第5話 同じ釜の飯、ただし献立は各自でどうぞ
ことりことりと、食卓に器が並べられる。
木製の器に庭で採れた野菜のサラダ、野菜くずと肉の切れ端を煮たスープ。小皿に乗せられたハムとチーズの傍らにはパン籠が置かれていた。
硝子のコップの中では炭酸の泡が弾け、軽やかな調べを奏でている。
他方、カミラとベント用の食事は煮ても焼いても肉一色。香草やスパイス程度ならば多少使われているが彩りには程遠い。その分、目を楽しませる流麗な装飾の陶器が使用されていた。
陶磁器のカップに注がれた赤、その芳香が鬼達の鼻腔をくすぐる。
人と鬼は各々の席につき、これまた各々の食前の儀式に集中する。
神に祈る者、生活の心得を胸中で唱える者、静かに手指を拭う者。それぞれの生き様と歴史が滲む作法だ。
ただ一人、ハニだけがそわそわと視線を揺らしていた。
「さて、グラスは持った? 月並みだけど言わせてもらうわ」
カミラは食卓に声を投げかける。
「──ハニとの出会いに乾杯!」
グラスの触れる音がした。
出会いも何も、カップの中身からしてハニの一部である。
皆が喉を潤し一息ついたところで、レインが隣を気にし始める。
「あー、お嬢ちゃん?」
かけられた声に、ハニは文字通り飛び上がった。椅子から腰を浮かせた彼女は辺りを見回し、小さく縮こまって座り直す。
「ナンデモナイデス」
「いや片言」
レインの容赦ないツッコミが入った。老女はハニの背を叩き、パン籠を渡す。
「大丈夫だって言ってるだろ? ほら、あんたも食べな。育ち盛りなんだ。遠慮するんじゃないよ」
「はい……」
素直に従うハニだが、パンを千切って見つめたところで手が止まった。
肌の色のおかげで分かりづらいが、よくよく観察してみれば、その頬にはうっすらと朱が滲んでいる。
パンを持つ指もまた、小刻みに震えていた。
「オイシイデスネ」
やっと一口を飲み込んだハニが呟く。実際は食事どころか水もろくに喉を通らないようだ。
先程までと様子が違いすぎる。
カミラとベントは顔を見合わせた。
「ねえ、レイン。厨房で何があったの?」
「さてね。順調に料理をして、こっちの食事を一緒に味見して、まあ楽しい時間だったよ」
「成程。いつから様子が変わったんだ?」
「盛り付けのあたりからかね。急に大人しくなって、食卓についたらもうこの状態さね。何が何やらだよ」
肩を竦めたレインの横で、ハニがさらに縮こまる。もうはっきりと赤い頬の彼女は、皆の視線から逃れるように俯いてしまった。
「ハニったらどうしてしまったの?」
「いえ、その……本当に何でもないんです。すみません」
料理の出来栄えに満足がいかなかったのかと思い、カミラは改めて食卓を眺める。
血の滴るオーブン焼きに血入りスープの煮込み。ぷるりと弾力のある塊は血を蒸して固めたものだろう。食感や味の変化にもこだわりを感じる名品揃いだ。
何より生き血の爽やかさが実に素晴らしい。こっくりとしているがしつこさがなく、芳醇な香りの向こうにわずかな甘みを感じた。
「どれも美味しいわよ。ねえ、ベント?」
「ああ、普段は適当に採血器で血を交換し合っていたからな。久方ぶりのまともな食事で、正直感動している」
朴念仁のベントにしてはまだ気の利いたコメントだ。おべっかを言っている様子もないため、本心からの言葉と思われる。
しかし、褒められたはずのハニとはいえば、さらに小さくなり、ついには両手で顔を覆ってしまった。
そして、蚊の鳴くような声で呟く。
「はずかしい……」
これには他の三人も首を傾げるしかない。
あれほど自信満々に自身の性能を語っていたというのに、ここにきて羞恥を露わにするとはいかに。
カミラは席を立ち、丸まってしまったハニの背を撫でる。
「お前はしっかり美味しくて料理の腕も確かよ」
「…………」
「ほら、顔を上げなさい。恥じることなど何もないのだから」
「むりです。だって、自分が食べられるところをこの目で見るのは、何か……何かこう……!」
ハニは呻き、椅子の上で膝を抱えて三角座りになってしまった。
ニエの恥じらいポイントが分からず困惑しきりの仲間達である。
「ほら、あれじゃないかい。クチではいくらでも語れるけど、『私が作りました』みたいな顔付きの宣伝に羞恥をおぼえるタチとか」
「能力の影響ではないか? ニエとして自身が咀嚼嚥下されることに満足を感じる一方で、『良識』がそれを非道徳的と判断してしまうとか」
「単純に食べられる自分を見るのが初めてだからでしょう。まあ少し倒錯的かもしれないわ」
俯き露出したハニのうなじを見下ろし、カミラは一人頷いた。
「それはそうと、もう少し喉を潤したいの。というわけで、お代わりを所望するわ。あーん」
「いっ!? カミラ様、そんな急に」
噛みつかれ、ハニが小さな悲鳴をあげる。しかし、抵抗はない。恥ずかしいだけで食べられたくないと思っているわけではないようだ。
ハニの首筋から唇を離し、カミラは笑みを浮かべる。溢れた血の一雫まで舐め取れば、身も心もすっかり満たされた。
「最中に名前を呼ばれると何だか興奮するわね」
「食事の話なんだよな?」
胡乱気な目をしたベントが呟く。
心なしか軽蔑の混じった眼差しだった。
────数分後のこと。
落ち着いて気を取り戻したハニが項垂れる。
「大変失礼しました」
「いいのよ。はい、あーん」
カミラは満面の笑みでフォークを振るい、小さなトマトを差し出す。ちゃっかりハニの膝の上に座っての給餌だ。
カミラが落ちないように抱きかかえ、ハニがトマトを食む。
「とても美味しいです。張りのある歯応えに溢れる甘み、食感も味も参考になります」
「褒めてくれるのは嬉しいけど、トマトが食べにくくなるからやめとくれ」
レインの控えめな主張にベントが気の毒そうな視線を送っていた。
ハニ以外は既に食事を終え、お茶で一服中だ。懸命にハム入りパンを齧るハニを眺め、レインが呟く。
「今まで何人もニエを見てきたけど、こりゃまた変わった子が来たね」
「やっぱり? ハニったら少し特別な子よね」
カミラが机に乗り出して言えば、ベントが眉間に皺を寄せた。
「そもそもおれ達は、ニエの何たるかすらよく知らん」
悪食カミラに偏食のベント。鬼の血肉を糧とする二人にとって、人を模したニエは無用の長物でしかない。
知己が自身のニエを見せてくれたこともあったが、他所の食糧庫を覗いたところで腹が膨れるわけでもなく、特段感想は抱かなかった。
しかし、ハニは今や血族の子。
大切な仲間であり、食糧である。
炭酸水に目を白黒させているハニを見上げ、カミラは囁く。
「ねえ、私のハニ。私達、もっとお互いを知るべきではないかしら?」
「はい? ええ、もちろん。好みなど伝えていただければ、誠心誠意対応いたします」
「それは嬉しいのだけど、私達、ハニができることをよく知らないのよ。少し教えてほしいわ」
カミラは甘えるようにハニにもたれて身体を預けた。琥珀色の目が瞬き、カミラを見る。
「それがカミラ様の望みであれば、はい」
「ありがとう。その代わりに私は、鬼や血族のことを教えてあげる」
「あたしも入れとくれよ。と言っても、あたしが教えられるのはここらの村のことと、庭仕事や料理くらいかね」
「嬉しいです。色々教えてください」
女性陣が微笑み合う中、デフォルトが仏頂面のベントだけが出遅れていた。
他の三人から期待した目を向けられ、彼は苦虫を噛み潰したような顔で唸る。
「では、おれは協会について教えよう。人と鬼が共に暮らすのだ。基礎知識はあった方がいい」
「決まりね。これから毎日数時間はお勉強に当てるわよ」
特に反論も上がらず、カミラは手を叩いて場をまとめた。
「さっそく今から始めましょう。私とベントは勉強会の準備をするから、レインとハニは食器を片付けてちょうだいな」
皆が頷き、それぞれの配置についた。
かくして、鬼と人とニエの異文化交流会が開催される運びとなったのである。




