第五話
唐突に、軽快に部屋のドアがノックされる。お嬢様の返事を聞いて開いた扉から侯爵閣下が顔を出す。
「やあ。二人がこちらにいると聞いて顔を見にきたのだが、そなたもいたか」
侯爵はこのところ屋敷に留まることが多い。それは婿殿を後継者として育て導くためで、閣下はどこへ行くにも彼を伴い、未来の息子であることを振れ回っている。ちなみに婿殿は侯爵家にほど近いタウンハウスに住まい、こちらへ通ってくる。
「義足を見ていたのだな」
「はい。私が頼んだのです」
「何か発見はあったかい?」
「義足の出来映えに感心したのと」
婿殿は私をちらりと見やり、侯爵へ視線を返す。
「彼女の素養の高さに驚いていたところです。どうやら文字も読めるらしく」
「ほう? それは知らなんだ」
閣下が体ごと私に向き直った。
「そなたのような人材が他にもあるかと思うと、実に口惜しい。隠れた才能を取りこぼさぬ術があればよいのだが……」
今一歩、私には話の流れがよく分からない。
お嬢様が父の発言を受け婿殿に問うた。
「そういえば、辺境では広く兵を募っておられますが、全くの素人はどのように育成なさるのでしょう?」
「従軍経験のない志願者たちは、衣食住を保証した訓練施設に入るのが通常です。剣の技量がなくとも補給など後衛に就き、稀にですがそこから士官の補助に抜擢されることもあります」
婿殿は故郷がある方角を向き、腰の後ろで手を握る。
「まあ、これは当人自ら目指した道ではなく、成り行きでたまたまそういう結果にたどり着いた異例中の異例です。最初は誰でも、毎日の食事と屋根のある寝床を求めてやってきます」
動機はどうあれ人手が確保できるなら万々歳だろう。それは彼自身よく理解しており、咎めるような口調ではなかった。脱落するにしろ、兵士として成長するにしろ、指導者は生徒を信じて鍛えるだけだ。結局のところ、訓練の日々が無駄になるかどうかは本人の生き方次第である。
お嬢様が私に問う。
「食事と寝床、ね……。貴方もそういう環境が整備されていれば、学び舎へ通ったかしら?」
「私もこちらでお世話になる以前は祖母の家に居候の身でしたし、近所の様々な雑務を請け負って日銭を稼いでいました。元手も必要なく衣食住が保証されるのであれば、私は間違いなく通ったでしょう。ですが……」
「他の方は違うかもしれない?」
「本人によほどの意欲がない限り、たいていは下働きを選ぶかと思われます。残念ながら、その日の勉強で明日の空腹は満たされません」
「そう……、そうよね。事実、貴方もその年で働いているのだから」
やんごとないお三方はそれぞれため息をつく。彼らは民衆に学問の機会を与える気があるらしい。そう見当がつくと、私が侯爵家に来る発端となった事件の背景が見えてくる。
私が生まれ育ったのは都市部からほど遠い、地方とも言えないド田舎だ。廃村に片足を突っ込むほど寂れてはいないし、小規模ながら商店や市場もあるが、児童労働は当たり前で、皆が皆その日暮らしだった。そんな底辺地域へ侯爵閣下自らお越しになった目的とは、教育施設を作るための視察だったわけだ。
我が国の王都には貴族の子息息女を受け入れる学園がある。各領地の都市にも富裕層の子供たちが通う小学校から高校に当たる学校があり、都市部をはずれた地方にも、中学校に相当する学び舎が存在する。そこから田舎へ向かうに従って教育の重要性は薄れ、私の故郷ほどになると読み書きよりも畑を耕す方が優先される。
その状況を常々憂いてきた侯爵閣下は、領地の隅々まで学問の門戸を広げたいと考えているのだ。それはとても先進的で、私としても進めてもらいたい事業だが、国家の指針によっては弊害となり得る施策でもある。
この国はいわゆる専制君主制を敷いており、国王が絶大な権力を振るう。下々の者が知恵を得て自ら考えるようになれば、権力者に対する疑問を持ち、反発する者も出てくるだろう。国政の混乱は必至だ。
前世の知識により王制の行く末を案ずればこそ、悩ましく思ってしまう。かといって、衝突を避けたいがために、今この時代が安定していれば人々は愚かなままでいいのか?
無知であれば簡単に騙され、唆され、悪党の手先にされてしまう。
「最低限の読み書きくらいはできた方がいいよなぁ……」
そんなつぶやきであっても、聞き逃さないのが侯爵閣下であった。
「うむ。実際、文字が読めないのを逆手に不当な条件で労働を強いる不届きもある。私もそういった悪事を野放しにするつもりはないが、全てを監視し摘発することは現実的に不可能だ」
「まず自分自身で防ぐことを目標にするのなら、読み書きは絶対ですわね」
「しかし、衣食住を保証する学生寮を作るとなると、これは一大事業ですよ」
「規模を小さくするとしても、学費を徴収する時点で人々は二の足を踏むであろうな……」
三者三様に重い頭を傾げる。侍女たちも絶望的な顔つきだ。
そこで私はおもむろに手を挙げた。思うに、何事も悪い方に想像していては前に進めない。失敗ばかりを思い描いて過ごす日々は楽しくないし、夢も希望も生まれない。私はそんな人生など、まっぴらごめんだ。
気づいた侯爵がうなずく仕草で私の発言を許可する。
「始まりは、昼食も提供する託児所のようなもので構わないと愚考いたします」
「託児だと? 子供を預けるだけの?」
「一般に子供の養育は親が自ら行います。周囲の助けも借りるでしょうが、誰かがそばで見張っていなければ、子供は何でもないことであっけなく死にます。特に田舎ではその傾向が顕著です」
「……」
「子供は一日を生きるにも命がけです。そんな儚い存在を見守る親の心労はいかほどか。また、これまで自由気ままに使っていた時間は全て子供の世話に消えます。休みもなく一時も気を抜けない育児の合間に家事や仕事をこなし、ようやく一日が終わる頃、世の父親母親は虫の息です」
「我ら貴族も母が子を見るが、乳母や侍女の助けは必ずあるし、そちらに預けて休養を取ることはできる……」
「私の故郷ですと、子守を頼む余裕があるならそのお金で別の町に移り、新居で貧乏しながら子供を育てる方がマシです」
「……そんなにか」
部屋の皆さんは一様にご尊顔崩壊レベルの渋面である。
私は場違いに明るい笑顔を作り、軽い調子で結論にたどり着く。
「託児のお代は昼食分をいただくか、食材を持ち寄ってもらうだけで十分として。食事の準備も教育の一部として、自分たちで行います。預かりの間に他人との関わり方を学び、あとは遊戯に簡単な謎解きを組み込みます。そこで基本的な平仮な――文字を覚えてくれたら御の字ではないかと」
「最初から全てを与えるのではなく、入り口に立たせるということか」
「親はしばし子の手を離し、その間に働くでも家事を片づけるでも、全てを投げ出して寝てしまうでも、好きに過ごせば良いでしょう。わずかな費用や物品を提供するだけで時間と気持ちの余裕が得られるなら、利用したいと思う者はきっといるはずです」
「子供よりも親を狙うと……」
「わたくし思いついたのですが、場所は空き家を利用すれば新たに建物を用意する必要はありませんわ」
「既存の建物を使うのは良い手かと存じます。ボロ屋でも修繕役を募集すれば、それほど嫌な顔はされないはずです」
何はともあれ、田舎の民は金がほしい。金があれば何でもできる。実際にクソ田舎出身の私が言うのだから間違いない。
「そうだな。現地の経済も改善せねばならぬ……初手は慈善事業の一環として考えてみるか」
とんとん拍子で話が進んでいく。
不意にお嬢様が私を振り向き、肩をがっしりと掴んだ。
「貴方、期限が迫っていることは分かってらして?」
「き、期限ですか?」
「最初の約束。貴方が歩けるようになるまで面倒を見るというお話よ」
「あっ、はい! おっしゃるとおりです。義足もすっかり一心同体で、そろそろお暇を願い出るべき頃合いでした。侯爵閣下やお嬢様をはじめ、皆様には大変お世話になりました。短い間でしたが、お屋敷で様々な務めに従事できたことは望外の幸運でございました。こちらで学んだことを忘れず、これからの人生にしっかりと生かして――」
「待って待って、待ちなさい。何を勝手に辞める気になっているの」
「お嬢様も婚約者様をお迎えになり、諸々の関係を清算なさるおつもりなのだと」
「貴方は人の話を聞きなさい」
「はい」
お嬢様のお話を遮った覚えのない私は若干の理不尽を感じながらも、彼女の言葉に従い黙って傾聴の姿勢を取った。
「……」
「お嬢様?」
「オホン! ええと……貴方。我が侯爵家を辞したとして、今後の住まいや仕事の伝手はあるのかしら?」
「ございません」
「で、では……」
「はあ」
「……」
「あの、お嬢様……?」
彼女は一度、スーハーと深呼吸をしてから改めて私を見つめた。
「ならば、わたくしの元で働きなさい。何か別にやりたいことがあるのなら強くは言えないけれど……でも、できれば」
「承知いたしました。具体的に、私はどのような業務に就くのでしょうか?」
「決断が早くないかしら!?」
「目下、住処も仕事も当てがございませんので。お嬢様に再雇用いただけるとあれば、それはもう謹んでお受けいたしたく存じます」
呆気にとられるお嬢様を前に、私は深々と頭を下げる。話の流れからするに、何かしら託児所に関する仕事を任せようと思っているのだろう。
差し出がましくも原案を発し、陳情まがいの発言までしたのだから、私がここで怖じ気付くことはない。少なくとも、お嬢様から解雇を言い渡されるまでは義理を果たす。それが責任ある大人の姿だ(言うまでもなく精神年齢的な話である)。
目を白黒させるお嬢様の隣で、婿殿が口元を隠してフッと笑った。
「キミは既にこちらの思惑を察しているらしいね」
「思惑とは、とんでもないことです。己が受けた破格の恩情に報いる機会を見逃すほど私は耄碌しておりません」
「耄碌とは! いやあ、まったく参ったよ。これでは私も含め、誰が年上か本当に分からない」
まさにお手上げの様子で万歳をした婿殿に、私は恐縮して小さくなる。あまりオバサン気分でいると、発言と実年齢に齟齬が生じてしまう。嫌味に聞こえる場合も出てきそうだし、以後は気をつけなければならない。
それはさておき、そもそもお嬢様にあそこまで言われて私が断るなどあり得なかった。最初こそにわかだったが、今の私は「ロマ何とか」の古参相手だろうと胸を張って、「お嬢様のファンだ文句あっかコラ」。喧嘩をふっかけられるくらいには入れ込んでいるのだから。
これからも推しの近くにいることを許され、加えて娘にメロメロのイケおじが摂取でき、あろうことか悩めるこじらせ美男子まで拝める。これほどの幸福がどこにあろうか。
何だかんだと言いつつも、精神三十路の転生ヒロインはこれからも侯爵一家を(見)守りたいのだ。
〈終〉




