第7話 記者は八人
「本件は、探索者本人の実力不足による事故と判断されました。以上です」
久我が原稿を置いた。
会見室にはパイプ椅子が三十脚並んでいて、埋まっていたのは八席だった。前方の二席は業界紙、あとはウェブ媒体と、フリーが二人。カメラは一台も入っていない。
壁の時計は十一時五分を指している。開始から五分。
人が一人死ぬと、この部屋が使われる。使われる時間は毎回五分から十分で、四十一回とも同じだった。椅子は三十脚あるが、三十人集まったのを綿貫は見たことがない。集まるのは、区画で十人以上死んだときだけである。一人なら八人。二人でも八人。数え方が違うのだと思う。世間にとって、これは統計の一行なのだ。
「質疑を受けます」
一人目が手を挙げた。「稼働再開の時期は」。二人目が「登録要件の見直しは検討されますか」。どちらも、答えは事前に用意されていた。
「再発防止策については」
「規程の遵守を、改めて周知いたします」
「周知とは、具体的には」
「文書の配布と、各クランへの説明会です」
三分で質問が尽きた。同じ答えが四十一回繰り返されているので、聞くほうも慣れている。慣れた質問には、慣れた答えしか返らない。
綿貫は後方の壁際に立っていた。関係部署の職員として同席しているだけで、発言権はない。隣で陣内が資料の束を抱えている。
「一点だけ」
八人目が手を挙げた。
小柄な女性だった。三十そこそこ。ノートパソコンを膝に載せている。
「柏木と申します。フリーです。協会の災害調査室から、今回の件で異なる見解の報告書が出ていると聞いていますが」
空気が動いた。前列の記者が振り返る。
久我は一秒も間を置かなかった。
「調査室の文書は参考資料です。事故認定は安全管理本部が行います」
「その参考資料と、今日の発表は一致していますか」
「認定の根拠は、生存者の証言と現場記録です。以上です」
嘘は一つもない。綿貫は壁にもたれたまま、それを聞いていた。参考資料であるのは事実で、認定権が安全管理本部にあるのも事実である。この人は十九年、一度も嘘をつかずに四十一件を処理してきた。
嘘をつかずに済むように、仕組みのほうが作ってある。誰も嘘をつかないので、誰も責任を負わない。責任を負う人がいないので、直す人もいない。
会見は十一時十二分に終わった。記者が席を立つ音が、ばらばらに鳴った。前列の二人は原稿をもう書き終えているらしく、パソコンを閉じるのが早い。発表文の骨格が毎回同じなら、記事の骨格も毎回同じになる。
◇
廊下に出たところで、腕を掴まれた。
「調査室の方ですよね」
柏木彩が、名刺を差し出していた。廊下の窓から差す光で、印刷の粗さまで見える。安い紙だった。
「一点だけ。協会の発表と、あなたの報告書、どっちが正しいんですか」
「お答えできません」
「オフレコで結構です」
「オフレコでもできません。文書は非公開です」
陣内が横から「あの、すみません、次の予定が」と割って入ろうとした。柏木は動かない。
「じゃあ、質問を変えます。あなたの報告書に、『事故』と書いてありますか」
綿貫は足を止めた。
答えなくてもよかった。答える義務はなかった。ただ、この質問には、十九年やってきた仕事の全部が引っかかっていた。
「私は、事故だとは書いていません」
柏木のペンが動いた。
「それ、書いていいやつですか」
「困ります」
「困る、で止めます」
彼女は名刺をもう一枚出して、綿貫の胸ポケットに差した。
エレベーターの前で、陣内が小さく言った。
「綿貫さん、あれ」
「はい」
「たぶん、止まらないです」
◇
記事が出たのは、その日の十九時だった。
見出しを最初に見つけたのは陣内である。彼はパソコンの画面を三十秒ほど見て、それから声を出さずに二度目を読んだ。
『協会内部に異論 / 遺族に「事故ではない」と告げた調査官』
分室の窓を、風が叩いた。三月の夜はまだ冷える。ポットの音だけが、いつもより大きく聞こえた。
記事の中身に、間違いは一つもなかった。
災害調査室が異なる見解の報告書を出した。それが差し戻されている。調査官が遺族と面会した。全部、事実である。
事実だけを並べても、並べる順番で意味は変わる。順番を作るのは書き手で、書き手は二日しか時間を持っていない。二日で全部を確かめるのは無理だから、確かめられた部分を厚く書く。厚く書かれた部分が、見出しになる。
ただし、見出しには「遺族に告げた」が入っている。本文でも、その部分が三段落を占めていた。協会の発表を疑う話ではなく、遺族を揺さぶった調査官の話として読める。
書いた人間に悪意はない、と綿貫は思った。二日で書ける記事を、二日で書いただけである。
コメント欄が伸びていた。
『遺族を煽るな』
『訴訟をけしかけて何がしたいんだ』
『内部から不安を煽るのは無責任』
コメントは一時間で百件を超えた。八人しか来ない会見の話が、一時間で百件になる。関心が無いのではない。怒る材料になったときだけ、関心が生まれる。
室岡が電話を取った。協会の広報からである。三分ほど話して、受話器を置いた。
「綿貫。遺族の方から、苦情が入ってるそうだ」
「苦情」
「正確には、お店にな。職場に電話が来たらしい。客からだと」
綿貫は椅子から立たなかった。立っても行く場所がない。今から謝りに行けば、それはまた「遺族に接触した調査官」になる。
彼女がどこで働いているかは、返却手続きの書類に書いてあった。勤務先の欄まで書かせる様式になっている。書かせておいて、守るための決まりは一つもない。
「明日、広報が説明に行くとさ」
「私は」
「行くなと言われてる」室岡が老眼鏡を外した。「言うだけは言っといたよ」
「何をですか」
「調査官が遺族に説明するのは規程どおりだ、ってな。事実だしな」
「通りましたか」
「通るわけないだろ」室岡は湯呑みを持ち上げて、中身が空なのに気づいて置いた。「今日はもう帰れ。明日、写真を撮り直すんだろ」
「はい」
「なら帰れ。撮り直しは目が要る仕事だ」
そう言って、彼は自分は帰らなかった。
◇
陣内は、記事を印刷して机に広げていた。
蛍光灯の下で、紙の白がやけに明るい。彼は蛍光ペンを持ったまま、一つの段落を長いこと見ていた。
「綿貫さん。ここ」
記事の中ほどに、協会の見解として引用された一文がある。
『退避手順の適用に係る判断は、当該探索者本人に委ねられていた』
「これ、協会の発表文にはない文です」
「はい」
「調査室の報告書にある文です。僕、写しを読みました。句読点の位置まで同じです」
綿貫は紙を引き寄せた。読み上げるまでもなかった。自分が書いた文である。
四千二百字の報告書のうち、この一文だけが抜かれていた。抜き出した人間は、報告書を読んでいる。どこを抜けば意味が反転するか、判断できる人間である。読まずにできる作業ではない。
前後を削って、この一文だけを抜き出せば、意味が反転する。彼が書いたのは「本人に委ねられていたことが問題である」という文脈だった。抜き出せば、本人の判断だったという説明になる。
「誰かが渡してます」陣内の声が硬い。「非公開文書ですよね、これ」
「そうです」
「じゃあ、渡せるのは」
「調査室の三人と、写しを持っている部署です」
陣内が蛍光ペンの蓋を閉めた。閉めてから、また開けた。
二十一時三十分。
机の上でスマートフォンが震えた。
画面に、名前が出ている。
『三嶋果穂』
綿貫は手を伸ばした。
指が画面に届く手前で、止まった。
呼び出し音は十二回鳴って、切れた。
彼は手を戻した。十九年やっていて、まだ、何を言えばいいのか分からない。




