第百九話 湯けむり、立つ
一 暮らしを、創る
隊商との、交易が、始まって。
アステリアには、各地の珍しい品が、届くように、なった。色鮮やかな布。香り高い香辛料。良質な鉄。——町は、日に日に、彩りを、増していった。
だが、ある朝。
ネッサが、困った顔で、アルクのもとに、やってきた。
「アルクさん、相談が、あって」ネッサは言った。
「住人のみなさんが——お風呂に、入りたいって」
「お風呂?」アルクは言った。
「はい」ネッサは言った。「畑仕事や、建築で、毎日、汗だくになるでしょう? でも、各家に、お風呂を作るのは、大変で。泉の水で、体を拭くくらいしか、できなくて。——みんな、ゆっくり、お湯に、浸かりたいなって」
「なるほど」アルクは、考えた。
「——なら、みんなで、入れる、大きな風呂を、創ろう」
「創れるんですか!?」ネッサが、目を、輝かせた。
「やってみる」アルクは言った。
アルクは、広場の、近くの土地に、手を、かざした。
目を、閉じて——思い描く。広くて、温かい、湯気の立つ、大きな湯船を。みんなが、笑顔で、浸かれる場所を。
「創る」アルクは、念じた。
光が、立ち上った。
石造りの、立派な建物が、現れた。中には——広々とした、湯船。だが。
「……お湯が、ない」アルクは言った。湯船は、空っぽだった。
「あはは」ネッサが、笑った。「建物は、できたけど、お湯は、別、なんですね」
「そこは、俺の出番だぜ」
ドルムが、職人たちと、やってきた。
「湯を、沸かすなら——竈と、配管が、要る」ドルムは言った。「泉から、水を、引いて。竈で、沸かして、湯船に、流す。——その仕組みは、我ら職人が、作ってやる。アルク殿は、建物と、湯船を。役割分担だ」
「助かる、ドルムさん」アルクは言った。
二 水路と、水車
「ついでに、だ」ドルムは言った。「アルク殿。この際、町中に、水路を、通したら、どうだ?」
「水路?」
「泉の水を、町の、隅々まで、流すのよ」ドルムは言った。「各家の、近くまで、水が、来れば——水汲みの、手間が、省ける。畑にも、水が、行き渡る。——どうだ?」
「いいな、それ」アルクは言った。「リィナ、土地の、高低は、わかるか?」
「もちろんです」リィナが、《探究の賢者》の力で、地形を、読んだ。「泉が、最も高い位置に、あります。そこから、水路を、引けば、自然に、町全体へ、水が、流れます。——設計図、描きましょうか」
「頼む」アルクは言った。
カインが、リィナの情報を、もとに、水路の、全体図を、設計した。
「これで、いきましょう」カインは言った。「泉から、放射状に、水路を。各家の前を、通り、最後は、畑へ。——水を、無駄なく、使えます」
アルクが、《創生》で、設計通りに、水路を、創った。石組みの、美しい水路が、町中を、巡っていく。清らかな水が、さらさらと、流れ始めた。
「わあ……!」住人たちが、歓声を、上げた。「家の前に、水が——!」
さらに、アルクは、水路の途中に、大きな水車を、創った。
「水車?」ネッサが、言った。
「これで——小麦を、挽ける」アルクは言った。
「水の力で、石臼を、回す。粉が、楽に、作れる。
——ネッサ、パン、作りやすくなるぞ」
「すごいです!」ネッサが、喜んだ。「これで、毎日、焼きたてのパンが、作れます!」
ガドルが、回る水車を、見上げて、言った。
「アルク、お前——だんだん、創れるものが、大きくなってるな」ガドルは言った。「最初は、家、一軒だったのに。今は、町の、仕組みごと、創ってる」
「縁が、増えたからだ」アルクは言った。「みんなと、繋がるほど——創れるものが、広がっていく」
三 初めての、大浴場
その夕方。
ドルムたちの、配管が、完成し——大浴場に、初めて、お湯が、張られた。
湯気が、もうもうと、立ち上る。
「うおおお!」最初に、飛び込んだのは、ガドルだった。「これだ! これを、待っていた!」
ガドルが、豪快に、湯船に、浸かった。
「……っ、効くぅ……」ガドルが、うっとりと、言った。「疲れが、溶けていく……。木彫りの兎を、彫る手も、湯で、ほぐれるってもんだ」
「お前は、本当に、兎が、好きだな」バルガが、隣に、浸かった。そして——ほうっと、息を、吐いた。
「……平和の、味だ」
「バルガさん、お風呂でも、それ言うんですね!」
湯気の向こうから、ネッサの声が、した。女湯は、塀で、仕切られている。
「平和は、湯にも、ある」バルガは、しみじみと、言った。
ライナも、湯船に、浸かっていた。
最初は、慣れない様子で、縁に、腰掛けていたが——おそるおそる、肩まで、浸かると。
「……」ライナが、目を、閉じた。
「ライナ、どうだ」アルクが、隣で、聞いた。
「……いい、ものだな」ライナは言った。静かに。「帝国にいた頃は——湯に、浸かるなど、なかった。冷たい水で、体を、清めるだけ。
——こんな、温かいものに、包まれるのは」
ライナが、少し、言葉を、探した。
「——なんだか、許されている、ような、気が、する」ライナは言った。
「ライナ……」
「妙なことを、言った。忘れてくれ」ライナは、ぶっきらぼうに、言った。だが、その顔は、穏やかだった。
湯気の向こうで——シルフィと、キラが、ちゃぷちゃぷと、お湯の上を、飛んで、遊んでいた。
『おふろ、きもちいー!』シルフィが、はしゃいだ。
『キラも、すき!』キラが、言った。
「お前たち、濡れて、大丈夫なのか」アルクが、笑った。
『へいきー! ふわふわ、もどるもん!』
ルミと、アルファも、湯船の縁で、くつろいでいた。
「いいお湯だね」ルミが、言った。
『あー、極楽や……』アルファが、リボンを、外して、伸びをした。『うち、こういうの、好きやわ……』
四 女神の、湯あみ
その時。
脱衣所の方から、ぽふん、と、星の光が、弾けた。
『——お風呂!?』
女神だった。いつの間にか、現れて。湯気を、嗅いで、目を、輝かせている。
「女神様!?」アルクが、慌てた。「い、いつの間に
——!」
『だって、すごく、いい、湯気の匂いが、して』女神は言った。『天上から、見ていたら——アステリアに、お風呂が、できたでしょう? わたし、お風呂、大好きなの! 入っても、いい?』
「め、女神様が、お風呂に——!?」ネッサの、慌てた声が、女湯から、した。「ど、どうぞ! 女湯は、こっちです!」
『やったぁ!』女神が、いそいそと、女湯へ、向かった。
しばらくして——女湯から、女神の、感激した声が、聞こえてきた。
『……っ、なんて、気持ちいいの……!』女神が、しみじみと、言った。『天上の、雲のお風呂より、ずっと、温かい……! お湯が、肌に、染みる……!』
「気に入って、もらえて、よかったです!」ネッサの、笑い声。
『ネッサ、背中、流してあげる!』
「め、女神様に、背中を流してもらうなんて、恐れ多いです——!」
『いいの、いいの! こういうの、一度、やってみたかったの!』
「ヴィナさん、助けてください——!」
「あたしは、知らん」ヴィナの、呆れたような、声。だが、楽しそうだった。
男湯で、アルクたちは、顔を、見合わせて、笑った。
「神々しさが、お湯に、溶けてるな」ライナが、ぼそりと、言った。
「ああ」アルクは、笑った。「でも——あれが、女神様だ」
『聞こえてるわよー!』女神の、明るい声が、塀越しに、響いた。『でも、いいの! こんなに、楽しいんだもの!』
湯けむりの、立つ夜。
神様まで、一緒に、お風呂を、楽しむ町。
アステリアの、温かい夜が、更けていった。
五 湯上がりの、甘味
湯上がり。
ネッサが、冷たい果実水と、小さな焼き菓子を、振る舞った。
「お風呂上がりには、これです!」ネッサが、言った。
「うまい!」ガドルが、果実水を、一気に、飲んだ。「湯上がりの、これは、最高だな!」
『甘いものぉ!』アルファが、焼き菓子に、飛び込んだ。
『わたしも!』シルフィが、続いた。
『ずるい! キラも!』
「お前たち、順番だ」アルクは、笑った。
女神も、湯上がりで、ほかほかの顔で、焼き菓子を、頬張っていた。
『……しあわせ』女神が、呟いた。『お風呂のあとの、甘いもの。——これ以上の、幸せが、あるかしら』
「女神様、すっかり、くつろいでますね」アルクは、笑った。
『だって——ここは、居心地が、いいんだもの』女神は言った。少し、優しい顔に、なって。『みんなが、笑っていて。温かくて。——わたしが、ずっと、見たかった世界が、ここに、できていく』
女神が、湯気の立つ町を、見渡した。
『アルク』女神は言った。『あなたは、本当に
——いい国を、創っているわ』
「まだ、始まったばかりだ」アルクは言った。「もっと、いい国に、する。——みんなで」
『ふふ』女神は、微笑んだ。『楽しみに、しているわ』
その夜。
アステリアの、湯けむりは——星空の下、いつまでも、優しく、立ち上っていた。




