパンをちぎる。
昨日の探索で持ち帰った話は、朝になっても変わらなかった。地図にない左の道。その奥の広い場所。そして、一度きりの音。
気にはなるが、今日はそこへ戻る日ではない。
「そういえば、脚具はどうでした?」
俺が聞くと、ヴェラが自分の右脚へ目を落とした。
「昨日の夜に外して確認しました。赤みも痛みもありません」
「良かったです」
エルザが頷く。
「しばらくは、休憩のたびに確かめていきます」
「それにしても、紹介したい人って誰でしょうね」
俺が聞くと、エルザは首を傾げた。
「エリカさんの知り合いなのは間違いないと思いますけど」
「それはそうですね」
「何のお話かも聞いていませんから、行ってみるしかありません」
ヴェラはすでに食事を終えている。二人のやり取りを聞いてから、静かに口を開いた。
「手土産は必要でしょうか」
「お呼ばれしただけですし、そこまでしなくてもいいんじゃないですか」
「では、時間に遅れないようにしましょう」
その言葉には、俺もエルザも素直に頷いた。
◆
午後の王都は、朝より人通りが増えていた。
通りの向こうから荷車が来ると、三人で店先へ寄って道を譲る。車輪が石畳の継ぎ目を越えるたび、積まれた木箱が小さく鳴った。
エルザはいつもの鞄を肩に掛けている。リンは髪際に留まり、ときどき通りを見回しては鈴を鳴らした。
「今日は剣も盾も必要なさそうですね」
「そういう日の方がいいですよ」
俺が言うと、ヴェラは腰の短槍の位置を見た。
「持っている方が落ち着きます」
「それは分かります」
結局、俺も普段の剣を帯びている。王都で暮らすようになってから、外す方が落ち着かなくなった。
エリカに指定された場所へ着くと、案内を受けて中へ通された。以前にも来た建物だが、用事のたびに通る部屋は少し違う。
今日の応接室には、窓際に小さな卓が置かれていた。椅子は五脚。卓には水差しと杯が用意されている。
「三人とも、来てくれたんですね」
エリカが立ち上がって迎えてくれた。
「お呼びいただきましたので」
「急にすみません。昨日のうちに伝言が届いてよかったです」
「ミラさんから受け取りました」
エリカに勧められて腰を下ろす。ヴェラが椅子を引く間、エルザはリンが髪に引っ掛からないよう少し首を傾けた。
「紹介したい方がいらっしゃるとか」
「ええ。もうすぐ来るはずです」
「冒険者の方ですか?」
「冒険者でもありますが、魔法の種類によっては、私よりずっと詳しい人ですよ」
思わず顔を上げた。
「エリカさんより?」
「分野によって、ですよ」
そう訂正したエリカが、扉の方を見る。
軽いノックがした。
「どうぞ」
入ってきたのは、俺より背の高い男だった。外套の留め金を外しながら、こちらの三人を順に見る。手ぶらに見えたが、腰には使い込まれた小さな鞄があった。
「お、もう来てたのか」
「あなたが最後です」
「約束の時間には間に合ってるだろ?」
「それはそうですけど」
男はエリカの返事を聞いて笑った。
「悪い悪い。こっちの仕事がちょっと長引いてな」
言いながら俺たちへ向き直る。
「初めまして。シオンといいます」
俺たちも立ち上がり、順に名乗った。エルザが〈コンパス〉の名を告げると、シオンはすぐに頷いた。
「君たちが〈コンパス〉か。話は聞いてるよ…って呼んだんだから当たり前だけどな」
シオンはそう言って人懐っこい笑顔を浮かべる。
「どんな話でしょう」
「仕事をきちんと持って帰ってくる三人だってさ」
思っていたより地味な紹介だった。
「……戦いが強いとか、そういう話ではないんですね」
「そっちがよかった?」
「ちょっとだけ」
シオンが声を出して笑った。エルザは呆れたように首を振っている。
「ノワールさん。実体のない評価を求めないでください」
「……そんなことありませんよ」
「……本当に残念そうですね」
エリカまでこちらを見るので、俺は座り直した。
◆
「シオンは、私と長く一緒に仕事をしている魔法師です」
全員が席に着くと、エリカが改めて説明してくれた。
「扱える魔法の種類が多くて、特に実戦では頼りになります……普段はこんなですけど。それで、今日は皆さんに会いたいと言われまして」
「シオンさんが、ですか?」
「そうそう。実は、君たちと一緒にいる精霊に興味があってね」
シオンの目がエルザの髪際へ向いた。リンがちりんと鳴る。
「リンのことですか?」
「女神像で食事をする精霊がいるって聞いたんだよ。一度見てみたくてさ」
「……それが目的ですか?」
「気になるだろ? 女神像の上で飯を食う精霊なんて、俺は初めて聞いたぞ」
言われてみれば、たしかに変わった話だ。こちらは何度か見ているので、もう驚かなくなっていたけれど。
「リン。ご挨拶できますか?」
エルザが声をかけると、リンは髪際から浮かび上がった。シオンの前まで飛んでいき、差し出された指の周りを一度回る。
「おお、本当に小さいな。よろしくな、リン」
ちりん、と返事のような音がして、リンはエルザのところへ戻った。
エルザは戻ってきたリンを少し見つめていた。
「わざわざ呼んでもらって悪かったな。よろしく頼むよ」
「よろしくお願いします」
シオンが気軽に片手を上げる。
「魔法の種類が多いんですか」
「まあ、それなりには。得意なものを一つ磨く人もいるけど、俺は色々使う方が好きでね」
「それは、ちょっと羨ましいですね」
「ノワールは剣を使うって聞いたぞ。魔法も?」
「水魔法を少し。それと、氷も使えるようになりました」
「へえ。二つ扱うんだ」
シオンの視線が俺の腰の剣へ移る。
「剣士で魔法も使うのか。忙しそうだな」
「実際、忙しいですよ」
「だろうな、全く違う事を一緒にやる感じだもんな」
それから、シオンはエルザとヴェラにも普段の役割を尋ねた。
エルザが短剣と身体強化魔法を使い、灯りや記録も担当していること。ヴェラが丸盾と短槍で前に立ち、治癒魔法も使うこと。シオンは途中で何度か聞き返したが、試すような質問はしなかった。
「三人で、ちゃんと役割が分かれてるんだな」
「まだ失敗も多いですけどね」
俺が言うと、ヴェラが静かに頷いた。
「前に立つ時、うまく動けなかったこともあります。今は新しい脚具を使い始めたところです」
「そうなのか。今日は具合は?」
「昨日、ダンジョンで使いました。痛みはありませんでした」
「そりゃよかった」
シオンはそれ以上、脚具のことを詮索しなかった。
水差しに手を伸ばしたところで、リンがまた髪際から少し浮かび上がった。シオンの腰にある小さな鞄が気になったのか、その近くまで寄っていく。
「おっと。こっちにも興味があるのか?」
「気になるものがあると、すぐ見に行くんです」
エルザが少し笑う。リンは鞄の留め金の前で一度鳴くと、何事もなかったように戻ってきた。
「随分、人懐っこいな。女神像のところでも、あんな感じなのか?」
「食べている時は、もっと夢中ですよ」
俺が答えると、シオンは楽しそうに笑った。
それから卓の上の空いた場所へ目を向けた。
「そうだ。魔法はどのくらい見慣れてる?」
「え?」
「ちょっと見せたら、面白がってくれるかなと思って」
「シオン」
エリカが名前を呼ぶ。
「ここで危ないものは使いませんよ」
「そういう意味だけで言ったわけではありません」
「分かってるって」
シオンがまた笑う。
俺は思わず身を乗り出した。
「見せてもらえるんですか?」
「お、興味ある?」
「あります」
「即答だな」
隣でエルザが小さく息を吐いた。ヴェラは俺とシオンを見比べている。
シオンが空の杯を卓の端へ寄せた。
「じゃあ、まずは簡単なものからにしようか」




