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第1話 新たな蜜に祝福を


 協会に帰還したカミラ達を待っていたのは、十数分の任務報告と六時間に及ぶ叱責であった。


「ボスが留守で良かったです。いたら六時間じゃすみませんからね」


 連帯責任で説教部屋へぶち込まれていたアルエがぼやく。


「あとはこっちで揉み消しときますんで。ニエの子の製造元にも連絡しときます。拾ったからにはしっかり面倒をみるんですよ」


 彼女はそう言い残し、心なしか萎れた金髪を揺らして去っていった。

 くたびれた背中に哀愁が漂う。


 中間管理職って大変なのね、などと身も蓋もなく軽い感想を抱きつつ、カミラは応接室へ向かった。

 無駄に豪奢な調度品が鼻につく、普段は全く使われることのない部屋である。


 さっさと帰りたい気持ちが勝ち、カミラは乱暴に扉を開けた。


「私のおやつちゃん、いる?」

「こらこら、ノックくらいなさい」


 返ってきたのは穏やかな笑声だ。

 

「あら、いらしたの」


 カミラは居住まいを正し、淑女の礼をとった。


「ごきげんよう、ドクトル。今宵は良い月ね」

「はい、ごきげんよう。今日は新月だがね」


 どこまでも静かな声が応える。


 部屋の中には二人の人物、否、鬼がいた。


 一人はニエの少女。年の頃は十代後半。転化されて間も無く協会に連れてこられ、さらに一人で放置されたせいか、やや俯きがちだ。


 もう一人は男性。緩やかにうねる黒髪に灰色の目をした、物静かな紳士だ。見た目以上に年を重ねており、その落ち着きが佇まいに滲んでいる。


 二人はやや距離を開けながらも向き合って座っていたようだ。


「ドクトル、私のおやつちゃんに何のご用?」

「君が戻ってくるまで見守るよう職員に頼まれたんだ。ところで、『私のおやつちゃん』というのは呼び名かい?」

「そうよ。おかしいかしら」


 カミラが首を傾げれば、ドクトルは頭痛を堪えるようにこめかみを揉んだ。


「もしかして、君達は互いに自己紹介もせずに転化を……?」

「ええ。名前なんて後でいいかと思って」


 絶句してしまったドクトルを放置し、カミラは椅子へ掛ける。

 俯き、縮こまってしまったニエの少女の横に、だ。


「いい機会ね。私はカミラというの。私のおやつちゃん、お前の名前は?」

「……ミツ、です」

「ふうん」


 カミラは俯いた少女の顎を指で掬い、その顔を覗き込む。


 柔らかな黒髪に琥珀色の瞳、薄い褐色の肌。

 ミナトの屋敷では血塗れでよく分からなかったが、こうして見ると大層な美貌だ。


 驚きで薄く開いた唇に指で触れ、カミラは笑った。


「ハニ、ね」

「え?」

「お前の新しい名前よ。蜂蜜みたいで甘くて美味しそうだから、ハニ」


 困惑しきりの少女がドクトルを見る。

 枝葉を省きがちなカミラに代わり、ドクトルが説明してくれた。


「新しく血族入りした子には血族長や年長者が名前を授ける。そんな古い風習があるんだ」

「祝福もね。ドクトル、お願いできるかしら」

「もちろん構わないよ」


 ドクトルが一つ頷き立ち上がる。

 分からないなりに雰囲気に従ったのか、ニエの少女あらためハニもまた席を立った。


 どことなく及び腰の彼女が、助けを求めるようにカミラを見る。


 いじらしい。

 視線が合った瞬間に目を伏せるくせに、シャツの裾を握って何か物言いたげなところなど、可愛くてたまらない。


 やに下がるカミラを見つめ、ドクトルが注意する。


「カミラ嬢、久しぶりの新生が可愛いのは分かるけれど、ちゃんと導いてやらなければいけないよ」


 やんわりと嗜められてしまった。


 反省したカミラはハニの傍に行き、彼女の手を取る。

 指先が冷たい。緊張しているようだ。


 カミラは幼い頃に時を止めた自分より大きな、しかし愛らしいハニの手を両手で包み込む。


「名前が変わるのは不安?」

「いえ、その……はい、少しだけ」


 素直に頷いたハニが小声で教えてくれた。


「私達ニエは使用契約終了後、教育施設に戻り、記憶を消去されます。新しい名前を戴くのは再出荷の後になるんです」

「あら、そうなの? まあ、似たようなものでしょう。見逃しなさい」

「いいのですか? 記憶が残るということは、つまり、お古になってしまいます……」


 ハニは消え入るような声で囁き、もじもじとシャツの裾を弄る。恥ずかしがっているというよりは本気で恥じているようだ。

 ニエの慣習がよく分からない。カミラは考え込み、眉間に皺を寄せた。


「お古って何。その理屈でいえば、お前達ニエの元となった人間など基本お古ではない?」

「ええ、仰る通りです」

「お古だとお肉が固いとかあるの? 血が生臭くなるとか、とうが立って筋張っているとか」

「いえ、そんなことは!」


 ハニが慌てて否定する。


「記憶の蓄積に関係なく品質は保証されています! いつ何時も、我々ニエは最高の食肉体験を提供いたしますので!」


 ますます分からない。

 ついでに言えば、売り文句が何となく生々しい部分も気になる。


 それはともかくとして、血肉というものは、その存在がこれまでどう在ったかを如実に表す。

 経験や記憶はむしろ味わいの一つであると、カミラは認識していた。


「結局、何か問題があって? もしかして、最近の鬼は皆、処女や童貞に拘りのある変態揃いだったりするのかしら」


 咳払いが聞こえた。

 気を遣ってか、それまで気配を薄めていたドクトルである。

 やや赤くなった顔を伏せ、彼は呟いた。


「カミラ嬢、はしたないよ」

「あらいやだ。ごめんあそばせ」


 口元を隠し、カミラはからりと笑う。

 ドクトルが赤面のまま溜め息を吐いた。


「ええとニエの君、ミツさんだったね」

「はい」

「カミラ嬢は古い鬼で、あまり細かいことを気にしないタチなんだ。面倒でなければ、ニエではなく鬼の慣習に合わせてやってくれ」


 そこまで言い、ドクトルは眼鏡を押し上げる。

 硝子越しの瞳が苦く笑った。


「そして……これは僕の我儘だ。ミナトの記憶を遺したまま生きてほしい。勿論、君が良ければ、だが」


 抑えられた囁きには拭いきれない翳りが滲んでいた。

 

「ミツさん、ミナトは最後まで抵抗していたそうだね」

「はい。お屋敷の皆さんを巻き込まないように指示され、私にも最後まで気遣ってくださり……本当に立派なお方でした」

「そうか。君も彼の名誉を守ってくれたんだな。ありがとう」

「いえ、そんな。私は、何も」

「ミナトはね、僕の友人だったんだ。実は、君とも一度だけ会ったことがある。覚えているかい」


 そう言って微笑んだドクトルを見て、カミラは初めて合点がいった。

 それなりの地位についている彼が新生の祝福を快諾した意味。

 見ず知らずの鬼の見守りを引き受け、長時間に渡り付き添っていた理由。


 “穢れ堕ち”は骸さえ残らず消える。


 病はその名の通り穢れ。病気とは言え、理性を失い名誉を穢して死にゆく鬼は、後世に名を残すことすら許されない。


 ミナト・ヤナギサワは鬼としてではなく、バケモノとして処理された。

 荼毘に付されることもなく、なかったモノとして扱われるのだ。


 ドクトルが呟く。


「別れには慣れたつもりだけれど、やはりさみしいものだな」


 部屋に沈黙が落ちた。

 

 俯いてしまったニエの少女を励ますように、ドクトルが苦笑する。


「すまない。変な空気にさせてしまった」

「気にしないで。お互い歳をとったものね」


 沈黙したままのニエの少女に代わり、カミラは応えた。そして、再び彼女の手を取る。


「ハニ。お前さえ良ければ、今のまま生きて。ミツだったお前のこれまでと、ハニとしてのこれからを丸ごと堪能させてほしいの」

「はい、カミラ様さえよろしければ、私はミナト様を忘れません。私も……ハニもミナト様を覚えていたい、です」

「そう。ハニ、可愛い子。お前をおやつにできてよかったわ」


 カミラはハニの指先に口付ける。


 ハニはくすぐったそうに目を細めた。

 そして、僅かに口元を綻ばせる。


 二人の様子を見守っていたドクトルが静かに問うた。


「では、いいかい?」

「ええ、お願い」


 カミラは頷き、その場に膝をついた。両手を軽く組み、祈りの姿勢を取る。

 ハニも後に倣い、同じく跪いた。


 瞼を閉じれば、低く穏やかな声が二人へ降り注ぐ。


「浄化の血族カミラが子、ハニ。新たな目覚めに太陽と月の祝福を。君の道行に幸いがありますように」


 祝福に特別な効力はなく、ただの言葉でしかない。

 しかし、天鵞絨の声が紡ぐ言祝ぎは確かに二人へと向けられていた。


 しばらくして、衣擦れの音と共に優しく肩を叩かれる。同じようにしてハニの肩にも触れ、ドクトルが告げた。


「はい、おしまい。もう目を開けて結構」


 ドクトルに手を取られ、カミラとハニは立ち上がり元の椅子へと掛け直す。

 エスコートしてくれる掌がひやりと冷たくて心地よく、カミラは少し笑ってしまった。


「ありがとう、ドクトル。あなたに寿いでいただけて光栄よ」

「こちらこそ、携わらせてもらえてよかった。友人が遺した子だ。少し贔屓して長めに祈っておいたよ」


 彼にしては珍しく茶目っ気をのぞかせた後、ドクトルがハニへと向き直る。


「ハニさん、改めておめでとう。ニエから鬼になって最初は戸惑うだろうが、徐々に慣れていけば大丈夫だから」

「ありがとうございます。ドクトル様、とお呼びすればよろしいですか?」

「敬称は不要だ。名前ではなく役職名というか、あだ名だからね」


 元より物知りの彼はいつしか教えを施す立場となり、協会設立後も年若き鬼を導き続けている。

 ドクトルとは他者が勝手に呼び始めた名なのだ。


 納得したのか、ハニはドクトルに深く頭を下げた。


「ドクトル、感謝します。祝福だけでなく、長い間付き添っていただいて、ごめんなさい」

「とんでもない。僕の方こそ君と話せて良かった。君達さえよければまた遊びに来てくれ。それと──」


 穏やかに応えたドクトルがカミラを見た。

 そこはかとなく咎めるような目である。


「何かしら」

「カミラ嬢、君が転化を施したのは二回目だな」

「ええ、そうね。とっても久しぶりで記憶も曖昧になっていたけれど、失敗しなくてよかったわ」

「そこではなくだね。いくら慣れていないからといって、法を犯すのはいただけない。大体、ベント君の件で学ばなかったのかい」


 長い鬼の生の中、つい勢いで転化させてしまった一件を指摘され、カミラはそっぽを向いた。


「いつの話をしているの。それに、ベントを転化させた頃は協会なんて影も形もなかったじゃない」

「当然だろう。ベント君の故郷の件を機に協会ができたんだから」

「そうだったかしら。昔のことなんて忘れてしまったわ」

「カミラ嬢、協会の理念まで忘れてもらっては困るよ。古株の君が規範を乱しては、若い子達に示しがつかないじゃないか」


 呆れたように言い募られてしまう。カミラはつま先で絨毯を弄りつつぼやいた。


「別に、人間とか鬼とか私には関係ないもの」

「無責任なことを言うものではない。まったく、覚えていないのか? あの時のベント君の荒れようと言ったら……」

「分かったわよ。ごめんなさい、気をつけるわ。だから、あの頑固者の話はやめてちょうだい」


 説教の気配を察知し、カミラは慌てて話を遮る。

 六時間の叱責に耐えた後、再び古き友人から教えを説かれるなどごめん被りたい。


 話の流れについていけず首を傾げるハニに抱きつき、カミラは囁いた。


「ハニは素直な子だから大丈夫よ。ね、ハニ?」

「え? はい、ハニは素直に頷きます」


 何故か実況のように解説するハニの頭を撫でまわしていると、ドクトルが溜め息を溢す。


「分かった。今回の件は内密に処理されるのだろうし、これ以上は僕も言及しないよ」

「そうしていただけるとありがたいわ」

「以後、気をつけるように」

「ええ、ええ。気をつけます。といっても、以後なんて早々ないけれど」

「まあ、そうだな。君が転化を施すなんて、僕も驚いたくらいだから」


 カミラが鬼として生を受けて八百年余り。

 ハニを含め、転化させたのは僅か二名だ。

 ただし、転化させた二回がどちらも勢いである。

 慎重派という評判も怪しいものだ。


「実際、珍しいことだ。何故、転化を?」

「何故と言われても困るわ。ただ単純に、そうしたいと思っただけよ」

「何か心境の変化でもあったのかい?」

 

 ドクトルが探るように問うてくる。

 カミラはハニを見つめ、少しばかり考え込んだ。

 

 ハニの目。

 どこか懐かしい琥珀色の瞳。

 とろける蜜のような、魅惑の色。


「強いていえば、そうね。いつも同じ味ばかりで食べ飽きたのかもしれないわ」

「成程。君の場合、そういうこともあるか」

「ええ。たまには甘いおやつも食べたいでしょう?」


 カミラはハニの膝にしなだれかかり、微笑んで彼女を見上げる。


「これからよろしくね、私のハニ」


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