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すぐ下の窓の向こうで、何かが割れた。
覗くと、カウンターが半分なぎ倒されている。立っているのは作業用アームを入れた男だ。四十くらいで、泥のついた作業着を着ている。右腕は旧型の、肘から先が丸ごと鉄のやつ。顔が赤い。酔っている。アームの駆動音が酔っ払いの息みたいに不規則に鳴る。
店主は隅で、まだ端末を握りしめている。小柄な年寄りで、白い前掛けに焼き鳥のたれの染みがついている。うちを呼んだのは、この人だ。
親父が入ってくる。
うちの親父は見上げるほど大きい。二メートルを少し超える。トロールの例に漏れず、立っているだけで場所を取る。肌は灰色がかっていて、雨に濡れた石みたいな色をしている。額の両脇から太い角が二本、後ろへ反って伸びている。左の角は先が欠けている。角は削っていない。笑うと下顎から牙が見える。隠さない。そういうものだと思っているらしい。
右腕は、肩から先が工業用の古い義体だ。生身の腕より一回り太くて、塗装がところどころはげている。革の上着は右の袖だけ肩から切り落としてある。その腕が袖に入らないからだ。
「うちの店で暴れんなよ」
親父が言う。うちの店じゃない。
男がアームを上げる。
俺は、男の腕の継ぎ目を見る。
説明が難しいんだけど、義体と生身のあいだには境目がある。人の身体には流れているものがあって、義体はそれを自分では持っていない。持ち主の側から継ぎ目を越えて流れ込んで、それでやっと動く。俺にはその流れが見える。見えるだけだ。触らなくてもわかる、というだけの話。
身体を流れているそれを、この街では通りと呼ぶ。通りがいい、通りが悪い、という言い方をする。義体を入れるほど、通りは薄くなる。
男のアームは肘の継ぎ目が荒れている。ずいぶん無理な使い方をしてきたらしい。
型も古い。指の関節が三つしかない。今のやつは五つある。三つだと握力の調整ができないから、掴んだものをよく壊す。
こういう腕の人は、この辺りに何人もいる。安いからだ。
親父の右腕も見る。
肩から先の流れが、いつもより細い。三番通りは地図でいう黄色の区画で、非適合の義体は七割までしか力が出ない。親父の右腕は先月から非適合だ。
「右、七割」
俺は階段の上から叫んだ。
親父は振り向きもしない。
「来るなと言った」
「来てない。通りかかった」
「三階の非常階段を通りかかる奴がいるか」
「いま通りかかった」
振り下ろされるアーム。
親父は右で受けなかった。左肩を入れて、そのまま前へ出る。トロールの身体は重い。義体で殴るより体重で押すほうが速いときがある。
アームが空を叩く。男がカウンターに沈んだ。親父が男の肘を掴んで床へ伏せる。
三秒。
店の中で誰かが息を吐いた。感心したわけじゃないと思う。早く終われと思っていたほうだろう。
男が起き上がった。自分のアームを見て、それから店主のほうへ何か言う。謝ったんだと思う。声が小さくて聞こえなかった。
親父は止めなかった。男が出ていくのを、ただ見ている。
こういうとき、親父は相手を警察に渡さない。渡せば、その人はこの辺りに二度と戻れなくなるから。
「いくらだ」
店主が訊く。
「五万」
店主の顔が白くなった。
五万は、たぶんこの店の一晩の売上より多い。
「……あの」
「……ツケでいい」
親父はそう言って、もう外を見ている。
店主が奥から紙袋を持ってきた。焼き鳥が五本。
「これしか」
「もらう」
親父は袋を受け取って店を出ると、非常階段の下から上へ放った。俺はそれを片手で取る。まだ熱い。焼きたてらしい。
帰り道、街灯の下で帳面を開いた。どこでも書けるように、いつも鞄に入れてある。
三番通り 寿
未収 五万
受領 焼き鳥(五本)
この五年、帳面は未収の行ばかり増えている。




