第4話『氷菓と愛される娘』
日差しが強まる真昼、二人が訪れた水茶屋は、噂の削り氷を求める客で賑わっていた。
「す……凄い繁盛してますね。座敷が空いてるか、聞いて参ります」
「いや、僕は外がいい。おいで、霜吉」
汗ばむ霜吉の手を引いて、氷蔵が向かったのは、敷地内にある少し開けた空間だった。竹で建物の骨組みを作り、天井に簾を敷いて日除けにし、いくつか風鈴を吊り下げた半屋外がある。中には、木作りの腰掛けが複数置かれていた。
氷蔵は、腰掛けのひとつに座っていた、恰幅のいい男性に近づいた。
「ねぇ、そこの旦那。ちょいと相席させちゃくれないかい?」
「えっ……?」
「干上がっちまいそうな天気だ、こんな日は座ってゆっくり、冷たいものを食べたいんだけどさ。生憎この賑わいだろう? あたしは気が小さいから、優しそうな旦那しか頼るあてがないんだ。ねぇ、お願いだよ」
声に悲哀を滲ませて、小首を傾げる氷蔵に、名も知らぬ旦那は硬直していた。
氷蔵は、化粧を落とした素の姿でも、危ういほどの色気をまとっている。妖の類に化かされた、あるいは暑さで幻覚を見ているのではないかと、自分の感覚を疑っているのだろう。
霜吉は、うんうん……と同情の面持ちで頷いた。
「あ、あぁ……構わねぇが……」
我に返って、まごつく旦那が端へずれると、霜吉を振り返った氷蔵がにこりと笑った。
「よかったね、霜吉。じゃあ、御前はこの優しい旦那の隣に座るといい。僕は、知らない男と肩を付けるのは嫌だからね。旦那と一緒に御前を挟むよ」
「えぇ……」
氷蔵が美しかったから、旦那も譲ってくれたんだろうに――とは言えない霜吉。絶句する旦那に断りを入れると、促されるまま真ん中に座った。忙しそうに歩き回る、水茶屋の娘を捕まえる。
「すみません」
「はいはい何でしょう!」
溌剌とした明るい声で、胸に盆を抱えた娘がやってくる。団子頭の愛らしい彼女は、氷蔵を見て驚いた。
「あれ? ひょ……」
「しー」
薄い唇に人差し指を当てる氷蔵。娘ははっとして、盆で口元を隠した。霜吉は二人を交互に見遣り、
「え、お知り合い……ですか?」
「まぁね。兄さん方が、たまに僕を連れてきてたから。いつのまにか、顔と名前を覚えられてたみたい。ねぇミツ、削り氷はまだ売ってるかい? 二人分欲しいんだけど」
「あ、削り氷、二人前……はい、すぐお持ちしますね!」
ミツと呼ばれた娘は、ちゃきちゃきした足取りで店舗に消えていった。その小さな背中を、霜吉はじいっと見送る。
自分は一時間そこらの草むしりでバテたというのに、ミツはなんて逞しいのだろうか。忙しなく歩いているはずなのに、顔にも動きにも疲労ひとつ見せなかった。
自分よりも小柄な、それも異性には負けられない――霜吉が密かに闘志を燃やしていると、ちゃっと扇子を開く音が聞こえた。氷蔵だ。汗が一筋つたう頬に、柔らかな風を浴びながら、彼は悪戯っぽく笑った。
「気になるかい? 確かに、元気で可愛らしい娘だよね」
「そ……そんなんじゃありません! 小さいのに体力があって、凄いなと思っただけで……」
「ふふ……そうかい」
それからしばらく、妙な間があった。居心地の悪そうな旦那が、財布を握って店舗のほうに歩いていく。霜吉は、空いた分ずいと横にずれたが、氷蔵は端っこに座ったままだった。
「実は――今日この水茶屋に来たのは、削り氷を食べるためだけじゃないんだ」
「え? そうなんですか?」
「ああ。次の興行で、ミツみたいな茶屋の娘を演じることになったんだけどさ。気高い姫君や、執念深い鬼女の役に比べると、僕はどうも苦手みたいで……こうして本物を学びに来たのさ。ミツがよく見える、開けた屋外の席にね」
「……なるほど」
霜吉は思案に口をつぐむ。確かに、氷蔵がミツのように動き回り、明るい声で笑う印象はない。氷蔵とは常に嫋やかで、静かで、謎めいていて――茶屋の娘とは真逆の存在である。
「でも……」
氷蔵は凄い役者だ。きっと茶屋の娘の役だってこなしてみせる。そう続けようとして、氷蔵の呟きに防がれた。
「悔しいけどさ。本当に愛される人間ってのは、あの子みたいなのを指すんだろうね」
「え……?」
霜吉は呆然と瞬きをした。言葉の意味が、すぐに理解できなかったからだ。ゆっくり意味を解こうとしていると、盆に削り氷を乗せて、ミツが戻ってきた。
「お待たせしました~! 削り氷二つ、頭がきーんってしちゃうので、ゆっくり食べてくださいね」
「うん、ありがとう」
日に焼けていない細腕で、しっかりと盆を受け取る氷蔵。手渡された器には、削られた氷が山を成し、そこに琥珀色の蜜がかけられていた。
配膳を終えたミツが、他の客の対応に駆けていく。再び二人きりになって、霜吉たちの間に、気まずい空気が戻ってきた。
さっきの言葉の意味は、もう解けていた。
だからこそ、霜吉にはわからなかった。誰しもに愛される氷蔵が、どうしてあんなことを言ったのか。
追及したかったが、それは叶わなかった。言葉が、霜吉の喉につっかえてしまっていた。
「……いただきます」
滅多に食べられない、高級品だとわかっている。『きーん』が何かは知らないが、ゆっくり食べろとミツにも勧められている。
けれど、氷を掬う匙が止められなかった。『きーん』の意味がわかっても、霜吉はひたすらに、削り氷を食べ続けた。




