第百二話 星をまとう女神
一 扉を、抜けて
屋敷の、最奥。
ルミが、力を込めると——最奥の扉が、ゆっくりと、開いた。
その向こうから、風が、吹き込んできた。
澄んだ、清らかな、風。これまでに、感じたことのないほど、軽く、優しい風だった。
「行こう」アルクは言った。
全員で、扉を、くぐった。
その先に、広がっていたのは——
果てしない、緑の大地だった。見渡す限りの草原。遠くに、なだらかな丘。さらに遠く、青く霞む山々。空は、どこまでも青く、高い。
だが——「裏側」「澱みの根源」という言葉から、想像していた、おどろおどろしさは、まるで、なかった。
むしろ——美しかった。
「……きれい」ネッサが、呟いた。「ここが、世界の、裏側? 澱みの、根源が、ある場所?」
「おかしいな」リィナが、辺りを、見回した。「澱みが——まったく、ない。むしろ、故郷より、ずっと、清らかです」
「これは——どういうことだ」アルクは、戸惑った。
その時。
空が——光った。
二 降臨
青い空の、一点が、眩く輝き、その光が、ゆっくりと、地上へ、降りてきた。
光が、人の形を、成していく。
現れたのは——一人の、女性だった。
長い、銀色の髪。星をちりばめたような、淡く輝く衣。穏やかで、優しく、それでいて、限りなく、神々しい——だが、どこか、親しみやすい、微笑み。
その姿を見た瞬間、誰もが、言葉を、失った。
『ようやく、会えたわね』その女性は、言った。鈴を転がすような、温かい声。『アルク。——わたしの、可愛い、賦活師』
「あなたは——」アルクは言った。
『わたしは、女神』彼女は、微笑んだ。『この世界と、あなたの故郷——二つの世界を、見守る者。あなたに、守り手を、遣わした者よ』
「女神……!」ネッサが、息を呑んだ。
『ふふ』女神は、笑った。『そんなに、畏まらなくて、いいの。——さあ、アルク。まず、これだけは、言わせて』
女神が、アルクの前に、降り立った。そして——アルクの手を、両手で、そっと、包んだ。
『よく、頑張ったわね』女神は言った。優しく。『本当に——よく、頑張った』
三 ねぎらい
『あなたは、何も持たずに、生まれてきた』女神は言った。『鑑定不能と言われ、ランク外と蔑まれ。——それでも、あなたは、腐らなかった。ただ、困っている人に、手を伸ばし続けた』
「……」アルクは、黙って、聞いていた。
『その姿を、わたしは、ずっと、見ていた』女神は言った。『澱みに満ちたあの世界に、わたしは、直接は、降りられなかった。——澱みは、わたしの力と、相反するから。だから、守り手を遣わし、見守ることしか、できなかった。あなたが、傷つくたびに——胸が、痛んだ』
「澱みのせいで——来られなかったんですね」アルクは言った。
『ええ』女神は、頷いた。『でも、この世界は、違う。ここは、澱みのない、清らかな世界。だから、わたしは、こうして、あなたの前に、立てる。——やっと、直接、お礼が、言える』
女神が、アルクの手を、握る力を、少しだけ、強めた。
『ありがとう、アルク』女神は言った。『あなたは、世界を、救った。守り手たちを、目覚めさせ、仲間と、縁を結び、二百年の宿怨すら、ほどいた。——あなたほど、わたしの願いを、叶えてくれた賦活師は、いなかった』
「俺、一人の力じゃ——ありません」アルクは言った。「みんなの、おかげです」
『そう言うと、思った』女神は、くすっと、笑った。『そういうところよ、アルク。あなたの、いいところは』
四 仲間たちへ
女神は、アルクの仲間たちを、見渡した。
『あなたたちにも、お礼を』女神は言った。『ヴィナ。ネッサ。カイン。ガドル。リィナ。バルガ。
——あなたたちが、いなければ、アルクは、ここまで来られなかった。本当に、ありがとう』
「めっ、女神様に、お礼を言われた……!」ネッサが、感激して、震えた。
『ふふ、ネッサ』女神は言った。『あなたの、明るさが、どれだけ、皆を、救ったか。——あなたの料理も、いつも、見ていたわ。とても、美味しそうだった』
「み、見てたんですか!?」ネッサが、真っ赤になった。「は、恥ずかしいです……!」
『今度、ご馳走してくれる?』女神は、悪戯っぽく、笑った。『それに風呂敷の料理も、一度、食べてみたいの』
「女神様が、食べたいって……!」ネッサが、慌てた。「は、はい! もちろんです! 腕によりをかけます!」
女神は、守り手たちにも、目を、向けた。
『ルミ、アルファ、キラ、シルフィ、エニ』女神は言った。『よく、アルクを、守ってくれたわね。
——特に、シルフィ。あなたは、長い間、声も出さずに、一人で、頑張った』
『えへへ!』シルフィが、嬉しそうに、女神の周りを、飛んだ。『わたし、がんばったよ! 女神さま、ほめて、ほめて!』
『ええ、偉かった』女神は、シルフィを、指先で、優しく撫でた。『みんな——わたしの、自慢の、守り手たちよ』
アルファが、女神の肩に、ぽふっと、乗った。
『女神はん! うち、リボン、似合うやろ!?』
『ふふ、よく似合ってるわ、アルファ』
『やった!!』
神々しいはずの女神が、守り手たちと、わちゃわちゃと、戯れる。その光景は——どこか、微笑ましく、温かかった。
五 依頼
ひとしきり、ねぎらった後。
女神の表情が、少しだけ、真剣なものに、なった。
『アルク。——一つ、あなたに、頼みたいことが、あるの』女神は言った。
「頼みたいこと?」
『まず、聞いて』女神は言った。『この世界——あなたたちが、今、立っているこの世界は、美しいでしょう? でも、その、ずっと、地の底に——封じられたものが、あるの』
「地の底に……」アルクは言った。
『地底帝国ネブロス』女神は言った。声が、わずかに、沈んだ。『すべての澱みの、根源。強大な魔獣と、古き存在たちが、ひしめく、闇の帝国。——わたしは、その上に、防壁を張って、彼らが、地上に出られないように、してきた』
「澱みの、根源……それが、ネブロス」アルクは言った。
『あなたの故郷を、苦しめてきた澱みも』女神は言った。『元をたどれば、すべて、ネブロスから、防壁の隙間を縫って、漏れ出していたもの』
「故郷の澱みも——ここから」アルクは、息を呑んだ。
『でも、わたしの防壁は——もう、限界が近い』女神は言った。『長い年月で、劣化している。ネブロスの力は、年々、強くなり——いつか、防壁は、破られる。そうなれば、この美しい世界も、あなたの故郷も——すべて、澱みに、呑まれる』
女神が、アルクを、まっすぐ、見つめた。
『だから——お願いしたいの』女神は言った。『この世界を、見守り、防壁の綻びから現れる脅威を、食い止めてほしい。そして——いつか、ネブロスの根源そのものを、浄化してほしい。それができるのは——完成した賦活師、あなただけ、だから』
六 約束
女神は、すぐには、続けなかった。
少し、ためらってから——言った。
『でも、これは——あなたに、無理を、強いることに、なる』女神は言った。『あなたは、もう、十分に、戦った。本当なら、もう——ゆっくり、休ませてあげたい。幸せに、暮らしてほしい。——なのに、また、こんな、大きな荷物を、背負わせるなんて』
女神の目が、少し、潤んだ。
『ごめんなさい』女神は言った。『わたしは——あなたに、頼ることしか、できない。情けない、女神でしょう?』
「女神様」アルクは言った。
アルクは、女神の、潤んだ目を、見て——微笑んだ。
「頭を、上げてください」アルクは言った。
「俺は——やります」
『アルク……』
「困っている人がいたら、手を伸ばす」アルクは言った。「それが、俺の、生き方です。——この世界も、故郷も、澱みの根源に、脅かされているなら。放っておけません」
「アルクさん——」ネッサが、言った。
「それに」アルクは、仲間を、見渡した。「一人じゃ、ない。みんなが、いる。——だから、できます」
「当然だ」ヴィナが、言った。「あたしたちも、やる」
「ああ」ガドルが、頷いた。「世界の裏側だろうが、なんだろうが——やってやる」
女神は、その光景を見て——ふっと、微笑んだ。涙を、拭って。
『……やっぱり、あなたたちは、すごいわ』女神は言った。『ありがとう。——でも、ただ、戦ってほしいわけじゃ、ないの』
「と、言うと?」アルクは言った。
『この世界には、まだ、誰も国を築いていない、広大な土地がある』女神は言った。『そこに——あなたたちの、国を、築いてほしい。人が集い、笑い合い、安心して暮らせる場所を。——その、灯のような国が、いつか、ネブロスの闇に、抗う、希望に、なるから』
「国を——築く」アルクは言った。
『戦うだけじゃ、ない』女神は言った。『創るの。あなたの、与える力で。——平和で、豊かで、温かい国を。それが、わたしの、本当の願い』
七 ギフト
『そのために——あなたたちに、贈り物を』女神は言った。
女神が、両手を、天に、掲げた。
空から、星のような光が、無数に、降ってきた。その光が、一行の、一人ひとりに、宿っていく。
『これは、わたしからの、祝福——ギフト』女神は言った。『共に、世界を救ってくれた、あなたたちへの、感謝の証。そして——これからの、建国の、力に』
光が、ヴィナに、宿った。
『ヴィナ。あなたには——《守護の剣聖》の力を』女神は言った。『仲間を守り、率いる、剣の極み。あなたの剣は、これから、誰も傷つけさせない盾にもなる』
光が、ネッサに、宿った。
『ネッサ。あなたには——《豊穣の招来者》の力を』女神は言った。『食物を実らせ、大地を潤し、人と魂を呼び集める力。あなたの料理は、人を癒し、人を呼ぶ』
「あたしの料理が——力に!?」ネッサが、目を、輝かせた。
光が、カインに、宿った。
『カイン。あなたには——《叡智の設計者》の力を』女神は言った。『あらゆる知識を蓄え、最適を導く力。国の、頭脳となりなさい』
光が、ガドルに、宿った。
『ガドル。あなたには——《開拓の豪傑》の力を』女神は言った。『大地を拓き、山をも動かす力。荒野を、豊かな土地に、変えなさい』
光が、リィナに、宿った。
『リィナ。あなたには——《探究の賢者》の力を』女神は言った。『未知を解き明かし、新たな技を生む力。あなたの探究心が、国を、進歩させる』
光が、バルガに、宿った。
『バルガ。あなたには——《不落の城壁》の力を』女神は言った。『国そのものを守る、絶対の守りの力。あなたが、国の、盾となりなさい』
仲間たちが、それぞれの、ギフトを、受け取った。皆、自分の中に、新しい力が、宿るのを、感じていた。
八 ライナと、アルク
女神は——ライナに、目を、向けた。
「……女神様」ライナは言った。少し、身を、硬くして。「俺は——長く、アルクの、敵でした。皆を、本気で、苦しめた。——俺に、ギフトを受け取る、資格は」
『ライナ』女神は、優しく、言った。『あなたが、長く、迷い、敵であったことは、知っている。——でも、最後に、あなたは、自分の意志で、正しい側を、選んだ。帝国に、刃を向けて、アルクを、守った』
「それは——」
『だから、あなたにも、ギフトを』女神は言った。『ただし——小さな、ギフトよ。今のあなたには、それが、ふさわしい』
小さな光が、ライナに、宿った。
『これは、種のようなもの』女神は言った。『あなたが、これから、どう生きるか。どれだけ、人のために、行動するか。——それによって、この小さな種は、大きく、花開く。あなた自身の、行いで、育てなさい』
「……俺の、行いで」ライナは、その光を、見つめた。
『あなたには、まだ、贖うべきことが、ある』女神は言った。『でも——わたしは、信じている。あなたは、きっと、この種を、立派な力に、育てる。アルクが、あなたを、信じたように』
「……ありがとう、ございます」ライナは言った。深く、頭を、下げた。「必ず——育てて、みせます」
そして、最後に——女神は、アルクに、向き直った。
『アルク。——あなたには、特別な、ギフトを』女神は言った。
女神が、アルクの、額に、そっと、指を、触れた。
眩い光が、アルクの全身に、満ちた。
『あなたのギフトは——《創生》』女神は言った。『与えたものに、形を与え、命を与え、役割を与える力。無から、有を、生み出す力よ』
「《創生》……」アルクは、自分の中に、途方もない力が、芽生えるのを、感じた。
『最初は、簡単なものしか、創れない』女神は言った。『家。道具。——でも、使うほど、縁を結ぶほど、その力は、解き放たれていく。やがて——機械も、魔法の道具も、生命さえも。そして、いつかは——新しい力や、技そのものを、創り出し、人に、与えられるようになる』
「力や、技を——創る」アルクは、息を呑んだ。
『そう』女神は、微笑んだ。『あなたは、与える者。その極致が、《創生》。——戦いにも、使える。あなたが思い描いた、どんな武器も、技も、創り出せる。建国にも、戦いにも。あなたの想像力が、そのまま、力になる』
「想像が——力に」アルクは言った。
『あなたなら、できる』女神は言った。『さあ——この、何もない世界に。あなたの手で、最初の灯を、ともしなさい』
九 始まりの灯
アルクは、自分の手のひらを、見つめた。
そこに——温かい、創造の光が、宿っていた。
試しに、アルクは、足元の大地に、手を、触れた。
「……創る」アルクは、念じた。
すると——大地から、小さな、泉が、湧き出した。清らかな、水が、こんこんと。
「水が——湧いた!?」ネッサが、驚いた。
「これが——《創生》」アルクは言った。「思い描いたものが——形に、なる」
『最初の一歩ね』女神は、微笑んだ。『これから、あなたは、たくさんのものを、創っていく。家を。街を。国を。——そして、人々の、笑顔を』
女神が、ゆっくりと、光に、包まれ始めた。天へ、還る時が、近いらしい。
『アルク』女神は言った。『時々、また、会いに来るわ。——様子を、見に。ふふ、本当は、あなたたちと、過ごすのが、楽しみなだけ、かもしれないけど』
「女神様」ネッサが言った。「今度来たとき——絶対、料理、ご馳走します!」
『楽しみにしてる』女神は、笑った。『——あなたたちなら、きっと、素晴らしい国を、築ける。わたしは、それを、見守っている。いつでも、あなたたちの、味方よ』
女神の姿が——星の光となって、空へ、昇っていった。
後に残されたのは——澄んだ青空と、湧き出したばかりの泉と。
そして——希望に、満ちた、一行だった。
「……さて」アルクは、仲間を、見渡した。手のひらの、創造の光を、見て。「始めるか。
——俺たちの、国を」
「ああ!」全員が、頷いた。
「名前は、もう、決めてあるんだ」アルクは、微笑んだ。
「名前?」ネッサが言った。
「アステリア」アルクは言った。空を、見上げて。「星の女神に、見守られる国。——星のように、たくさんの灯が、ともる国。アステリアだ」
「アステリア……!」ネッサが、その響きを、口にした。「素敵です! あったかくて、きらきらしてて——ぴったりです!」
「いい名だ」ヴィナが、頷いた。
澱みのない、青い空の下。
星の女神に、見守られて。
与えるだけの青年と、その仲間たちの——新しい物語が、始まる。
戦いも、待っている。地底に眠る、闇の脅威も。
でも——今は、ただ、希望だけが、あった。
何もない、広大な大地に。
最初の灯を——ともすために。




