↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三十階から先は、誰も知らない ~塔を追い出された案内人と、上から降りてきた少女~  作者: モリタ・ハク


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/12

第6話 自己紹介をした人から消えていった

暗闇の中で、何人もの声がいっぺんに上がった。扉が落ちたぞ、押せ、持ち上げろ。石を叩く音と、靴が床をこする音が入り混じる。


「誰も、扉に触らないでください!」


センは声を張った。自分の声が、思っていたより遠くまで響いて返ってくる。広い場所だ、とそれで分かった。


「ここは三十二階です。掟が分かるまで、何にも触らないで。動くのも、なるべく」

「なんにも、触らない」


すぐ隣で、イルマの声がした。言われたとおりに、一言ずつ繰り返している。暗くて見えないが、きっと今、指先まで固まっているのだろう。


ざわめきが、少しずつ静まっていった。誰かの荒い息だけが残る。


「灯りを点けろ。袋の底に松明がある」


ガレスの声に、団員たちが手探りで袋を探る音が続いた。結び目がほどけず、誰かが舌打ちをした。


「おい、誰かいるか」


金鷹団のひげの団員の声だった。暗がりの右のほうから、心細そうに響いてくる。


「おれだ、ダグだ。誰か、返事を」


声が、そこで切れた。金物が石に落ちて、甲高く跳ねた。それきり、ダグの声も息も聞こえなくなった。


センは息を止めた。音のしたほうへ手を伸ばしかけて、引っ込める。


暗闇の奥で、火打ち石の音がした。小さな火が角灯に移り、橙色の光が広がっていく。灯りを掲げていたのは、細い顎の男だった。


「用意がいいな」


ガレスが低く言った。団員たちのあいだから、身をかがめて出てくる。


「暗がりは嫌いでね。灯りくらい持って登るさ」


角灯の光が、天井の高い広間を照らした。太い柱が奥まで並び、床には埃が積もっている。いちばん奥に石の階段があって、天井に開いた四角い扉へ続いていた。扉の脇に、緑の灯りが一つ吊られている。


右手の柱の根もとに、手斧が落ちていた。ダグが腰に下げていたものだ。


ガレスは手斧を拾わず、団員たちのほうを振り返った。口が開いて、点呼、と言いかけて止まる。三十一階の癖が、まだ喉に残っているのだ。


「金鷹のは何人残ってる。うちは五人ぽっちだ、数えるまでもないがね」


男があっさりと言った。センは思わず男の口もとを見た。何も起きなかった。この広間は、数を嫌ってはいないらしい。


ガレスがようやく団員を数えた。自分を入れて六人。団長の喉が、ごくりと動いた。


「さて」


男は角灯を柱の釘に掛けて、両手を広げた。


「閉じ込められたなら、まずやることがある。顔と名前を合わせておくことだ。次に誰かが消えたとき、誰が消えたか分からなきゃ話にならん」

「名前なら、俺が全員知ってる」

「あんたはな。だが、こっちは知らない。登り手の作法だよ、ガレス」


ガレスは渋い顔をしたが、言い返さなかった。理屈は通っていた。


「そっちの若いのから頼む」


男が指したのは、金鷹団でいちばん若い団員だった。三十一階で、膝の震えが止まらなかった男だ。団員は唾を飲み込み、前に出て、胸に手を当てた。


「き、金鷹団の、ニコです。よろしく、お願いし」


最後まで言えなかった。胸に当てた手ごと、ニコの姿が消えた。水筒が床に落ちて、ころころと柱のほうへ転がっていく。


「ニコ!」


ガレスが駆け寄りかけ、センがその腕をつかんだ。団長の腕は、石みたいに固くなっていた。金鷹団の団員たちが、壁際までじりじりと後ずさる。誰も、声を出さなかった。


「挨拶だ」


男が、静かに言った。


「よろしく、と言いかけて消えた。さっきの男も、暗がりで誰かに声を掛けてた。この階では、挨拶をした者から残されるんだろう」


ガレスが団員たちに向き直り、腹の底から声を出した。


「聞いたな。挨拶はするな。全員だ」


団員たちが、何度もうなずいた。センも、うなずきかけた。けれど、喉の奥に何かが引っかかっていた。


「待ってください。ダグさんは、よろしくとは言っていません」

「誰かいるか、と聞いた。暗がりで人に声を掛けるのは、挨拶の始まりだろう」

「でも」

「なら、案内人。お前さんには、ほかの答えがあるのか」


センは言い返せなかった。答えは、まだどこにもなかった。ガレスが、センの肩に手を置いた。


「坊主。分からんうちは、いちばん用心深いやり方を守る。団を預かる者の決まりだ」


それも正しかった。センは黙ってうなずいた。


イルマが、センの後ろから小声で聞いた。


「センくん。あいさつって、どこからどこまで?」

「おはよう、とか。こんにちは、よろしく、とか」

「おはよう、こんにちは、よろしく。それと、さっきの、誰かいるか。しない」


イルマは一つずつ、口の中で繰り返した。落とし戸の前で決まりを覚えたときと、同じ顔だった。


センは角灯の光を頼りに、壁際へ歩いた。触らずに、目だけで見ていく。


壁一面に、黒い影が並んでいた。十七階の染みと同じ、人の形をした影だ。けれど、ここの影は下を向いていない。どれも顔を上げて口を開け、片手を胸に当てていた。


影の足もとには、つばの広い帽子や、口の開いた背負い袋が、埃をかぶって転がっていた。センは頭の中で、影を端から数えていった。三十を過ぎても、列はまだ続いていた。この広間で、それだけの人が何かを言おうとしたのだ。


その列の端に、ひげまで影になった男がいた。隣には、まだ新しい、細い肩の影。どちらも同じように、手を胸に当てている。


「センくん」


後ろから、イルマが小声で呼んだ。言われたとおり床から足を浮かせないように、すり足でついてきている。


「センくんの袖も、触っちゃだめ?」

「僕はいいよ」

「よかった」


イルマはセンの袖を、両手でぎゅっとつかんだ。


「センくんは消えないでね。消えちゃったら、持って帰れないもん」


センは答えようとして、言葉が見つからなかった。代わりに、袖をつかむ手の上に、自分の手を重ねた。それから、その手をそっとほどいた。


「ここで待ってて。壁を、奥まで見てくる」

「ここで待つ」


イルマは柱のそばで、両手を背中に組んだ。


「ロウ」


広間の真ん中で、男が仲間の一人を呼んだ。


「挨拶抜きで、名前だけ言ってみろ。それなら平気だと、皆に見せておきたい」


呼ばれた銀灰団の一人は、かしらの顔を見て、小さくうなずいた。外套の胸に手を当てる。


「銀灰団の、ロウだ」


ロウはいなくなった。外套の留め金だけが、床で鳴った。


広間が凍りついた。男だけが、困ったように眉を下げた。


「口の中で、どうも、と言いかけたな。あいつの癖なんだ。悪いことをさせた」


銀灰団の年かさの一人が、何か言いたげにかしらを見た。かしらは、その男を見なかった。


センはロウの唇を見ていた。どうも、なんて動いていなかった。ロウは名前だけを言った。言われたとおりに、挨拶を抜いて。


ロウの影が、壁の列に加わっている。顔を上げて、口を開け、手を胸に当てて。センの頭の中で、何かがつながりかけた。


センは壁際から振り返った。奥まで来すぎていた。柱のそばのイルマとのあいだに、太い柱が何本も立っている。


男は角灯の下で、イルマのほうを向いた。今までより、ずっと優しい声だった。


「お嬢ちゃん。あんたは上から降りてきたんだろう。せめて名前くらい、聞かせてくれないか。挨拶はいらない」


イルマは、背中で組んでいた手をほどいた。挨拶しない、という決まりは、ちゃんと守っている顔だった。それから、片手を自分の胸に当てた。


「挨拶じゃないなら、いいよね。あたしはね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。