↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
栞屋の女役には近づくな  作者: 霜月アズサ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

10/15

第10話『死ぬなら勝手に』

 霜吉の腕が、降ってきた白刃に深々と斬りつけられた。


「ぐ、ぁぁぁ……っ!?」


 縦一文字の熱に、思わず後退り傷口を押さえる。もちろん血は止まらない。手の中からこぼれた血が、ぼた、ぼたと橋に落ちた。

 相手の男も驚いたようだった。しかし、邪魔が入ったことへの怒りが瞬時に勝り、男は別の角度から再び斬りかかってきた。


「邪魔だ……! すっこんでろ!」


「……っ!」


 斬られる痛みを覚えた体は、二度は言うことを聞かなかった。飛んでくる凶刃に、身を(すく)ませ受け身になる霜吉。すると、ぐいと後ろ襟を引っ張られた。

 氷蔵だ。霜吉と入れ替わるように前へ出た彼は、凶刃の下で閉じた番傘を振り上げる。衝突。直後、氷蔵は男の脇腹を蹴り飛ばした。


「ぐっ……!?」


 勢いよく体勢を崩した男は、欄干に頭を打ち付ける。男の手から離れた小刀は、軽く跳ねた後、橋の上をするりと滑った。

 男の立て直しは早かった。強打した頭を振り、得物を取り戻そうと急いで這う。が、伸ばした手は氷蔵の下駄に踏みつけられた。氷蔵から、ひどく冷淡な声がこぼれる。


「春河屋の、若旦那だね。贔屓(ひいき)の男に振られた次は、殺して恨みを晴らそうってのかい? むなしいねえ、女々しいったらありゃしない」


「……! 春河屋って……」


 腕の痛みに苦悶を浮かべ、体を縮こめていた霜吉は、合点がいき唾を呑む。氷蔵が、手を踏む足をぐにりと捻ると、若旦那が(うめ)き声を上げた。


「が、ぁぁ……っ! はっ、はは……俺にちゃらちゃら愛想振りまいて、慎ましく笑ってた野郎の……裏の顔がこれか……女狐たぁ、テメェのような、奴を言うんだろうなァ……その様子じゃあ、俺がテメェに、いくら使ったかも……把握しちゃ、いねェんだろうよォ……!」


 橋に伏せた男が、悪態をつき嘲笑を浮かべる。すると、氷蔵は心外だとでも言いたげに眉をひそめた。


「はあ? 僕を馬鹿にしてんのかい。それくらい覚えてるよ。個人に贈られた花は、個人で計上するんだから。何度も算盤(そろばん)を弾いたし、きちんと(ここ)に残ってるよ」


「~~ッ、どっちが……!」


 若旦那は、無理やり氷蔵の足を振り切ると、小刀を掴み取った。四つん這いの状態から、氷蔵のふくらはぎ目掛けて刀を振るう。空振り。ひょいと跳んで後退し、小気味よく下駄を鳴らした氷蔵は、霜吉を背に番傘を構えた。


「氷蔵様……っ!」


「ごめんね、すぐに片付けてやれなくて。申し訳ついでに、遠回りで屋敷に帰って、人を呼んできてくれるかい? それまでは、なんとか生きてみるつもりだから」


「……っ、はい!」


 霜吉は橋から降り、若旦那を迂回する経路で栞邸を目指した。

 残された氷蔵は、小さく息を吸って吐く。つい先月、露姫として荒くれ者と得物を交えたばかりだ。あの再演だと思い込めば、不思議と心は落ち着いていた。


「……そういえば、聞きそびれていたけど。御前の目的はやっぱり、振られた腹いせに僕を殺すこと……でいいのかい?」


「ハッ、殺す? 違うな……テメェはここで、俺と心中するんだ……!」


「心中? 僕が、御前と? 冗句(じょうく)にしても出来が悪いね。それに、そこまで想われていた覚えも……あぁ、そうか!」


 氷蔵は無邪気に驚いてみせた。


「御前、酒の席かどこかで浮かれて、『栞屋氷蔵は俺が囲う』なんて豪語したんだろう! 商売敵にでも」


「――ッ!」


「そしてそれが叶わなかったから、面子(めんつ)がボロボロで業界の居心地が悪くなってしまったんだ。僕を連れて逝こうってのは、せめてもの自分への慰みか。はぁ、さっきは出来が悪いなんて言って悪かったね。抱腹絶倒の傑作だよ」


「ッ、いちいち気に障るガキだ――!」


 若旦那は肉薄し、氷蔵に攻撃を叩きこんだ。技術もへったくれもない、怒りを力に繰り出される剣技。氷蔵は極めて冷静に、番傘で受け流していたが、傘の耐久限界が来た。度重なる斬撃――否、もはや打撃と呼ぶべき乱暴な殴打により、傘の芯に亀裂が入ったのである。


「ちっ……」


 たたらを踏んで下がった氷蔵は、これ好機と突進してくる若旦那の顔に、脱いだ下駄を投げつける。続けてもう片方をぶつけると、若旦那が怯んだその一瞬に、右足でぐっと踏みこんで、若旦那の懐に肩からぶつかった。


「ぐぅ……っ!」


 転倒した若旦那は、氷蔵と揉み合いになって橋を転がる。より重い体を活かし、氷蔵の上に乗り上げた若旦那は、氷蔵の細い首に無骨な両手をかけた。


「……っ、ははは、死ねェ……っ!!」


「か、ぁっ……! はっ、ごほ、死ぬなら……勝手に、死ね……っ!」


 緩く握った二本指の背で、若旦那の喉を殴りつけた。若旦那はむせ、咄嗟に喉を押さえる。氷蔵はその隙に、彼の横っ面を殴り飛ばした。若旦那が倒れた方向と、真逆に体をねじって股ぐらから脱出する。


「はぁっ、はぁ、はぁ……っ」


 ぽつぽつと、雨が降り出した。雨音に混じって、栞邸のほうから数人、大人が走ってくる音が聞こえる。


 ひゅう、ひゅうと、隙間風のような息をしながら、恨みがましく睨む若旦那を前に、氷蔵は覚束(おぼつか)なく立ち上がった。最後に、どんな言葉を吐いてやろうか、と思案して――


「……御前はこれから、殺人未遂の罪人として裁かれ、おそらく江戸から追放されるだろう。春河屋が、別の者に継がれるか、悪評によって潰れるかはわからないけど……どのみち、今度こそ御前の居場所がなくなる」


「……っ」


「でも。栞屋は……御前を歓迎してやるよ。衣装の件で、少なからず世話になっていたしね。御前が良い子でいる限り、観劇することを(ゆる)してやる」


 駆けつけた大人たちが、三人がかりで若旦那を捉える。氷蔵は、若旦那に背を向けて、


「――ま、時間はたっぷりあるさ。ゆっくり自分を改めておいで」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。