第3話 静かに暮らしたいのに、そんなときに限って話が来る
翌朝、俺は東の備蓄倉に関する書類を前にして、深く息を吐いていた。
「なんで祭りの次がこれなんだよ……」
机の上には二種類の書類がある。
一つは、東門外にある王都備蓄倉の穀物入れ替え申請。
もう一つは、その近くを流れる水路の水門補修願いだ。
どちらも提出は半月前。
どちらも未決裁。
そして、どちらにも最終責任者の名前がない。
「見事なくらい同じだな」
俺がぼやくと、ハロルドが渋い顔で頷いた。
「しかも厄介なことに、今週末には王族視察会が予定されております」
「視察会?」
「第一王子殿下と第三王子殿下が、それぞれ王都運営への関心を示すために現地へ赴くとか」
ああ、そういうやつか。
王位争いの一環で、いかにも仕事をしていますと見せたい催しだ。
「で、視察会の準備に人が取られて、水門補修と穀物入れ替えは止まってる?」
「左様でございます」
ミナが呆れた声を出した。
「雨季の前ですよね」
「その通り。しかも今年は早い雨が来るかもしれんと、気象塔から報告が出ている」
俺は書類を見比べた。
備蓄倉の古い麦は、このままだと湿気で傷む。
水門は木枠の一部が腐食していて、大雨の時に負荷が集中すれば危ない。
なのに、現地では王子たちの視察用に道を整え、旗を立て、歓迎の準備をしている。
優先順位が終わっている。
「宰相補佐は、なんて?」
「『建国祭を静かに終わらせた殿下なら、話が早いかと思いまして』と」
褒め言葉に見せかけた押しつけだな。
俺は椅子にもたれた。
本当なら、こんな話は俺のところへ来るべきじゃない。
王太子か、担当大臣か、せめて宰相が決める話だ。
でも上の連中が政治の見栄を優先し、下は責任を恐れて止められない。
だから、止める役が回ってきた。
前世の会社でもそうだった。
偉い人ほど『決めると角が立つこと』を避けたがる。
で、最後に現場寄りの人間が泥をかぶる。
俺はもう泥をかぶって倒れる気はない。
でも、放置して崩れるのを見るのも嫌だった。
「現地へ行く」
ベルトラムが目を瞬かせた。
「ご自身で、ですか」
「紙だけ見ても遅い。危ないかどうかは現場で決める」
東門外の備蓄倉は、王都から馬車で三十分ほどだった。
現地へ着くと、視察会の準備で人がばたついていた。
道に砂を撒き、旗を立て、倉庫前の壁まで塗り直している。
一方で、水門には縄が張られたまま、補修用の木材が雨ざらしで積まれていた。
俺はその場で頭を抱えたくなった。
「責任者は誰だ」
声を上げると、数人が顔を見合わせた末、倉庫番の男と土木役人が前へ出てきた。
「備蓄倉は私が預かっております」
「水門補修は私どもが……ただ、正式決裁がまだ」
「視察会の総責任者は?」
「それは、第一王子殿下の側近と、第三王子殿下の側近が共同で……」
共同。
出たな、最悪の言葉。
俺は水門の木枠に手を触れた。
湿って柔らかくなっている。
これ、今のうちに打ち替えないと危ない。
「ベルトラム、筆記具」
「こちらに」
俺はその場で命令書を書いた。
一、今週末の王族視察会は延期。
二、装飾と歓迎に使う人手を水門補修と穀物入れ替えへ回す。
三、現地指揮は土木役人ダリオ、備蓄管理は倉庫番エルム。両名を臨時責任者とする。
四、報告は俺の離宮へ一日二回。
それを読み上げると、周囲がざわついた。
「し、視察会を延期なさるのですか!?」
「殿下、それは第一王子殿下方のご予定が」
「大雨が来て水門が壊れたら、予定どころじゃないだろ」
俺は書いた紙を土木役人へ渡した。
「今必要なのは、見栄えのいい視察じゃない。壊れないことだ」
「ですが、責任が……」
「今ここで俺が取る。だから動け」
その言葉で、土木役人の顔色が変わった。
倉庫番も背筋を伸ばす。
命令が曖昧だと、人は動けない。
逆に言えば、責任の線さえ引けば、現場は思った以上によく動く。
そこへ、派手な外套を着た男が馬で駆けつけてきた。
第一王子の側近らしい。早いな。こういうことを嗅ぎ付ける嗅覚はたいしたもんだ。
「レオン殿下! 視察会延期とはどういうことです! 殿下方のご威光に関わりますぞ!」
「水門が壊れたら、威光ごと流れるぞ」
「しかし!」
「倉庫の麦が傷んでも同じだ。歓迎の旗と古い麦、どっちが王都に必要か考えろ」
男は言葉に詰まった。
周囲の役人たちも、もう俺の命令書に視線を落としている。
ここで押し切れば動く。
押し切らなければ、また誰も責任を取らずに止まる。
「文句があるなら、陛下に直接言え。俺も報告する」
そう言い切ると、側近は悔しそうに唇を噛んだ。
結局、その日から現地は一気に動き出した。
歓迎用の飾り布を運んでいた荷馬車は木材を運び、道を掃いていた人足は倉庫の麦袋を入れ替えに回った。
水門の腐った枠は夕方までに外され、補修が始まる。
二日後、早い雨が来た。
王都の石畳を叩く強い雨だった。
俺は離宮の窓から空を見上げながら、内心で嫌な汗をかいていたが、夜には現地から使者が戻ってきた。
「東水門、持ちこたえました! 補修済みのため、大きな流入は防げたとのことです!」
「備蓄倉は?」
「浸水なし。麦の入れ替えも完了しております!」
俺はようやく肩の力を抜いた。
大改革なんてしていない。
視察会を延期して、人手の向きを変えて、責任者を決めただけだ。
でも、それで被害は防げた。
翌日、王に呼ばれた。
玉座の間ではなく、小会議室だった。
王ガイゼルと宰相ローエン公、そして数人の重臣だけがいる。
「レオン」
父王は俺を見るなり言った。
「東門外の件、報告は受けた」
「危ないものを先に止めただけです」
「視察会まで止めたそうだな」
「必要がなかったので」
場が少しだけ静まる。
言い方を間違えたかと思ったが、王はむしろ面白そうに目を細めた。
「必要がなかった、か」
「はい。歓迎の旗より、水門と麦のほうが先でした」
宰相が口元を押さえた。
笑いをこらえたようにも見える。
ローエン公が書類をめくりながら言う。
「建国祭でもそうでしたが、『殿下はやるべきこと』より、『やらなくていいこと』を切るのがお上手ですな」
「無理を増やすより、減らすほうが簡単ですから」
「それを王宮で言い切れる者は少ない」
父王の視線が、少しだけ変わった気がした。
今までは、たぶん静かな末子を見る目だった。
でも今は違う。
値踏みというほどではないが、確かに見られている。
それがわかって、俺は内心で嫌な予感しかしなかった。
会議室を出ると、ベルトラムが妙に慎重な顔で近づいてきた。
「殿下。廊下で、他の殿下方の侍従たちがざわついておりました」
「何て?」
「第八王子が実務を握り始めたと」
思わず顔をしかめる。
握ってない。
握りたくもない。
危ない案件を止めただけだ。
なのに王宮では、まともに止めるだけで野心に見えるらしい。
離宮へ戻る途中、ミナが小さく笑った。
「静かに暮らすの、少し遠のきましたね」
「笑い事じゃない」
「でも皆、殿下が一番信用できると思い始めています」
「それが一番面倒なんだよ」
俺は廊下の窓から庭を見た。
雨上がりの空はきれいだった。
王宮も、こういうふうに静かならいいのにと思う。
だが、たぶん無理だろう。
赤字の祭りを止めた。
責任者不在の案件を動かした。
その結果、王と重臣の目に留まった。
――静かに暮らしたいだけなのに、どうも面倒だけは増えていくらしい。
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