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親父と二人で事務所に戻った。八重ビルの四階だ。
雑居ビルで、看板は手書き。うちの窓の下に出ている「鷲津警備」のネオンは、頭の一文字が切れて「津警備」になっている。直す金がない。来年もこのままだと思う。
客用の椅子はある。二脚。親父が拾ってきた。
椅子はあっても、金はない。うちはそういう事務所だ。
部屋は八畳ぶんくらい。机が二つ。片方が親父ので、片方が俺のだ。俺のほうが書類が多い。ソファは座面が沈んでいて、座ると膝が胸より高くなる。
窓からは向かいのビルの壁しか見えない。壁には義体屋の広告が貼ってある。月々一万二千円から、と書いてある。下のほうに小さい字で条件が並んでいるけど、雨に濡れて読めなくなっている。
親父が灯りをつけて、上着を脱いだ。
明るいところで見ると、親父の身体はもっとよくわかる。鼻は二回折れて曲がっていて、右の眉の上に古い傷が横に走っている。短く刈った髪は、半分くらい白い。生身の左手は指が太くて、爪がいつもどこか割れている。左脚も義体だけど、ズボンの下なので見えない。歩くと、左だけかすかに駆動音がする。
ばらばらの店で、ばらばらの年に買い足した身体。どこも規格が揃っていない。
そんな親父と俺が並んで歩いていて、親子だと思われたことは一度もない。
背は親父の肩くらいまでしかない。人間の十七歳としては、普通だと思う。肌は灰色じゃないし、牙もない。犬歯が少し長いだけだ。角もない。正確には、こめかみの少し上に、角になりそこねた硬い出っ張りが二つある。前髪を下ろせば隠れるくらいの大きさで、俺はいつも下ろしている。
親父はトロールで、母親は人間。俺はその混血だ。
髪と目は母親の色らしい。黒くて、光の加減で少し青く見える。親父がそう言ったことがある。一回だけ。
似ているのは、骨くらいだと思う。見た目より重い。体重計に乗ると、見た目の予想より十キロは多く出る。混血の骨は、どこの会社の規格表にも載っていない。だから俺の身体に合う義体は、店には並んでいない。作るなら特注で、特注は、うちには一生縁のない値段だ。
灯りがつくのを待っていたみたいに、天井から糸が下りてきた。
糸の先に八重さんがいる。うちの大家だ。
糸にぶら下がっているのに、逆さまじゃない。膝をそろえて、椅子に座ったままの格好で下りてくる。何度見ても、そこだけは慣れない。
絡新婦で、年は聞いたことがない。三十にも見えるし、五十にも見える。肌が白くて、指が長い。長い黒髪を高く結い上げて、銀のかんざしを一本挿している。唇だけが濃い紅だ。
右目の下に、小さいほくろが縦に三つ並んでいる。じっと見ていると、ときどきそのほくろが瞬きをしている気がする。訊いてはいけない気がしているので、訊いたことはない。
着物はいつも同じ柄だ。黒地に、細い銀の線が網の目みたいに走っている。一度だけ、袖の奥から腕がもう一本見えた気がしたことがある。見間違いだと思うことにした。
「家賃」
「来月払う」
親父が椅子に腰を下ろしながら言う。
「来月は出てってもらうよ」
「毎月それ言ってるな」
「毎月そう思ってるよ」
八重さんは糸をたぐって、応接の背もたれに腰を下ろした。床には一度も足をつけない。
このビルには糸が張ってある。壁の中も、階段の裏も、たぶん配管の中まで。だから八重さんはビルで起きることを全部知っている。ビルの外のことも、なぜかだいたい知っている。家賃を取り立てに来るのは、ついでみたいなものだと俺は思っている。
「坊やは電話番してたんだろうね。三番通りの、非常階段で」
俺は帳面から顔を上げなかった。
親父が俺を見ているのがわかる。見なくてもわかる。部屋の空気が少し重くなるから。
「お前は電話番だ」
「してた」
「三階でか」
「電波がいいんだよ」
八重さんが笑った。糸が少し揺れる。
俺は帳面の頁をめくった。この帳面は、俺が十二のときに親父から引き継いだものだ。
列は四つ。日付。相手。金額。受領。前の半分は親父の字で書いてある。汚い字だ。数字だけは読める。
未収の総額を、俺は知っている。
総額のほかにも、覚えていることがある。
誰がいつ来て、何を頼んで、いくら払えなかったか。頁を開かなくても半分は言える。書いた日の天気まで思い出せるやつもある。
帳面をつけるというのは、たぶんそういうことだ。
総額を、親父は知らない。知ろうとしない。訊いても「そのうち入る」としか言わない。この五年で入った覚えは、たぶん十回もない。
親父はさっきの焼き鳥の袋を開けて、三本食べた。
「残りはお前のだ」
「二本」
「飯代は経費で落としとく」
「誰の経費だよ」
親父は答えずに冷蔵庫を開けて、何もないのを確かめて、閉めた。それを一日に三回はやる。
俺は残りの二本を袋ごと冷蔵庫に入れた。これで何かは入っている。




