第百十四話 皇帝の、舌
一 ガルゼス、来訪
アステリアに、戻ると——意外な、客が、来ていた。
黒い、長衣。だが、以前の、威圧的な、気配は、薄れ、どこか、穏やかに、なっている。
ガルディア帝国の、皇帝——ガルゼスだった。
「皇帝!?」アルクは、驚いた。「来てたのか」
「久しいな、アルク」ガルゼスは言った。「自国の、政務が、一段落、してな。
——様子を、見に、来た。お前たちの、建国の」
ガルゼスは、アステリアの、町並みを、見渡した。整然とした、家々。賑わう、市場。豊かな、畑。湯けむりの、立つ、大浴場。
「……見事だ」ガルゼスは、しみじみと、言った。
「二百年、玉座から、世界を、見てきた、この私が
——素直に、感嘆する。これほど、短期間で、ここまでの、町を、築くとは」
「みんなの、おかげだ」アルクは言った。
「相変わらず、だな」ガルゼスは、ふっと、笑った。「だが——その、『みんなの、おかげ』を、引き出せるのが、お前の、力だ。私には、できなかったことだ」
ガルゼスが、少し、目を、伏せた。二百年、奪い、集約し、孤立した、自分を、思い返すように。
「皇帝」アルクは言った。「せっかく、来たんだ。ゆっくり、していってくれ。
——アステリアを、案内する」
二 皇帝の、目
アルクが、ガルゼスを、町中、案内した。
ガルゼスは——ただの、見物では、なかった。二百年、帝国という、巨大な国を、統治してきた、その目で、アステリアを、見ていた。
「アルク」ガルゼスは言った。「ここの、水路は、よく、考えられている。だが——ここに、もう一本、支流を、引けば、東の、新しい区画にも、水が、行き渡るぞ」
「あ——確かに」カインが、メモを、取った。
「市場の、配置も——」ガルゼスは言った。
「商会の、近くに、集めると、人の、流れが、良くなる。荷の、運搬も、楽になる」
「なるほど」カインは、感心した。「さすが、二百年の、統治の、知恵です」
「二百年、間違え続けた、知恵だがな」ガルゼスは、自嘲した。「だが——こういう、形で、役立てるなら。少しは、贖罪に、なるか」
そして——案内の、途中。
商会で、ガルゼスは、星の雫を、勧められた。
「アステリアの、特産品です」ネッサが、杯を、差し出した。「果実のお酒、星の雫。
——よかったら、どうぞ」
ガルゼスが、一口、飲んだ。
その瞬間——皇帝の、表情が、変わった。
三 皇帝の、舌
「……これは」ガルゼスは、杯を、見つめた。
「ほう。——これは、見事な、酒だ」
「気に入って、もらえたか?」アルクは言った。
「うむ」ガルゼスは言った。「二百年、生きてきて、あらゆる、美酒を、味わってきた。帝国の、宮廷には、各地の、銘酒が、集まっていたからな。
——だが、この、星の雫は。その、どれとも、違う。香りが、高く、後味が、清らかだ」
「皇帝、お酒に、詳しいんですね」ネッサが、言った。
「二百年も、生きていると——楽しみが、酒くらいしか、なくなるのだ」ガルゼスは、苦笑した。
「それより——アルク。一つ、助言を、しても、いいか」
「ぜひ」
「この、星の雫は、素晴らしい」ガルゼスは言った。「だが——一つ、惜しい点が、ある」
「惜しい点?」
「飲み方だ」ガルゼスは言った。
「この酒は、香りが、命だ。なら——香りを、最も、引き立てる、器が、要る。薄く、口の広い、杯で、飲めば——香りが、より、立つ。それと」
ガルゼスが、続けた。
「冷やして、飲むのも、いいが
——少し、温めると、また、違った、甘い香りが、立つ。二つの、飲み方を、提案すれば——買い手は、二度、楽しめる。値も、上がる」
「温めて、飲む——」カインが、目を、見開いた。
「考えても、いませんでした」
「それと——」ガルゼスは、商人の、ような目に、なった。「この酒は、量産より、希少性で、売れ。
『アステリアでしか、作れない、幻の酒』として、少量を、高値で、売る。安売りすれば、価値が、下がる。——王侯貴族は、『手に入りにくいもの』ほど、欲しがる。私が、そうだったから、よく、わかる」
「……すごい」ネッサが、感心した。「皇帝、商売も、上手なんですね!」
「二百年、国を、回してきたのだ」ガルゼスは言った。「金の、流れは——嫌でも、わかる。それに」
ガルゼスが、少し、楽しそうに、言った。
「帝国の、宮廷にも——この酒を、卸さないか?」ガルゼスは言った。「帝国の、貴族は、目が、肥えている。彼らが、こぞって、求めれば——『あの帝国の宮廷が、認めた酒』という、箔が、つく。各地での、評判も、跳ね上がるぞ」
「帝国の、宮廷御用達——」カインが、唸った。
「それは——強力な、宣伝に、なります」
「どうだ」ガルゼスは、にやりと、笑った。「これも、贖罪の、一つだ。受け取れ」
「ありがとう、皇帝」アルクは言った。「助かる」
「ふん」ガルゼスは言った。「お前に、感謝されると——調子が、狂うな」
四 甘いもの、仲間
その夜。
ガルゼスを、もてなす、宴が、開かれた。
ネッサの、手料理と、風呂敷の、ごちそうが、並んだ。デザートには——たっぷりの、甘味。
その時。
ぽふん、と、星の光が、弾けた。
『甘い匂い——!』
女神だった。
『あら?』女神が、ガルゼスを、見て、首を、かしげた。『あなたは——ガルディアの、皇帝?』
「……女神」ガルゼスが、居住まいを、正した。少し、緊張した、面持ちで。「お初に、お目にかかります。私は——二百年、間違いを、犯し続けた、愚かな、皇帝です」
『ふふ』女神は、微笑んだ。『でも、今は、アルクの、力になってるんでしょう? それで、いいの。過去より——これからよ』
「……ありがたき、お言葉」ガルゼスは言った。
女神が、甘味を、手に取って——ガルゼスにも、一つ、差し出した。
『はい、あなたも』女神は言った。『甘いものは、好き?』
「……実は」ガルゼスが、少し、ばつが悪そうに、言った。「二百年、隠してきたが——甘いものには、目が、ない」
『まあ!』女神が、目を、輝かせた。『わたしも! アルファも! 甘いもの、仲間ね!』
『皇帝はん、甘党なんか!?』アルファが、甘味から、顔を、上げた。『仲間や! ようきた!』
「……アルファ、だったか」ガルゼスが、苦笑した。「二百年、威厳を、保ってきた、私が——守り手と、女神と、甘いものを、囲むとは。——人生、わからぬものだ」
『美味しいものに、威厳は、いらないわ』女神が、笑った。『さあ、食べましょう!』
神々しい女神と、関西弁の守り手と、二百年生きた皇帝が——甘味を、囲んで、わいわいと、語らう。
その、不思議で、温かい光景に——アルクは、思わず、笑った。
「皇帝、すっかり、馴染んでるな」アルクは言った。
「……静かにしろ」ガルゼスは言った。だが、その顔は、穏やかだった。
「だが——悪く、ない。こういう、時間も。二百年、私には、なかったものだ」
五 皇帝の、土産話
宴の、終わり。
ガルゼスが、アルクに、言った。
「アルク」ガルゼスは言った。「帰る前に——一つ、伝えておく」
「なんだ?」
「帝国にも——お前の、力で、救われた、民が、大勢いる」ガルゼスは言った。「お前が、澱みを、浄化し、私と、和解したことで
——帝国は、変わり始めた。民は、ようやく、澱みに、怯えずに、暮らせるように、なった」
「それは——よかった」アルクは言った。
「だが」ガルゼスは言った。「中には——『新しい世界へ、行きたい』と、願う者も、いる。帝国で、罪を、犯した過去を、悔い、やり直したいと、願う者が。——そういう者を、アステリアで、受け入れる、余地は、あるか?」
「もちろんだ」アルクは言った。「過去は、関係ない。やり直したいと、願う者なら——誰でも、歓迎する」
「……お前は、本当に」ガルゼスは言った。「甘いな。だが——その甘さが、人を、救う。私の、冷徹さが、救えなかった者を」
ガルゼスが、立ち上がった。
「次は——その者たちを、連れてくる」ガルゼスは言った。「そして——星の雫を、宮廷に、卸す、話も、進めよう。帝国の、商人も、紹介する。
——アステリアの、経済は、もっと、大きくなるぞ」
「ありがとう、皇帝」アルクは言った。「——また、来てくれ。甘いものも、用意しておく」
「ふっ」ガルゼスは、笑った。「それは——楽しみだ」
ガルゼスが、帰っていった。
二百年、世界を、脅かした、皇帝が
——今は、アステリアの、最も頼もしい、協力者の、一人に、なっていた。
「皇帝、いい人に、なりましたね」ネッサが、言った。
「ああ」アルクは言った。「奪うことしか、知らなかった人が
——今は、与えることを、覚えた。——いい、変化だ」
『縁が——また、深まったな』エニが、言った。『かつての、最大の敵すら。今は、アステリアの、縁の、一部だ』
「ああ」アルクは、星空を、見上げた。
故郷との、繋がり。皇帝との、絆。広がっていく、特産品。賑わう、経済。
アステリアは——人の、縁で、どんどん、豊かに、なっていく。
与えるだけで、強くなる。
その言葉の、本当の意味が——今、形に、なっていた。




