第6話 皿ごと毒を喰らっても余裕です
歴史を紐解くまでもなく、鬼と人の関係は長く続いてきた。
数が少ないながら個が強大な力を持つ鬼。
一人一人は脆弱なれど数と技術で勝る人。
捕食者と被捕食者。
有史以前より互いの存在を認知していた両者だが、意外なことに争いの歴史自体はごく短かったりする。
「鬼と人は元々同じ生き物だったそうよ。人同士で争い殺し合う内に、我々鬼という変異種が生まれた……というのが現在の定説ね」
黒板の前で白墨を握るカミラは銀縁の眼鏡をくいっと上げてみせた。
形から入るタイプの教師である。
「人と鬼の違いは色々あるけれど、寿命なんかはその最たるものだわ。私は大体八百年くらい生きていて、これは鬼の中でも特別長生きな部類ね」
「おれは人間として四十年程生きた後、約百年前に転化した。鬼となってからは病気知らずだ。種としての頑健さが違うな」
ベントがうんざりしたような顔で肩を竦めた。
その横腹を小突き、レインが笑う。
「羨ましいかぎりだよ。あたしゃ六十を越えてからというもの、どうにも足腰の具合が悪くてねえ」
老女は腰を摩り嘆いてみせた。
真に受けたハニがその腰を撫でる。
敬老精神は良いことだが、黒板一式を倉庫で発掘し、担ぎ上げて居間へ運びこんだのが他でもないレインだということを忘れたのだろうか。
「レインの節操なし。私のおやつちゃんを誑かさないでちょうだい」
「あんたが甲斐性なしなんだろ。あたしのせいにしないどくれよ。あーやだやだ、胸が痛むねえ」
「えっ、駄目です。レイン、しっかりしてください」
レインの猿芝居にハニが引き摺られている。
勘違いでなければ、どうにもハニがレインに特別懐いている気がしてきた。料理やら片付けやらで作業を同じくしたからかもしれない。
羨ましい。
思わず歯軋りが出た。
「こらそこ! 私語はやめて、授業を再開します!」
「はい、すみません」
「へーへー、仲良くて悪かったねえ」
ハニはともかく、レインときたら、人の悪い笑みを浮かべて煽ってくるではないか。
悔しすぎる。
カミラは地団駄を踏んだ。
「席替えよ! ハニはベントの隣に移動なさい! ベント、後輩の面倒をちゃんとみるのよ!」
「それは構わないが、貴様、次はおれに嫉妬するのではあるまいな」
半眼のベントがハニの首根っこを掴み、自身の隣へと移動させる。ハニが抵抗しないため、実にスムーズな席替えであった。
その間に何とか息を整え、姿勢を正す。
ハニにいいところを見せるのだ。
「話を戻すわ。鬼と人の差について、ハニはどれくらい知ってるかしら」
「はい! 鬼は回復力に長け、多少の怪我ならすぐに塞がります。薬物耐性も人間より高いと聞きました」
「その通りよ。鬼は頑健ということね」
素直な生徒の反応に、カミラは深く頷いた。
そして、自身の胸を叩き、高らかに宣う。
「私やベントは鬼の中でも特に頑健なのよ。それには特別な理由があるの」
「浄化の血族の特性だな」
ベントに話を持っていかれ、カミラは口を尖らせる。
「私が教師役なのだから、小童は黙ってなさいよ」
「邪魔をしたつもりはない。気にせず続けろ」
真顔のベントに苛立ちながらもカミラは続けた。
「ハニ、血族というものについては知っている?」
「はい、ニエの訓練施設で習いました」
「あらそう。せっかくだわ。どう習ったか、私達に教えてくれる?」
「同じ血を起源とする鬼を纏めてそう呼び、その血に宿る力により血族名が定められています」
背筋を伸ばしたハニがはきはきと答える。
自信に満ち溢れた回答だが、彼女は目を伏せて呟いた。
「浄化の血族については初めて耳にします」
肝心の血族について知識がないことを恥じているのか、ハニはしょぼんと肩を落としてしまう。
そんな彼女を気遣うように、レインが声を掛けた。
「気に病むことはないよ。お嬢ちゃんを入れてもやっとこ三人の弱小派閥なんだ。知らなくて当然さ」
「ちょっとレイン、弱小とは何よ。無闇に数を増やす卑賤の輩と私では格が違うの。私は慎重派なのよ」
「ついうっかりの転化を二回やらかして慎重派を名乗るのは無理がないか」
ベントのツッコミは野暮だが真実である。
分が悪くなったカミラは咳払いをして話を変えた。
「ハニの言う通り、血族には特有の力があるわ。浄化の血族の我々は……」
黒板に書き出そうとして、手を伸ばす。
身長が足らず、上の方まで届かなかった。
面倒臭くなってしまい、カミラはベントへと水をむける。
「ベント、説明なさい」
「何故おれが──浄化の性質は単純だ。我々は『害があるものを排除する』力を持つ」
「排除、ですか?」
首を傾げたハニに首肯し、ベントが続ける。
「そうだ。力は自身の身の内であれば自動的に作用する。病原体や毒は即座に感知し、排出か抹消。変異も同様だな」
「つまり、大雑把に言うと病気にもならないし、毒も効かないということね」
先輩血族の二人の言をメモに書き込み、ハニが挙手した。
「自動的にと仰いましたが、何をもって害と判断しているかが気になります」
「今の状態を『正常』として、変化を引き起こすものを『害』と判断しているようよ」
「一応髭も伸びるし代謝自体は起きている。変化そのものを『害』と認識しているわけではないらしい」
人間にも同様の機能があり、その強化版みたいなもの、とはドクトルの言である。
顎髭を撫で摩り、ベントがさらに補足した。
「他者にもこの力を使うことは可能だ。ただし、『何が害となっているか』を正確に把握する必要がある」
高い効果を持つ力だが、取り扱いはそう単純ではない。他者の治療等に関しては、原因が分からねば発動すらしないのである。
顎に手を当て、ハニが呟く。
「例えばレインの腰痛を治そうと思ったら、一度はお医者様のお話をきいてみなければ分からないということでしょうか」
「そういうことだ。しかし、病や怪我そのものを治す力ではなく、あくまで原因を排除する力だからな。加齢自体を害とみなせるかは疑問だ」
なかなか勝手の掴めない能力なのである。
もっと取り回しのよい力ならば、医療方面で役に立つのだが、そうは上手くいかないものだ。
カミラとベントの表情は渋いものとなっていた。
しかし、先輩鬼達とは違い、ハニはにっこりと笑う。
「大丈夫です。レインの腰痛改善には、私がお役に立てると思います」
「気にかけてもらって悪いねえ。お嬢ちゃんが婆の腰を揉んでくれるのかい」
「マッサージも得意ですよ。でも、レインに私の契約管理者になってもらえば一発解決です!」
朗らかに告げるハニを見つめ、鬼二名は首を捻った。
「……契約管理者?」
長く生きる鬼二人も、ニエに関してはずぶの素人である。
席を立ったハニが黒板の傍らに移動し、姿勢を正した。やけに凛々しい顔付きで彼女は一礼する。
「ではでは、僭越ながら私がニエについてお話しさせていただきますね」
勉強会、第二ラウンドのお知らせであった。




