第百七話 芽吹く、種
一 町に、なる
ネブロスの魔獣を、退けてから、数日。
アステリアは——また一段、大きくなっていた。
アルクが《創生》で土台を創り、ドルムたち職人が、細部を仕上げる。その分業が、すっかり、板についてきた。
「アルク殿!」職人頭のドルムが、汗を、拭いながら、言った。「見てくれ! 広場の、噴水だ!」
中央広場の真ん中に——立派な、石造りの噴水が、できていた。アルクの泉から引いた、清らかな水が、こんこんと、湧き上がっている。
「すごいな、ドルムさん」アルクは言った。「俺が創ったのは、ただの、水盤だったのに——こんなに、立派に」
「飾りの彫りは、我ら職人の、腕の見せどころよ!」ドルムは、得意げに、言った。「女神様の、小さなギフトのおかげで、手も、よく動く。——なあ、アルク殿。前の世界では、こんな仕事、夢のまた夢だった。澱みに怯えて、その日を、生きるだけ。——だが、今は」
ドルムが、噴水を、見つめた。
「未来のために、ものを、創れる」ドルムは言った。「こんなに、嬉しいことは、ないな」
「ああ」アルクは言った。「同じ気持ちだ」
広場では——コダマ族の子供たちと、移住者の子供たちが、噴水の周りで、はしゃいでいた。種族が違っても、子供たちは、すぐに、仲良く、なった。
『きゃー! みずー!』
シルフィが、子供たちと一緒に、噴水の縁を、ふわふわと、飛び回っていた。
『ご主人さまー! みて、みて! おみずが、キラキラだよー!』
「ああ、見てる」アルクは、笑った。「気をつけて、遊べよ、シルフィ」
『はーい!』
キラも、その隣で、子供たちに、囲まれていた。
『キラさま、もふもふ!』
『えへへ、撫でていいよー』
虹色のたてがみを、子供たちに、撫でられて、キラは、嬉しそうに、目を、細めた。
「平和だな」バルガが、竪琴を、抱えて、広場の隅に、腰を下ろした。「——平和の、味がする」
「バルガさん、まだ、何も食べてないのに」ネッサが、笑った。
「平和は、味わうものだ」バルガは、しみじみと、言った。
二 ライナと、子供たち
その、広場の片隅。
ライナが、一人、木陰に、座っていた。
黙って、子供たちが、遊ぶ様子を、見ている。
「ライナさん」ネッサが、近づいた。「一人で、何してるんですか?」
「……見ているだけだ」ライナは言った。「子供たちが、遊ぶのを」
「混ざらないんですか?
「俺は——子供の、扱いが、わからん」ライナは言った。少し、目を、伏せて。「帝国にいた頃は、子供と、関わることなど、なかった。——いや」
ライナが、言葉を、止めた。
「ライナさん?」
「……俺も、昔は、子供だった」ライナは言った。静かに。「帝国の、孤児院で。——だが、あそこには、こんな、笑い声は、なかった」
ネッサが、黙った。
「いつも、腹を、空かせて」ライナは言った。「強くなければ、生き残れなかった。笑うことなんて——忘れていた」
「ライナさん……」
その時。
遊んでいた子供の一人が——転んだ。広場の、石畳で。膝を、すりむいて、泣き出した。
他の子供たちが、心配そうに、集まる。だが、どうしていいか、わからない。
ライナが——ふと、立ち上がった。
自分でも、無意識のうちに。
泣いている子供のもとへ、歩み寄り、しゃがんだ。
「……痛むか」ライナは言った。ぶっきらぼうに。
子供が、こくり、と、頷いた。涙で、ぐしゃぐしゃの顔で。
「泣くな」ライナは言った。「——いや」
ライナが、少し、言い直した。
「泣いても、いい」ライナは言った。「痛いときは ——泣いて、いいんだ。俺は、それを、我慢して
——笑い方を、忘れた。だから、お前は
——ちゃんと、泣け」
ライナが、不器用に、子供の頭を、撫でた。大きな、剣を握る手で、そっと。
子供が——ライナを、見上げた。それから、こくり、と、頷いて。
涙を、拭いて——にっこり、笑った。
「おじちゃん、ありがとう!」
「……おじちゃん、ではない」ライナは言った。少し、むっとして。だが、その口元が、緩んでいた。「兄ちゃん、だ」
「ライナ兄ちゃん!」子供が、言った。
他の子供たちも、わっと、ライナに、群がった。
「ライナ兄ちゃん、遊ぼ!」
「お、おい——」ライナが、戸惑った。
「ライナさん、大人気ですね!」ネッサが、笑った。
三 種が、芽吹く
その時。
アルクの肩で——エニが、静かに、光の輪を、回した。
『……アルク』エニが、言った。『ライナの、ギフトが——動いた』
「ライナの?」アルクが、ライナを、見た。
ライナの胸元で——女神が授けた、小さな種のようなギフトが、かすかに、光っていた。今まで、眠っていた光が——初めて、ほのかに、灯った。
「あれは——」アルクは言った。
『芽吹いた』エニは言った。『ほんの、小さく。だが——確かに。ライナが、見返りを求めず、子供に、手を伸ばした。その心が——種を、目覚めさせた』
「ライナの、優しさが——ギフトを、育てたのか」アルクは言った。
『そうだ』エニは言った。『女神は、言っていた。あの種は、ライナ自身の行いで、育つ、と。——今、最初の、芽が、出た』
ライナが、子供たちに、もみくちゃに、されながら——ふと、自分の胸元の、光に、気づいた。
「……これは」ライナが、呟いた。
「ライナ」アルクが、近づいた。「お前の、ギフトが——芽吹いたみたいだ」
「俺の、ギフトが?」ライナが、戸惑った。「俺は——何も、特別なことは、していない。ただ、子供が、泣いていたから——」
「それが、特別なことなんだ」アルクは言った。「お前が、誰かのために、手を伸ばした。見返りも、なく。——女神様が、言ってただろう。お前の行いで、種は、育つって」
「……そうか」ライナは、自分の胸元の、光を、見つめた。「俺の、行いで」
『まだ、小さな芽だ』エニが、言った。『どんな力に、育つかは、わからぬ。だが——お前が、これからも、人のために、生きるなら。この芽は、いつか、立派な力に、なるだろう』
「……ありがとう、ございます」ライナは言った。子供たちに、囲まれたまま。少し、照れたように。「育てて、みせます。——この、芽を」
「ライナ兄ちゃん、光ってる! きれい!」子供たちが、はしゃいだ。
「……ああ」ライナは言った。「お前たちの、おかげだ」
元・敵だった男が——今、子供たちに、慕われ、優しさで、ギフトを、芽吹かせていた。
アルクは、その光景を見て、微笑んだ。
「いい、芽だ」アルクは、呟いた。
四 ネッサの、ごちそう
その夜。
共同食堂で、ささやかな、祝いの席が、開かれた。ライナのギフトが、芽吹いたお祝いに。
「今夜は、あたしの、手料理です!」ネッサが、腕まくりを、して、言った。「ライナさんの、好きな、肉じゃがも、たくさん、作りました!」
大きな鍋に、ほくほくの、じゃがいもと、柔らかく煮込んだ肉。甘辛い、汁が、よく染みている。湯気が、ふわりと、立ち上った。
それだけでは、ない。
ふっくらと焼けた、白身魚の塩焼き。シャキシャキの、青菜のおひたし。具だくさんの、温かい味噌汁。そして——炊きたての、白いごはん。
「材料は、コダマ族のみんなが、育ててくれた、お野菜と」ネッサは言った。「お魚と、お肉。お米は、アルクさんの風呂敷からです。
——みんなの、おかげで、作れました!」
「うまそうだ!」ガドルが、目を、輝かせた。
「ライナさん、どうぞ!」ネッサが、ライナに、肉じゃがの器を、差し出した。「いっぱい、食べてくださいね!」
ライナが、一口、食べた。
動きが——止まった。
「……うまい」ライナは言った。しみじみと。「やはり——ネッサの、肉じゃがは、うまい」
「やった!」ネッサが、喜んだ。
「ライナ、すっかり、肉じゃがの、虜だな」ガドルが、笑った。「俺は、この、魚が、好きだぞ! 骨まで、うまい!」
「私は——この、味噌汁です」リィナが、椀を、抱えて、言った。「データ的に、疲労回復に、最適な、組み合わせ。——いえ、単純に、美味しいです」
「リィナさん、素直!」ネッサが、笑った。
「平和の、味だ」バルガが、ごはんを、頬張りながら、言った。
「バルガさん、今日は、ちゃんと食べてから、言いましたね!」
「平和は、食べてこそ、だ」
全員が、笑った。
ヴィナが、ライナの、嬉しそうな顔を見て——ふと、言った。
「ライナ」ヴィナは言った。「お前、変わったな」
「……そうか」ライナは言った。
「ああ」ヴィナは言った。「初めて会った頃は——氷みたいな、目を、してた。でも、今は」
ヴィナが、少し、笑った。
「人間らしく、なった」ヴィナは言った。「——おかえり。何度でも、言ってやる」
「……ヴィナ」ライナは言った。少し、目を、伏せて。「ありがとう」
「礼は、いらん」ヴィナは言った。「——肉じゃが、あたしにも、よこせ」
「これは、俺の、皿だ」ライナは言った。
「ケチ」
「ネッサ、おかわりは、あるか」ライナが、言った。
「いっぱい、ありますよ!」ネッサが、笑った。「ヴィナさんの分も!」
賑やかな、食卓。
温かい、湯気。笑い声。
アステリアの夜は——優しく、更けていった。
五 遠い、空に
宴も、終わりに近づいた頃。
アルクは、一人、食堂を出て、夜風に、当たっていた。
満天の、星空。澱みのない、清らかな夜空。
「ご主人さまー」
シルフィが、ふわふわと、肩に、降りてきた。眠そうに、目を、こすって。
「シルフィ、まだ、起きてたのか」アルクは言った。
『ご主人さまが、一人だと——寂しいかなって』シルフィは言った。『わたし、ずっと、そばにいるよ』
「ありがとう」アルクは、シルフィの頭を、そっと、撫でた。「——お前は、本当に、優しい子だな」
『えへへ』シルフィが、嬉しそうに、笑った。
その時。
アルクは——遠くの空に、何かを、見つけた。
地平線の、ずっと向こう。夜空の、端に。
小さな、光の点が——いくつも、揺れていた。
「あれは——?」アルクは、目を、凝らした。
火だ。たくさんの、たいまつのような、火が、遠くで、列を、なして、揺れている。
「ルミ」アルクは、呼んだ。
「うん」ルミが、肩に、降りた。「あたしも、気づいてた。——あれは、火。たくさんの、人の、灯り。隊列を、組んで、こっちに、向かってる」
「人?」アルクは言った。「移住者じゃ、ないよな。扉は、開いてない」
「うん」ルミは言った。「故郷からじゃ、ない。
——あれは、この世界の、誰かだよ」
『……縁の糸が、新しく、伸びていく』エニが、言った。『遠い、灯りの方へ。——アルク。あれは、この新しい世界に、もとから、暮らしている者たちだ』
「この世界の、住人——」アルクは言った。「コダマ族の、他にも、いたのか」
『いる』エニは言った。『女神は、言っていた。この世界には、まだ、誰も国を築いていない、広大な土地がある、と。——だが、それは、人が、まったくいない、という意味では、なかった。広い世界の、どこかには——国も、人も、いる』
「その、誰かが——アステリアに、近づいてる」アルクは言った。
遠い空の、揺れる灯り。
それは——ゆっくりと、確実に、アステリアへ向かって、近づいてきていた。
「敵、かな」アルクは、呟いた。
「わからない」ルミは言った。「でも——明日には、わかるよ。あの灯りは、もうすぐ、ここに、着く」
アルクは、しばらく、その灯りを、見つめていた。
新しい世界での——初めての、来訪者。
それが、何を、もたらすのか。
まだ、誰にも、わからなかった。




