第106話 止まって受ける
脚具を合わせてから、二日が経った。昼食を終えた頃、女将に呼ばれた。
入口脇には、装具店の使いだという少年が立っていた。
「ヴェラさんの脚具、もう一度合わせたいそうです」
「分かりました。ありがとうございます」
ヴェラが答えた。少年が帰ると、ヴェラはそのまま階段へ向かった。
「盾、持ってきます」
「お願いします」
少しして戻ってきたヴェラの左腕には、いつもの丸盾が通されていた。エルザも鞄を持ち上げる。髪際ではリンが白い光を小さく揺らしている。
「では、行きましょう」
三人で〈鈍色亭〉を出た。
◆
装具店の奥では、前回の仮組みが作業台の上に置かれていた。見た目に大きな違いはない。
ただ、右脚の外側を支えていた金具は前より少し低い位置へ移り、革帯の通し方も変わっている。足首に近いところには、前にはなかった小さな留め具が増えていた。
「外へ逃げるのを止める形にした」
職人が脚具を持ち上げる。
「前は上で支えすぎてた。盾に重さを掛けると、下がついてこなかった」
「それで外へずれたんですね」
ヴェラが作業台へ近づいた。
「履け」
「はい」
ヴェラは丸盾を壁際へ置き、腰掛けへ座った。今使っている脚具を外し、仮組みへ右足を通すと、職人が革帯を下から順に締めていった。
「前より下がきついか」
ヴェラが足首を何度か動かす。
「少しだけ。でも、締めつけられている感じではありません」
「立て」
ヴェラが立ち上がり、その場で右足へ体重を掛けて左へ戻す。それから店の中を何歩か歩いた。
右へ一歩。
止まる。
左へ戻る。
もう一度右へ。
「痛いところは」
「ありません」
「当たるところ」
ヴェラが足首を曲げてから首を振った。
「今はありません」
「盾を持て」
「はい」
丸盾が左腕へ戻る。職人が顎で俺を示した。
「前と同じだ」
「立ってる役ですね」
「分かってるなら立て」
「はい」
前回と同じ場所へ移動する。ヴェラが数歩離れ、丸盾を身体の前へ構えた。
「行きます」
「どうぞ」
右足が床を蹴る。丸盾と身体が横へ動き、俺の前へ入った。
止まる。勢いが弱いわけではない。身体が止まったあとに、右足だけが遅れて位置を探すような動きもなかった。
ヴェラもすぐには足元を見ない。
「どうだ」
職人が聞く。
「止まりやすいです」
ヴェラが構えを保ったまま答える。
「脚具も動いていないと思います」
「思いますじゃなくて確かめろ」
「はい」
そこで盾を下ろし、右脚を見る。革帯の位置を指で触り、足首を前後へ動かした。
「動いていません」
「なら次だ」
職人が俺を見る。
「前へ回れ」
「はい」
ヴェラの横を通り、丸盾の正面側へ回る。これで、俺とヴェラの間に盾がある。
「押せ。最初は軽くでいい」
ヴェラへ目を向ける。
「大丈夫ですか?」
「はい。お願いします」
丸盾の正面へ両手を当て、ゆっくり体重を掛ける。盾が少し後ろへ動き、ヴェラの右膝がわずかに曲がった。
右足は横へ逃げない。
「もう少し」
職人に言われ、押す力を強める。
ヴェラが短く息を吐いた。
盾の裏で身体が少し沈む。前回はここで脚具が外側へずれたが、今日は右足からずれず、その場に収まっている。
「止めろ」
手を離した。
ヴェラはすぐに構えを解かず、盾の位置を戻してから身体を起こす。それから右足へ体重を移した。
「どうです?」
「大丈夫です」
職人へ答える。
「外へ動きませんでした」
職人がしゃがみ込み、足首の留め具と外側の金具を確かめた。
「当たりは」
「ありません」
「痛み」
「ありません」
「押された時は」
ヴェラが少し考える。
「脚具で止められた、という感じはしませんでした」
「足で受けた感じか」
「はい」
職人が金具を指で押した。
「なら、前よりはましだな」
まし、らしい。
ヴェラはその言葉に何も返さず、もう一度丸盾を構えた。
「一つ、試してもいいでしょうか」
「何だ」
「正面ではなくて、斜めから受けた時も見たいです」
職人がヴェラを見る。
「何でだ」
「敵が正面から来るとは限りませんので」
ヴェラはそう言って、俺の方を向く。
「前へ入ったあと、横から力が掛かることもあります」
「そうですね」
「やってみろ」
職人が言った。
「ただし、いきなり強く押すな」
「はい」
もう一度、俺は最初の位置へ戻る。ヴェラが距離を取り、丸盾を構えた。
「行きます」
右へ踏み出す。
俺の前へ入るように盾が差し込まれた。
そこで止まる。
俺はヴェラの横を回り、今度は盾の正面から少し右へずれた位置へ立つ。
「押しますよ」
「はい」
盾の右寄りへ手を当て、斜めからゆっくり力を掛ける。丸盾の面がわずかに傾き、ヴェラの肩も一緒に動いた。
少し押す力を強めても、脚具は外へずれなかった。
ヴェラは押し返さず、盾の角度を変える。俺の手が外側へ流れ、同時に身体も正面へ戻っていく。
右足が、その動きについてきた。
「止めろ」
手を離す。
ヴェラは盾を下ろさなかった。そのまま一度、右へ踏み直す。止まり、身体を正面へ戻す。もう一度。
「ヴェラさん?」
「少し待ってください」
今度は右足へ重さを掛け、そこから盾を前へ押し出した。止まり、戻す。
やっと盾を下ろした。
「どうだ」
職人が聞く。
「当たりません」
「他は」
「右へ動く時も、止まる時も大丈夫です」
ヴェラが自分の右脚を見る。
「押されたあと、戻す時も遅れませんでした」
「遅れない?」
「はい。今までの脚具では、身体を戻してから右足がついてくる感じが少しありました。今は、一緒に動きます」
職人が黙って脚具を見る。
「他にやりたい動きは」
職人が聞く。
ヴェラはすぐには答えず、丸盾を構え直した。
右へ一歩出る。止まり、少し身体を沈める。そこから後ろへ一歩戻った。
次は左へ。最後に、もう一度俺の前へ入る。
盾の縁が視界の前へ来た。
「どうです?」
俺が聞く。
ヴェラは足元ではなく、正面を見たまま答えた。
「今は、気になるところはありません」
「本当にか」
職人が念を押す。
「はい」
返事は早かった。
「今の動きなら、このまま使いたいです」
職人が短く頷く。
「なら形はこれで決まりだ」
ヴェラが右脚へ目を落とした。
「完成ですか?」
「まだだ」
「あ」
「仮の留め具を本番の物に替える。革の端も処理する。金具も仕上げる」
職人が脚具の外側を指で叩く。
「今持って帰ったら、すぐ傷む」
「それは困ります」
「だから置いていけ」
「はい」
ヴェラが腰掛けへ戻り、仮組みを外して今まで使っていた脚具へ履き替えた。
職人は仮組みを作業台へ戻したが、今度は白墨へ手を伸ばさなかった。
「次は持って帰れますか?」
「仕上げたあと、最後に履かせる」
職人が工具を手に取る。
「今日と同じように動いて、問題がなけりゃ終わりだ」
「分かりました」
ヴェラが頷いた。
「今日のところは?」
「問題ない」
「……良かったです」
小さな声だった。すぐ隣にいた俺には、はっきり聞こえた。
職人が仕上げる場所を確かめている間、エルザが作業台の横から尋ねた。
「最後の確認でも、今日と同じ動きをしますか?」
「ああ」
「では、盾も持ってきます」
「そうしろ」
俺も作業台を見る。
「俺の役目は、もう終わりですかね」
職人が顔を上げた。
「完成品を押してずれたら困るだろうが」
「まだ残ってました」
「良かったですね、ノワールさん」
エルザが言う。
「良かったんですかね」
「私は助かります」
ヴェラが答えた。
「それなら良かったです」
職人は工具を作業台へ並べ直す。
「次で終わらせる。伝言を出すまで待て」
「お願いします」
ヴェラが頭を下げる。
店を出ると、午後の日差しが職人区の石畳へ斜めに落ちていた。しばらく歩いたところで、ヴェラが口を開いた。
「次は、受け取りですね」
「最後にもう一度確認してからですけどね」
「はい」
ヴェラは前を向いたまま答えた。
「それでも、形は決まりました」
「そうですね」
エルザも隣で頷く。
「次は持って帰れそうです」
ヴェラは丸盾を持ち直し、少しだけ口元を緩めた。
エルザがそれを見て、小さく笑った。
俺も二人の横へ並んだ。




