68. 権力の行使
68. Power Play
その言葉を待っていたかのように、舞台の役者たちは動き出した。
辺りのざわめきからして、少なくともこの場の者たちの全員が、仕組まれた失脚劇に合意していた訳では無さそうだ。
「キャアアァーーーッ!?」
貴婦人らの悲鳴は扇状的で、瞬く間に会場全体へ伝搬する。
支柱に張り付けられていた甲冑が、全員息を吹き込まれたように動き出す。
Sebaの抱えているという騎士らは、この場に一人もいないというのが今ので分かった。
国王直属の騎士団だ、彼らは、彼の主人の一声でマントを翻し、貴人らの目から伏せられていた剣を抜く。
その一声により始まった、統率された彼らの所作に、思わず見惚れてしまう。
戦場でも、隊列を組んだ兵があれほど歩調を合わせることは無かった。
先までの、華美に飾った骨董品という評価は、直ちに改めなければならない。
まるで演劇のワンシーンとしての剣舞を、見せられているようだ。
彼らは、エリートだ。此処で、ぬくぬくと栄華に浸っている奴らとは、まるで違う。
その事実が、現実味を失いつつあった危機感を急激に鮮明にさせた。
―殺される。
抵抗する間もなく首を刎ねられて、終わり。
心臓は、先まできっと怠けていた。止まっていたのだろうかとさえ思えるほど、軋んで痛い。
いや…国王は、僕らを捕らえよ、と命令した。
そりゃあ、そうだ。こんなところで、血飛沫が舞ってみろ。数えきれないほどの貴婦人が卒倒して、収拾がつかなくなるだろう。今でさえ、半ばパニック状態なのに。狼藉ならまだしも、流石にこんなところで、血生臭い粛清は望むところでは無い。
僕が、往生際の悪い抵抗さえしなければ、の話だが。
そもそも、国賊とは、どういうことだ?
初め、僕自身が犯した罪をこの場で問われるような倒錯を覚えたが、それは即座に否定された。偽りの身分が剥がれたとして、妹までも同じ罪状を与えられることは間違っている。
では、兵力を嘆願することが何故、大罪へと短絡されることになる?
更なる衰弱を招き、国を滅ぼしかねない進言。暴君がそう判断したのなら、過激な判決も良い見せしめだ。
だが、国賊、という響きは、まるで反逆者じゃないか?
「目をつけられる方が、悪いのだ。僻境王。」
そんな僕の心中を察するように、王は玉座に身を預けて微笑む。
「卿らが今まで、私の愛する民らにしてきたことと同じだ。」
「違うかね?」
目を、つけられる?
僕の動きは、そんなにも咎められるような、目立つものだったか?
神性を得た、と言い振らしていたなら、確かに胡散臭いが。
その存在を知らしめるのが、これから僕がしようとしていたことだ。
誰かが、僕を貶めようと、王へ密告した?
神によって救われた、などと言わずとも、幾らでも足元を救う噂は撒き散らせる。
マルボロ家が、この兵力を別の目的に使おうとしているから。
謀反。
疑り深い宰相が考えることとして、あまりにも自然に行き着いてしまう。
既にヴァイキングに汚染され切った領地の党首が、最もやりそうなこと。
それが、勘気を、被る。
「シーヴァァ…!」
僕は、自分の名を罵った。
仕組まれていたんだ、この嘆願は。
余りにも今の僕は無様で、悲劇は出来すぎていた。
これは、Fenrir様による粛清か?それとも本人の?
神の意思と合致した行動を自ら起こす者しか、駒に選ばない。そう弁舌を諮ったのは僕だが。
しかし、飽くまで、人間同士の間の争いによる自浄作用として、神の痕跡を残さない。
それは酷く彼の方のやり方として似つかわしく思えてくる。
「しかし、事前にこれも、卿の御告げが無ければ、見通せるものでは無かった。」
「……?」
「これも、我が神のご加護と、言う訳だな。」
額に、冷たい汗が滲んだ。
神の…何だって?
結局、開かれずに終わった文書を受け取り、玉座から首を垂れて下がる従者が、裏でじっとこちらに視線を送っている。
まさか…
既に?
「くっ…!」
「……?」
絶望に打ちひしがれている僕の隣でエマが素早く立ち上がり、胸元に手を忍ばせる。
ひらりと広げられたのは、レースのように透き通ったスカーフだった。
露を払うように弧を描くと、ゆったりと光を孕んで彼女の左手から垂れる。
それが、Duchessの合図だったと分かったのは、彼女の表情が困惑に変わった時だった。
「え…?」
効かない。
まるで、奥義を卑下されたかのような絶望が、彼女の瞳に滲んでいる。
「そんなものが、この場で通用するとでも。令嬢殿。」
間を置いて呟かれた王の言葉は、さながら魔王の嘲笑のようだった。
「此処は、聖域だ。幾ら君の従者らと言えども、立ち入ることは許されん。」
彼女が指揮していた暗殺者の集団のことだと即座に察した。
本来なら、影の刃が、この場を切り開くために何処からともなく姿を現していた。
裏の顔は、既に王の知るところであったのだ。いや、それとも、本来は王の脅威を排除するための、お抱えの部隊だったのかも知れない。
一つ確かなことは、それらが機能していたとしても、秩序の齎すところは、僕らの排除で、間違い無いだろう。
そしてその役割は、鋼の肉体で十全に担えるのだ。
「あ、あ…」
沈むような厚さの絨毯に、鋼の音が不釣り合いに響く。
雰囲気を醸す香の甘さが、吐き気へと変わる。
彼らは連携の取れた動きで、僕らを遠くから取り囲み、じりじりとは言い難い、堂々とした歩みで迫ってくる。
逃げるという選択肢を、早々に奪われ、パニックになっているのは、こちらの方だけだ。
豪華な衣装を纏わされて、身動きが取れないなどと胸を高鳴らせていた僕は、とんだお笑い種だ。
エマが背中合わせになって僕に張り付いたのを感じる。
でもそれが、決して応戦の構えを取ろうとしているのではないのは、明白だった。
窮地に追い込まれたなら、誰しもそうするだろう。
「お兄様…」
腰のあたりに、弄りを感じて、はっとする。
「ごめん…」
僕の手を、握ろうとしているのだ。
でも、肝心の右手は、マントの中に仕舞い込まれたまま。
たった一枚の布に隔てられて、二人の手が繋がれることは無い。
僕も牙が抜けていた。身分を偽ることに慣れてしまったが最後、後生大事に抱えていた凶器さえも手放してしまった。
喩え、それが手元に握られていたとしても。
「Fenrir様…!」
それが、この場を凌ぐ牙になることは無い。
一瞬だけ、僕は奇跡を信じた。
この場で分たれた筋書きを、明確に夢見ていたのだ。
突如として騎士団らが、為す術もなく弾き飛ばされ、自らを守る肉体の重みで起き上がることさえ出来なくなる光景を。
そして、それがまるで、僕が期待していた通りの展開として、涼しそうな表情で傍観するのだ。
何なら、遅かったですね、などと生意気な口を聞く余裕さえ見せてやろう。
だって、あの狼は開口一番に、僕を煽ることしか、考えていないんですもの。
…じゃなかった。何故なら僕は、僕が信奉する神による救済を、誰よりも信じていたから。
でも、この逆転劇こそが、神の威光を示し、聴衆にその存在を知らしめる格好の名場面となってもおかしくなかった。
「来ないわけがないっ…!!」
それなのに。
「Fenrir様っ…」
「僕を、どうか、見捨てないで…」
上階から光刺す天窓から覗かせる、巨狼の瞳も。
「きゃっ…!」
人間を誰一人残らず震え上がらせる、地響きのような唸り声も。
隣で聞こえた彼女の悲鳴が途切れた。
宝石のように反射する刃に竦み上がっていた僕の首元に走った鈍痛が、全ての感覚を奪ったからだ。
鉄の指先が、ぐりぐりと喉元に喰い込む。
高々と首根を掴まれて持ち上げられた僕は、自分の両手をガントレットへ添える前に、地面へ叩きつけられた。
「がはっ…」
直後、後頭部を踏みつけられ、全身が強張る。
今の衝撃で、気絶してしまえていたら、どれだけ楽だっただろう。
ザッ…
視界の端、刃の鋒が地面を滑っている。
嫌だ、そ、んな…
ブチュッ
右足の腱に、裂けるような痛みが走る。
「ぎゃあああああっっーーーー!?」
それ以上、僕から抵抗力を削ぐためだけの痛みが訪れる前に。
お願いだから、意識が遠のいてくれ。
神による介入、そんな奇跡は起こらない。




