第三話 私の名で届いた手紙
翌朝、私のもとへ一通の封書が届いた。
宛名は、リディア・オルブライト嬢。
父の娘とも、ジュリアンの婚約者とも書かれていない。差出人はセオドア・ヴァルター。昨日の依頼を、正式な協議の招待として整えたものだった。
――オルブライト伯爵家が橋から受ける利益と負うべき責任について、貴嬢の見解を伺いたい。
――参加の可否、日時の変更、同席者の希望があれば、遠慮なく知らせてほしい。
命令ではなく、選ぶ余地がある。
私は何度か読み返し、父の執務室へ向かった。
「お受けしたいと思います」
「ジュリアンの穴を埋めるためではないな?」
「はい。オルブライト領の荷も、あの橋を通ります。私たちが負うべき分は、私たちの名で決めたいのです」
父は口元を緩め、家印のついた委任状を差し出した。
「ならば、正式な代表として行っておいで」
その日、私は五年分の通行台帳を読み直した。荷の種類、馬車の台数、橋が使えない季節にかかった迂回費。これまでジュリアンの草案を作るために集めた知識を、今度は誰かの手柄ではなく、領民へ説明できる提案にする。徹夜で美辞麗句を探す必要はなかった。必要なのは、数字の根拠と、負担する人の顔だった。
私は返事を自分で書いた。誰かの言葉を整えるためではない、自分の意思を伝える手紙は、驚くほど短くてよかった。
◇
協議は王都の商務会館で開かれた。
どの家の邸宅でもない中立の場所だ。長卓の中央には橋の図面、過去五年の通行記録、補修費の見積書が並ぶ。セオドアのほか、商務院の官吏と周辺領の代理人が席についていた。
「本日は、オルブライト伯爵の委任を受けて参りました」
私が書面を差し出すと、セオドアは内容を確かめ、官吏へ渡した。
「確かに。リディア嬢の発言は、オルブライト家の正式な提案として記録します」
その一言だけで、背筋が伸びる。
以前、同じような席へジュリアンの随員として入ったことがある。私が小声で示した数字を彼が口にし、称賛を受けるのを隣で見ていた。
今日は私の前に、発言者の札がある。
セオドアが橋の現状を説明した。中央の橋脚に亀裂が入り、秋の増水前に補強が必要だという。工事を急げば全面封鎖を避け、一車線ずつ通しながら直せる可能性がある。ただし、資材を今月中に押さえなければ間に合わない。
「問題は費用です」
机上の通行記録を指し、私は言った。
「過去の利用量と、橋によって短縮される輸送距離を合わせて考えれば、メルフォード家が受ける便益は全体のおよそ半分。オルブライト家は二割、ヴァルター家が残る三割です。負担もそれに沿わせるのが、最も説明しやすいでしょう」
単に馬車の数だけを数えたのではない。重量の大きい穀物便が橋板へ与える負荷と、迂回によって各家が節約してきた運賃も加えてある。数字に異議があるなら、同じ資料から検証できるよう、計算の過程も添えた。
官吏が頷き、数字を書き留める。
「メルフォード家は、その半分が重すぎると主張しています」
セオドアの言葉に、私は別の資料を開いた。
「ならば、反証となる通行記録を出していただくべきです。ただ拒むだけでは、残る家が肩代わりする理由になりません」
「期限までに根拠が示されなかった場合は?」
「橋を放置するわけにはいきません。ヴァルター家とオルブライト家で工事費を一時的に立て替え、参加する周辺領にも可能な範囲で協力を求めます」
代理人の一人が身を乗り出した。
「それでは、メルフォード家だけが得をするのでは?」
「立替分は、補修期間中と再開後の商用通行料から回収します。負担した家の荷には拠出分に応じた減免を設け、生活のために渡る住民や小口の行商は保護する。費用を出さない大口利用者には、正規の料金を払っていただきます」
罰ではない。橋を使う者が、維持費を負担する仕組みだ。
セオドアは図面へ目を落としたまま、しばらく考えた。
「工事を始めるだけの資金は用意できます。ただし、回収までの危険をヴァルター家だけで負うことはできません」
「オルブライト家も、便益に応じて二割を拠出します。加えて、領内の共同倉庫を工事資材の保管場所として提供します」
「伯爵の了承は?」
「この範囲まで、委任状に明記されています」
書面を確認した官吏が肯定する。
セオドアはそこで初めて微笑んだ。
「準備のよい交渉相手は、ありがたい」
お世辞ではなく、仕事への評価だった。そのことが嬉しかった。
扉が開いたのは、官吏が暫定案を読み上げようとしたときだった。
「その提案は認めない」
遅れて現れたジュリアンが、卓上へ手袋を投げるように置いた。
メルフォード家にも招待状は送られていた。欠席の返事があったと聞いていたが、気が変わったらしい。
「リディア。なぜ君がここにいる」
「オルブライト伯爵家の代表としてです」
「君が考えた通行料で、私の領民を苦しめるつもりか」
「生活のための通行には免除を設けます。主に対象となるのは、大量の荷を運んで利益を得る商用馬車です」
「メルフォード家の荷にだけ高い料金を課すのだろう」
「工事費を負担した家には、その拠出分を減免として返す。それだけです。同じ条件で、今から負担に参加なさいますか」
「君は私への腹いせで話を複雑にしている」
胸が痛まないわけではなかった。けれど、私は資料から目をそらさなかった。
「では、婚約の件はここで扱わず、通行記録と費用だけでお話ししましょう。メルフォード家が妥当と考える負担額と、その根拠をご提示ください」
ジュリアンは黙った。
「リディアは交渉に慣れていない。私が後で説明する」
「説明なら、今ここで伺えます」
セオドアが穏やかに言った。
「それに、彼女はあなたの補佐として出席しているのではありません。正式な権限を持つ、当事者の一人です」
彼は私を庇うために話を奪わなかった。ただ、私が話す権利を確認しただけだった。
私はジュリアンを見る。
「負担に参加なさいますか」
「この場では決められない」
「では、五日後までに書面でご回答ください。資材の確保は待てません」
官吏が期限を記録する。ジュリアンは私とセオドアを交互に睨み、何も答えずに席を立った。
扉が閉まると、会議は何事もなかったように再開された。
官吏が休憩を取るかと尋ねたが、私は首を横に振った。ジュリアンが現れたからといって、私の仕事が中断される必要はない。周辺領の代理人から出た減免期間の質問へ答え、徴収記録を月ごとに公開する条項も加えた。
暫定案には、私の提案者名が記された。
リディア・オルブライト。
その文字を見たとき、胸の奥に小さな灯がともった。
◇
帰宅後、セオドアから確認の手紙が届いた。
正式な議事録の写しに、短い私信が添えられている。
――本日はありがとうございました。あなたが数字だけでなく、橋を日々使う人々まで見ていることが分かりました。
――次は、現地で亀裂と通行の様子を一緒に確認できればと思います。もちろん、望まれる場合に限ります。
私は便箋を前に、少しだけ笑った。
彼は私の文章を褒めなかった。
文章の向こうにいる私が、何を考えているかを見ていた。
――喜んで同行いたします。
そう書き、自分の名で封をした。




