第29話 陳述をどうぞ
「参考人の方は、発言の際は挙手をして、委員長の指名を受けてください」
委員部の職員が、マイクの位置を直しながら説明した。
「なお、参考人には偽証罪の適用はありません。良心に従って、お答えください」
八月十五日、九時三十分。衆議院第一議員会館の第四会議室である。
冷房が強い。書類を押さえていないと、送風で紙の端がめくれる。窓は閉め切ってあって、外の蝉の声は聞こえない。
参考人席に、三人。
黒石ゆかりは一番左で、膝の上に規格書を置いていた。付箋が七枚貼ってある、彼女の私物である。
一番右に、久我昭平。
その隣が、綿貫だった。
十九年、この人と向かい合ってきた。横に並ぶのは、初めてである。
会議室の机は、正面の委員席とコの字に向き合っている。参考人は三人並んで座るので、隣の人間の顔は見えない。声だけが横から来る。
十九年、久我の顔を見て話してきた。今日は、見ない。
◇
傍聴席は三十席あって、埋まっていた。
後ろから二列目に、三嶋果穂がいる。隣に、私服の陣内律。八月十日付で退職している。
記者席に柏木彩。壁際に、有給を取ってきた鵜飼隆之が立っていた。
一週間で、記事は各社が追った。協会は「調査中」を四回繰り返した。四回目のあとで、閉会中審査の日程が決まっている。
八人しか来なかった会見室と、この部屋は違う。傍聴席が埋まっているのは、五か月かけて誰かが動いた結果である。動いたのは、綿貫ではない。
「四百十二通、持ってきたのか」
久我が、正面を向いたまま小さく言った。
「はい」
「重かっただろう」
「台車を借りました」
段ボール六箱は、廊下に置いてある。委員部の許可がまだ下りていなかった。
久我はそれ以上、何も言わなかった。
◇
十時。開会。
最初に指名されたのは、久我である。
彼は資料を持って立たなかった。手ぶらのまま、マイクの前に座り直した。
「日本ダンジョン協会、安全管理本部長の久我でございます」
議員の質問は、規格から始まった。
「協会規格には、規格Bおよび規格Cについて、動荷重の試験基準が定められていない。事実ですか」
「事実です」
即答だった。
会議室が少し静かになった。参考人は普通、こうは答えない。所管を確認し、確認中と述べ、後日書面で回答すると言う。それが行政の作法である。
この人は、作法を知らないわけではない。使わないと決めている。
「六年前、装備メーカーから試験基準の追加提案が三度出されている。三度とも差し戻されている。ご存じですか」
「知っています。差し戻したのは私です」
「理由は」
「三度とも、私が朱書きしました。費用対効果の説明が不十分であること。当時、現行規格に起因する事故が記録上発生していなかったこと。業界他社との協調が必要であること」
「その三つは、正当な理由だったとお考えですか」
久我は少し間を置いた。
「手続き上は正当です。実質的には、時間を稼いだだけです」
◇
議員が資料をめくる音がした。
「稼働を優先したということですか」
「そうです」
久我は逃げなかった。
十九年、綿貫はこの人が言い訳をするところを見たことがない。手続きで差し戻し、正論で封じ、その全部を自分の名前で行ってきた。
今日も、同じことをしている。ただ、向けている先が違う。
「規制を強化した十七年前、無登録潜行での死者が年間二百十一人出ました。現在は六十人です。稼働を止めれば、下請けの仕事が止まります。仕事を失った探索者は、登録の要らない場所へ潜ります」
「つまり」
「私は、四十一人を犠牲にして、百五十人を生かしてきました」
会議室が、完全に静かになった。
誰かが咳をした。それがはっきり聞こえるほどだった。
「それが誤りだとおっしゃるのでしたら」
久我は続けた。
「代わりの数字を出していただきたい。感情ではなく、数字で」
議員が答えられなかった。
この論法は、数字でしか崩せない。四十一人と百五十人を比べているうちは、比べているほうが勝つ。比べ方そのものを変えないかぎり、この人は倒れない。
綿貫は横顔を見なかった。見なくても、この人が嘘をついていないことは分かる。十九年、一度もついていない。
「遺族への説明責任については」
別の議員が聞いた。
「果たしていません」
久我はそう答えた。
「それは、私の責任です」
謝罪はしなかった。責任だけを認めた。
◇
十一時。黒石ゆかりが指名された。
彼女は立ち上がって、規格書を開いた。
「結論から言います」
冷房の音の中で、その声はよく通った。
「九キロニュートンです。設計値は正しい。製造も正しい。規格が、人が落ちることを想定していません」
彼女は稟議書の写し三枚を提出した。
「六年前、私が三回出したものです。差し戻しの朱書きを、読み上げます」
一枚目。費用対効果の説明が不十分。
二枚目。現行規格で事故は発生していない。
三枚目。業界他社との協調が必要。
「二番目を、もう一度読みます」
黒石は顔を上げた。
「『現行規格で事故は発生していない』」
彼女は規格書を閉じた。
「六年前の時点で、十二件、起きていました」
議員が身を乗り出した。
十二件という数字を、綿貫は五月に自分で数えている。数えたときには、意味を説明できなかった。装備に言及した勧告が二十三件あり、そのうち六年前までに十二件が起きていた。それだけの事実である。
事実に、意味を与えるのは分類である。分類が、事実を見えなくしていた。
「発生していなかったのではありません」
黒石は、はっきりそう言った。
「分類されていなかったんです」
◇
事故分類コードの話が、そこで初めて公の場に出た。
「協会の様式では、事故に分類コードを付します。手順運用に起因するものはH-4。装備の設計または規格に起因するものはE-2です」
黒石は数字を読み上げた。
「装備に言及した勧告が二十三件。そのうち十九件が規格Cの確保器を使用しています。この十九件に付されたコードは、全てH-4です」
「E-2は」
「一件もありません」
議員が資料を確認した。
「その分類は、誰が付すのですか」
「認定をした部署です」
「認定をした部署とは」
黒石は答えなかった。答える立場にないからである。
議長が、参考人席の右端を見た。
「久我参考人。ご説明いただけますか」
久我はマイクに手を伸ばした。
「安全管理本部です。私の部署です」
「その分類コードの区分は、いつ定められたものですか」
「十七年前です」
「策定したのは」
短い間があった。
「私です」
◇
十一時五十分。
議長が次の参考人を指名しようとしたところで、綿貫が挙手した。
「委員長。資料の持ち込みの許可を、いただけますか」
「どのような資料ですか」
「災害調査室が十九年間に作成した、重篤災害報告書の原本です」
「点数は」
「四百十二通です」
議長が委員部の職員を見た。職員が席を立って、廊下へ出ていった。
台車の音がした。
◇
段ボール六箱を、職員が二人がかりで運び入れた。
綿貫は箱を開けて、机に積みはじめた。
灰色の背表紙が並ぶ。年ごとに厚みが違う。一番下は十九年前のもので、印字が太い。
三段に積んでも、収まらなかった。
参考人席の机が埋まって、床にも置いた。積み上げるあいだ、誰も喋らなかった。ガムテープを剥がす音と、紙束が机に着く音だけが続く。
一箱に十七冊入る。六箱では足りず、二回に分けて運んだ。
記者席のシャッター音が、途中で止まった。
議員がメガネを外した。
久我が、初めて手元の資料から目を上げた。
◇
綿貫はマイクの前に座った。
説明はしなかった。
「十九年で、四百十二通です」
冷房の音がする。
「このうち四十一件に、勧告を付しました」
紙の匂いが、会議室に広がっている。乾いた紙と、古い糊の匂いだった。
「採用されたのは、一件です」
傍聴席で、誰かが身を乗り出した。
見なかった。
議長がマイクを引き寄せた。
「では、綿貫参考人」
彼は言った。
「陳述をどうぞ」




