第五話 代筆者はいても、信用は戻らない
橋の補修が始まって十日が過ぎた。
片側には木の柵が立ち、石工たちが亀裂を削って新しい石材を組み込んでいる。残る一車線では、監視員の合図に合わせて荷馬車が交互に進んだ。
朝夕は混み合うものの、完全に閉じるよりはずっとよい。徒歩で渡る住民からは料金を取らず、小さな荷を自分で運ぶ行商人には、工事中だけの低い額を設けた。
問題は、大型の商用馬車だった。
「メルフォード家から、通行料免除の申し入れです」
仮設の管理所で、セオドアが封書を私へ渡した。
文章は見事に整っていた。工事の成功を祈り、三領の友好を称え、穀物輸送が王国全体の利益になると説いている。その上で、メルフォード家の馬車には特例として無料通行を認めてほしい、と結んでいた。
「新しい書記は、有能な方のようですね」
「私もそう思います」
「ですが、免除する理由はありません」
「私もそう思います」
思わず彼を見ると、セオドアはわずかに口元を緩めた。
「確認したかったのです。意見が同じでも、あなたの答えを先回りしてはいけない」
「では、返書には両家それぞれの名を記しましょう」
「ええ。誰が決めたか、曖昧にしないために」
私たちは、免除を断る理由を簡潔にまとめた。メルフォード家が当初の負担へ参加するなら、他家と同じ基準で減免を受けられる。参加しないなら、橋を利用する大口事業者として正規料金を支払う。それ以上でも、それ以下でもない。
ただし、穀物の値上がりが住民を苦しめないよう、別の手も打った。
荷を大きな馬車から小型馬車へ分ける場所を広げ、個人の商人が共同で一台を借りられるようにした。通行の予約表を公開し、特定の家の隊列が朝の時間を独占できないようにもした。
最初に共同便へ申し込んだのは、石鹸と蝋燭を運ぶ行商人たちだった。一人では馬車を借りられなくても、荷台を分ければ費用を抑えられる。空いた場所には薬草商の箱を積み、帰り便では農家の卵やチーズを運ぶ。橋を守るための制限が、かえって小さな商い同士を結びつけた。
読み書きが不得手な人のために、管理所では口頭でも申し込みを受けた。料金表には絵印を添え、徴収係の判断で額が変わらないようにする。仕組みは、使う人に理解されて初めて公平になる。
「大口の商会から反発が出るでしょう」
セオドアが予約表を見ながら言う。
「出ると思います。でも、声の大きさと困窮の深さは同じではありません」
「あなたは、いつもそこを分けて考えるのですね」
「以前は、ジュリアン様が反発されない文章を作ることばかり考えていました。今は、誰を守る条件なのかを先に考えたいのです」
「反発されても?」
「必要なら。ですが、説明は諦めません」
セオドアは真面目な顔で頷いた。
「では私は、反発を受け止める席を半分引き受けます」
私の代わりに決めるとは言わない。隣に座ると言う。
その違いが、胸に温かく残った。
実際、その日の説明会では大型商会から厳しい質問が続いた。セオドアは私の案だと責任を押しつけず、かといって私の代わりにすべて答えもしなかった。資金の質問には彼が、予約と減免の質問には私が答える。分からない点はその場で認め、翌日の掲示で補った。
会が終わるころには喉が痛んでいたが、不思議と疲労だけではなかった。隣に立つ人と役目を分けながら、自分の声で最後まで説明できた満足があった。
◇
昼過ぎ、神殿の印が押された手紙が届いた。
差出人は、セレナだった。
――茶会では、あなたを傷つける振る舞いをしてしまい、申し訳ありませんでした。
――あの文章をジュリアン様ご自身の言葉だと信じていました。あなたも承知していると聞かされ、仲のよいお二人だからこそ、同じ言葉を分けてくださったのだと考えてしまったのです。
手紙には、契約院の求めに応じて、同じ内容を証言するとも書かれていた。
さらに、茶会の後の出来事が続いている。
セレナが私へ直接謝りたいと言うと、ジュリアンは止めたという。
『リディアは大げさにしているだけだ。君が謝れば、彼女の言い分を認めることになる』
そして、私が許しの手紙を書くから待つようにと告げた。
私は便箋を握りしめた。
セレナは、私から奪おうとしたのではない。彼女もまた、ジュリアンに都合のよい説明を信じさせられていた。
返事には、証言を受けること、責任は彼女にないことを書いた。許すという言葉は使わなかった。彼女は私の許しを必要とするような罪を犯していない。
書き終えた手紙へ封をすると、セオドアが静かに尋ねた。
「休みますか」
「いいえ。今は仕事を続けたいです」
「分かりました。気が変わったら、いつでも言ってください」
理由を聞き出そうとも、弱っていると決めつけようともしない。その距離がありがたかった。
◇
数日後、メルフォード領から来る荷馬車が急に減った。
最初は、ジュリアンが別の街道へ回したのだと思った。だが遠回りの道は傷みがひどく、運賃も日数も余計にかかる。やがて、商人たちがオルブライト領の共同倉庫へ相談に訪れ始めた。
「メルフォード家と契約する運送隊には、橋の通行料を払うなと指示が出ました」
年配の商人が、帽子を両手で握りながら話した。
「従わず橋を使うなら、侯爵家との納入契約を見直すとも。しかし遠回りでは、生鮮品が傷みます」
ジュリアンの考えは分かった。
メルフォード家の穀物を扱いたい商人は多い。契約を盾にすれば、商人たちが通行料へ反発し、私たちが撤回すると読んだのだ。
けれど商人にも、選ぶ権利がある。
「オルブライトの倉庫を中継地にすれば、家との契約に縛られない品は運べます」
私は地図を広げた。
「橋の西側で小型馬車へ積み替え、複数の商会で便を共有してください。倉庫使用料は、工事中に限り利益ではなく管理費だけにします」
「侯爵家から圧力がかかりませんか」
「オルブライト家が正式に結ぶ契約です。責任は私たちが負います」
独立した商人たちは、次々に配送契約をオルブライト側へ移した。橋を使うためだけではない。契約を突然取り上げられないこと、料金と条件が公開されていることを重視したのだ。
私は、メルフォード家との契約を破るよう勧めてはいない。相談に来た商人へ、選べる条件を示しただけだ。それでもジュリアンには、自分の命令に従わない者を奪われたように見えたらしい。
メルフォード家の荷を運んできた業者まで離れ始め、ジュリアンは慌てて指示を撤回した。
だが、一度別の取引先を得た商人たちは、すぐには戻らなかった。
信用は、命令で取り戻せるものではない。
◇
その夜、ジュリアンから二通の手紙が届いた。
一通は新しい書記が整えた、商人への働きかけをやめるよう求める正式な抗議状だった。礼節も論理も備わっている。けれど、自分が契約を盾にした事実には触れていない。
もう一通は、同じ封筒の中に折り込まれた小さな紙だった。
見慣れたジュリアン自身の筆跡で、こう記されている。
――君が戻れば、すべて元どおりになる。
謝罪ではない。問いかけですらない。
私が戻り、彼の手紙を書き、商人をなだめ、失ったものを元の場所へ戻す。それを今も当然だと思っている。
私は正式な抗議状だけを父へ回し、小さな紙は証拠書類の封筒へ収めた。
返事は書かなかった。
彼のために書く最後の手紙は、もう届けてある。




