第4話 第八王子に回ってくる仕事は、だいたい誰も責任を取りたがらない
王宮内に、じわじわと噂が広がっていた。
第八王子に話を通すと、案件が動く。
ただし、気に入らなければ断る。
それだけの話のはずだった。
なのに、文官たちの間では「困ったら第八王子に回す」という動きが、静かに、しかし確実に定着してきた。
朝の茶を飲んでいると、ミナが書状の束を卓の端に置いた。
「殿下、今朝だけで3件ほど、ご相談申し上げたいというお申し出が届いております」
「全部断れ」
「3件とも、先方は既に返答待ちの姿勢でいらっしゃいます」
俺は茶を一口飲んだ。
前世でも同じだった。
一度でも「あいつに頼めば何とかなる」と思われると、雪崩のように案件が集まってくる。
断れない人間と見られれば終わりだが、断りすぎると今度は組織の空気が変わる。
その加減を見誤って潰れた同僚を何人か知っている。
「断り文句は俺が書く。3件分、紙を用意してくれ」
「かしこまりました」とミナが言い、出ていった。
茶が冷める前に飲み切りながら、どこで歯止めをかけるかを考えた。
静かに暮らしたいのに、静かになるどころか窓口になりつつある。
しかも、その窓口に案件を持ち込む人間の数は、日に日に増えていた。
◇
昼前に、ベルトラムが来た。
顔を見ただけで分かった。また面倒な話だ。
「どうぞ持ち帰ってください」
「まだ何も言っておりません」
「その顔は面倒な話の顔です」
ベルトラムが少し苦い顔で書類を差し出した。
「冬越え前の穀物搬入に関しまして、宰相補佐殿から改めてご相談があります」
俺は書類を受け取った。
表紙を読んだ瞬間、目が止まる。
搬入先の欄に3つの倉の名前が並んでいた。
所管が出納局、近衛儀典室、民政局とばらばらだ。
「担当が3部署に分かれてる」
「はい。もとは民政局が一括管理しておりましたが、王族向けの来賓用備蓄は儀典室が管理するということになり、出納局の倉を一時的に転用した経緯があるようで」
「いつの話だ」
「5年前の改定です。その後、誰も整理していないようで」
俺は書類の次のページをめくった。
搬入ルートの欄を見ると、北の街道と河川輸送が混在している。
ルートごとの輸送量の記載はなく、どちらが何割を担っているかが分からない。
「河川輸送の担当は」
「水運組合との契約は商務局が窓口ですが、実際の荷の采配は……」
ベルトラムが少し間を置いた。
「確認が取れておりません」
前世で言うなら、五月雨式に引き継がれた業務委託が誰の管理下にもない状態だ。
そういう案件は、何かが起きた瞬間に一番近くにいた人間が全部かぶる。
「人手の話は」
「それが、もう一つ問題でして」
ベルトラムが声のトーンを少し落とした。
「第一王子殿下が来月、北部の農村へ慰問に赴かれます。現地での警備と接待の準備のために、民政局と輸送担当の人員が相当数動員されております」
「冬越えの搬入と時期が被る」
「左様でございます。荷馬車の手配も、現在は視察向けに優先割り当てされているようで」
俺は書類を閉じた。
建国祭のときと同じ構図だった。
見栄えのいい行事が優先される。
実務の人手がそっちへ流れる。
残った人間が現場をなんとかしようとして、でも責任者がいないから判断できない。
穀物なら、搬入が間に合わなければ冬に直接響く。
◇
「今すぐ動く気はない」
俺はそう言った。
ベルトラムが表情を変えずに待っている。
「まず資料を出させる。倉ごとの在庫量と保管可能量、輸送ルートと担当者の一覧、それから人員転用の記録。今どこに何人いて、どこへ何人回っているか」
「いつまでに、と伝えますか」
「明後日の午前中。それまでに揃わないなら、こちらには何も持ち込まないよう伝えてくれ」
「かしこまりました」
「あと、各倉の管理責任者名も一覧に入れるよう言え」
ベルトラムが頷いた。
「空欄があれば、そこが問題の所在だと分かる。名前が書けないということは、引き受ける人間がいないということだから」
ベルトラムが出ていった後、ミナが書き終えた断り文を持って入ってきた。
机の端に置いて、何も言わずに下がろうとした。
「出ていかなくていい」
ミナが足を止めた。
「断るつもりだったのに引き受けましたね」
「引き受けてない。資料を要求しただけだ」
「同じに見えます」
「違う」と俺は言った。
「資料を見てから判断する。見もせずに引き受けるのと、見てから中身を把握した上で動くのは、全然違う」
ミナが少し考えてから「そうですね」と言い、茶を入れ直しに行った。
◇
資料が届いたのは2日後の朝だった。
予告より早い。先方も焦っていた。
ミナが束を机に置いた。かなりの厚みがある。
「多いですね」
「多いのは中身じゃなくて、問題の数かもしれない」
紙を取って読み始めた。
最初の倉の在庫表は問題なかった。
2枚目も、数字は出ていた。
3枚目で手が止まった。
北の倉の欄に、管理責任者の名前がない。
備考の欄に小さく「現在確認中」と書いてある。
その隣に記載された保管可能量は1,200石。
搬入予定量の欄には1,800石とある。
600石、入らない。
次のページに移った。
輸送担当者一覧には9名の名前があったが、そのうち6名に括弧書きで『視察準備班へ一時転出』と書いてある。
今月の搬入を動かせるのは3名だ。
俺は書類を静かに机に戻した。
「……思ったよりひどいな」
ミナが手を止めて、こちらを見た。
「どれくらいひどいですか」
「現地に行かないと、全部は見えない」
答えながら、次のページをめくる。
まだある。
どこまで続くのか、まだ分からない。
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