第四話
お嬢様の婚約者様は三代前の侯爵――当代の曾祖父に当たる人物の弟から続く系譜で、傍系といえど侯爵本家の血を受け継ぐ男系男子だ。その長男であれば通常、辺境の後継となるべき人だが、どうしてか侯爵家に婿入りする運びとなった。
この時点でなにやらきな臭い……とまでは言わないも、一筋縄ではいかない事情を抱えていそうだった。悪役令嬢の婚約者といえば、当該ジャンルでは概してヒロインに肩入れする役所だ。むろんシナリオは千差万別で意表を突く作品もあった。本人とお会いする機会などないであろう私が心配しても仕方のないことではあるが、果たしてこちらの婿殿はどうだろう?
あれから私は義足を使って生活を始め、杖も不要となった今は下女として厨房に入り、侯爵家に仕える身である。なぜ厨房なのかと言えば、清潔好きなことが主な理由だった。私の衛生観念は前世の現代日本において「普通」の範囲内だが、この世界では「潔癖」とされる部類に入るらしく、調理作業に適任とされた。もちろん、以前から下拵えなどで出入りしていた実績も加味された。
何はともあれ、私は今日も朝早くから厨房でせっせと食材を洗い、皮を剥いて切りそろえ、皿を洗ってはゴミの始末をする。昼食の準備が一段落すると、ブリキのバケツいっぱいになった野菜くずを持ち出し、庭の作業小屋へ向かった。園芸部で堆肥などに活用してもらうためだ。
その帰り道のことだった。
お嬢様の世話をする侍女が私を呼んだ。厨房には話を通してあるとのことで、否応なく連れ去られた果てに、上級メイドが使う部屋へ放り込まれた。そこで下女の仕事着からパーラーメイドの制服に着替えさせられる。
そうして連れ出されたのが、案の定、お嬢様のところだった。私を迎えたお嬢様の隣には男性がおり、彼こそが件の婚約者様であった。
「仕事中に呼び出して悪いわね。彼が義足を見たいと言うものだから」
お嬢様と婿殿の顔色を見るに、互いに遠慮をしている様子はない。二人の関係は良好なようである。
婿殿は明るい栗色の髪の毛に緑の瞳を持つ青年だった。一瞬、グリーンアイドモンスターという言葉が脳裏をよぎる。私は頭を振ってその物騒な単語を頭から追い出した。
彼は全体に細長い体型で、目元にうっすらと隈が差していた。それがすっぴんなのか、化粧をしてなお隠せぬやつれなのかは分からない。おかげで見た目より老けて見えるのが非常にもったいない。はつらつとすれば紳士淑女が振り返る美男子であろうに。
婿は顔で選ばれるわけではないし、お嬢様とて人を見かけで判断する浅はかな人ではない。だが、それにしても……婿殿はどこか陰のある人物だった。もしかしたら、何か一心に打ち込むと寝食を忘れてゲッソリしてしまう質なのかも知れない。うん、きっとそう。何事も好意的に考えるのが人生を楽しくするコツである。
私はお嬢様に促され、スツールに腰掛けてスカートの裾を膝下まで持ち上げた。相手が見知らぬ異性だからか、ムダ毛処理の甘い足を見せているようで恥ずかしい。泥が跳ねればそのたびに拭いて、一日の終わりに一通り掃除してから寝るので汚いわけはないが。何となくだ。
「こちらには腕のいい職人がいるのですね。辺境にも義肢装具を扱う工房がいくつかありますが、ここまでの出来映えは見たことがない」
「これはこの子のためだけに仕立てたものですから。辺境は需要が高い地域ですし、納入期限を優先するのであれば品質がある程度にとどまるのも致し方ありませんわ……」
辺境というと隣国等と接する地域で、国家同士の関係によっては争いの火種となり得る場所だ。その土地柄ゆえに、職務などで負傷する者が多いのだろうか?
そんな疑問が顔に出ていたのか、お嬢様が私の発言を許可した。私はありがたく会釈し、頭に浮かんだことをつらつらと口にする。
「恥ずかしながら、私は辺境地域の実状を存じ上げません。彼の地では手足を負傷される事例が多いのでしょうか?」
「ああ。両国とも大々的に対立するつもりはないが、それでも小競り合いは絶えないんだ」
「……我が国の管轄下とはいえ、未だ隣国と折り合いがつかぬ係争地なのですね」
私は義足を得る前、書庫の整理をしている際に地理を記した本をパラパラとめくったことがある。それによれば我が国は東の平原に国境を持つが、隣国はその線引きに納得しておらず、長く争ってきたという。私はそのとき初めて、自分が生きる国の歴史を知った。
立場を持たない多くの一般市民は日々を生きるだけで、国家の有様になど興味を持たない。その傾向は都市から離れるほど顕著で、日常的に国際情勢が報じられていた前世を持つ私からすれば気がかりだった。市井には一切が他人事かつ他人任せな空気が蔓延し、漂う悠長もどこか危うい。
私は作り物の足を見下ろし、義足が必要とされる現場を憂う。
義足に夢中な婿殿は私の暗い顔に気づかず、話を続けた。
「ふむ、ふむ。足の作りを再現できれば、軸を外装で覆って生身の見た目に近づけることも無理ではないな……」
「はあ。義足の見た目でございますか」
「初めて目にする者はギョッとしてしまうことが多い。本人とて望んで失ったわけではなかろうに」
「わたくしも、初めてこの子と会ったときは……驚いてしまいました。ジロジロと見るのは不躾と分かっていても、どうしても目がいってしまうのです」
「ええ。私自身も覚えのあることです」
恥入るお嬢様を気遣うように婿殿が言った。彼は義足から目を離し、緑の瞳を足下でさまよわせる。
「私は弟のように剣を振るえず、兵士を束ねる実力もなく……心にしても強者の資質に欠ける」
「けれど、それが人の全てではありませんわ。そうであればこそ、貴方様はわたくしとの婚約をご決断なさったのでしょう?」
「……武勲を持たぬ私はせめて、不自由になった人々が以前と変わらず生きていけるよう手助けしたい。元来、体を動かすより頭で考える方が性に合っているのです。私には私の生き方があると自覚し、己が思いを追求できる立場もある。だから……」
辺境伯位は婿殿の弟が継ぐと決まっている。兄弟間でも家督の行方に異論はなく、彼らは持って生まれた互いの性質をよく理解していた。
「私にはそのくらいしか、できない……」
単に、弟の方が父の気質と才能を良く引き継いでいただけの話だ。
けれど彼は、うらやましそうに。まぶしそうに。
弟に憧れ、目を細める。
そこに嫉妬はない。ただ、叶うのであれば――やはり弟のようになりたかった。そんな婿殿の心情を推し量り、私はアアアオオオォァォアア゛ア゛オイオイオイ劣等感マシマシで自己肯定低いのに弟を心底尊敬し信奉さえしてる拗らせ兄貴いくら噛んでも味がするだろこんなのッ!!
神妙な顔で鼻血を垂らした私はすかさず、ちり紙で萌えの副作用を拭い取った。不本意ではあるが、元ネタの婚約者様が同様の気質とすれば、「ロマ何とか」と違って真面目な原典ヒロインに肩入れするのも納得だ。何かにつけてヒロインをいじめるお嬢様に好意を持つ方があり得ない。
そうならなかった現実を噛みしめ、「死ぬかと思ったけど足一本なくした甲斐があったなぁ……!」。私はちり紙の中でウニャウニャと歓喜をこぼした。人知れずむせぶ私の前で、お嬢様は婿殿をいたわり、その才能が必要だと伝えて彼の手を取る。
婿殿もお嬢様の言葉に勇気づけられ、顔を上げてはにかんだ。そして、「ところで」。私に目を向けたあと、お嬢様と顔を見合わせる。
「この子は本当に平民らしからぬ言葉を使いますね」
「そうでしょう? 年の割に達観しているというか、老成しているというか。わきまえすぎていますのよ。年下のはずですのに、まるで成熟したご婦人とお話ししているみたいで」
「先祖の誰かに貴族か高名な学者様でもいたのでは?」
「お父様がお調べになりましたが、何の変哲もないごく普通の家系でした」
「こうして見ると、読み書きもできそうですが……」
「あら! それは確かめたことがありませんでしたわ」
二人以外に侍女までもが私を見つめる。
嘘をつく場面でもないので、正直に話そう。
「簡単な文章であれば、チョットは……」
言うまでもなく、この国の文字は前世のものと違う。しかし系統はよく似ていた。文章は平仮名に当たる一筆書きの表音文字と、漢字に当たる複雑な形の表意文字を交えて書き出される。
私は祖母のお使いの際にこれらの形を値札や看板などで見て、発音と照らし合わせながら覚えていった。巷で見かける漢字相当の文字は簡単なものが多いし、形と読みの傾向さえ把握してしまえば読解はそれほど難しくなかった。
他方、公的な文書となると町では見ない文字のオンパレードで、言い回しも堅くて面倒くさい。しかし、それが読めればよりいっそう視野が広がり、就ける仕事も増える。読解力であれば前世のおかげで人並みだし、将来のためにも識字能力は上げておきたいと思っていた。
その点、侯爵家の図書整理は実にありがたい業務だった。本を開いて分からなかった文字を記憶しておき、あとで使用人の誰かに書いて見せ、読みと意味を聞いて頭に叩き込んだ。




