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第0話 ニエはおやつに入ります


 かつりかつりと、靴音が二つ。

 足並み揃わぬ二人の少女が暗い廊下を進んでいる。


「身内からの陳情とか面倒臭い……」


 そう呟くは亜麻色の髪に深緑の瞳、百合を思わせる淑やかな少女だ。


 年の頃は十代前半といったところ。

 ただし、人間であればの話だが。


 彼女は気怠げにため息をついた。


「この手のケースは会長の坊やが直接対応すべきじゃないかしら」

「不平を言わない。先輩ったら、ボスに聞かれたらむち打ちの刑ですよ?」


 後ろを歩いていた少女が口を挟んでくる。

 こちらも金髪碧眼の美少女だが、どうにも目が荒んでいた。


 彼女の手は忙しなく記録を綴る。仕事はそれだけではないようで、連絡機器を肩口に挟んで何事かを伝えていた。同時並行で別件対応中らしい。


 胸元から取り出した携帯血液をかっ喰らい、彼女はさらに言い募る。


「大体ね、カミラ先輩はいいじゃないですか。ヒマでしょ? 私なんて何連勤してると思います? 五百四十九連勤目ですよ?」


 何がおかしいのか、勤労少女はけらけらと笑い出してしまった。


 哀れだ。

 哀れだが、それはそれとして声がでかい。


 カミラと呼ばれた少女は思わず舌打ちをした。


「今回の件、面倒なだけじゃなく、アルエの声がうるさくてつらいわね」

「急激に当て擦るのはやめてくれませんかねえ!」


 喚く後輩──アルエを無視し、カミラは両手で耳を塞いだ。

 

 ここに居続けるのは精神衛生上良くない。

 色々な意味で。

 

 カミラは辺りを見回し、溜め息を吐く。


「……本当に面倒だわ」


 板張りの廊下はところどころ割れ、壁には至る所にヒビが入っている。

 灯りは全滅。

 獣が十匹暴れてもこうはならないだろうというほどに、屋敷は荒れていた。


 それだけならまだしも、だ。


 天井から垂れ下がったピンクの臓物。

 襖の淵を掴んだまま千切れた二本の指。

 壁一面を塗り上げる大量の血。


 見るからに新鮮なバラバラ死体が屋敷内部を飾り上げているのだ。


「ほわ!? この靴、新しいのに!」


 後ろを歩くアルエが奇声を上げる。

 転がっていた目玉でも踏み潰したのだろう。

 注意散漫だからだ。


 滴り落ちてきた赤を避け、カミラは問うた。


「これが一人分の血なの?」

「複数人の血が混じってたら分かるでしょ。先輩ってば、加齢で鼻がおばかになっちゃいましたかあ?」


 過労のあまり心がささくれているらしく、アルエが煽り散らかしてくる。


 相手はたかだか三百歳の小娘だ。

 むきになるべきではない。

 そう思いつつも、カミラは言い返した。


「あのね、アルエ。お前の卑しい鼻ならともかく、私にはヒトの血の差なんて分からないわ」

「ヒトじゃなくてニエですけどね。ていうか、卑しいとか言いました?」


 アルエが聞き返してくるが無視。

 カミラは問いを重ねた。


「もう一度訊くけれど、襲われているのは本当に一人だけなのかしら」


 足下に転がる眼球。

 気のせいでなければ、その数は三つ。

 腕や足とて同様だ。屋敷に入ってから、少なくとも十本は目にしている。


「どう見てもパーツの数が多いわ。それに、筋肉達磨の巨漢だとしても、この出血量では既に三十回くらい死んでいると思うのだけれど」

「だから、屋敷に残ったのはニエだって言ってるじゃないですか」


 アルエが足を早め、横に並んだ。

 彼女は訳知り顔で人差し指を振る。


「ニエってすごいんですよ。美味しい上に再生力も高い、実に画期的な食糧なんですから」


 ニエとは人間を模して造られた、鬼のための高栄養食だ。

 言うなれば、味も良くて何度も食べることのできる夢の食材といったところだろうか。

 昔は高級品だったが、今や一鬼一体の生活必需品と聞く。


 ニエが普及したおかげで、鬼は人を食わずともよくなったわけだから、アルエの言も大袈裟ではないのだろう。


 何にせよ、少しばかり特殊な鬼であるカミラにとっては、あまり縁のない話である。

 

「まあ、再生力がすごいのは分かったわよ。この惨状だもの」


 ニエの性能に呆れるカミラとは違い、アルエは感動さえしている様子だ。

 場違いに目を輝かせ、アルエが身悶えした。


「名のある工房製のニエに違いありません。ブランド品、もしかしたらオーダーメイドかも!」

「フーン、そうなの。すごいすごい」


 関心が持てず適当に相槌を打ってやれば、何を勘違いしたのか、アルエはにやにやと笑い出す。


「あれれ、羨ましいのかな? 先輩ってば悪食ですもんね。ニエ、食べたことないんでしょう?」

「ないわね」

「あーあ、先輩かわいそう。あの味を知らないなんて、鬼生の半分は損してますよ」


 アルエときたら、いやらしい笑みを浮かべて肘で脇を突いてくるではないか。


 カミラが睨みつけると、アルエは肩を竦めた。

 どうにも腹の立つ後輩だ。


 カミラは胡乱な目でアルエに問う。


「ニエって鬼を一人で抑え込めるほど強いの?」

「強くはないと思いますよ。これは多分、全力で逃げて惹きつけ続けたんじゃないかな」


 アルエの言う通り、惨状広がる廊下は、屋敷に残ったニエの奮闘の証なのだろう。


 よく観察すれば分かる。

 被害の殆どは外部へ繋がる窓ではなく、屋敷の内側に集中していた。

 件のニエは、捕食者に追われて外へ逃げるのではなく、喰われ嬲られながらも屋敷の中へと相手を誘導したのだ。


 薙ぎ倒された襖とそこに残る血痕を見つめ、カミラは目を伏せた。


「恐るべき献身ね」

「実際、優秀なニエですよ。後継者と使用人全員を先に逃して、“穢れ堕ち”の主人を一人で引きつけたわけですから」


 血溜まりを覗き込み、アルエが感嘆の声を上げた。

 

「食い潰されてなかったら、うちで買えないかなあ。妹が次のニエを探してるんですよね」

「お前の家のことはどうでもいいのよ。ここのご主人、名前はなんと言ったかしら」

「ミナト・ヤナギサワさんですね。後継者のツバキ様から報告と陳情が上がってます」


 アルエが鞄から取り出した調書を読み上げる。


 屋敷の主、ミナトは数週間前より自身の変調を自覚。銀製の鎖で自縛を試みたが、数日前に急変し、使用人を襲おうとし始めたとのことだった。


 理性を失い、無差別に人を襲う。

 鬼を苛む不可逆の病──“穢れ堕ち”だ。


 同族の末路である“穢れ堕ち”の処理。

 それが協会から派遣されたカミラ達の仕事だった。


「ニエの子が残ってくれなかったら、麓の町まで被害が出ていたでしょうね」


 記録をつける手を止め、アルエが呟く。

 彼女らしくもなく、潜めた声には微かな憂いが滲んでいた。


 足を止めた彼女の肩を叩き、カミラは進む。


「ありがたいことだわ。その子のおかげで人死は出ないし────どこに向かったかも一目瞭然なのだもの」


 壁に叩きつけられ、そのまま引きずられたのだろう。

 血痕が一筆書きのように続いている。


「ここ、よね」

「ですねえ」


 二人はげんなりとした顔で扉を眺めた。


 襖絵にはぶちまけられた鮮血。

 飛び散る肉片に、上がる湯気。

 鮮烈にすぎる臭気。


 とんだスプラッタである。

 

「ちなみに、アルエ。お前、これを見て美味しそうとか思うの?」

「いやあ……床にぶちまけられたお肉はちょっと」

「落ちていても肉は肉でしょうに」

「単純にばっちいですよ、と!」


 アルエが襖を蹴り飛ばした。

 手で触れるのも嫌だったらしい。


 屋敷とニエの残骸を避けて中へ進めば、そこには背中を丸めた鬼が一人。


 否、“穢れ堕ち”だ。


 大人しく血を啜っているのであるいはと思ったが、やはり不可逆は不可逆。

 館の主・ミナトは、もはや鬼ですらないバケモノへと変わり果てていた。


「ごめんなさいね」


 カミラは呟き、畳の床を蹴る。

 振り返る隙など与えない。一気に加速したカミラの脚が正確に“穢れ堕ち”の頭を捉えた。


 風船が弾けるような音。

 “穢れ堕ち”の頭が砕け散る。


 簡単な仕事だ。

 そのくせ、ひどく不快である。


 空中で回転し、その勢いで血払いを済ませる。

 飛び降りた先もまた血溜まりであるため、さほど意味はなかった。


「終わりですか?」

「そのようね」


 “穢れ堕ち”の輪郭が滲み、空気に溶けるように消えていく。

 骸さえ残さず消えるのは、せめてもの贖いか、あるいはバケモノとしての痕跡を消す神の慈悲か。


「どうでもいいわね」


 本音をこぼしたカミラはふと床を見る。

 “穢れ堕ち”が啜っていた血溜まりに、少女が倒れていた。


 彼女が噂のニエなのだろう。

 四肢は一部欠損。裂けた喉から血が流れ続け、胸は肺ごと押し潰されて凹んでしまっている。


「生きてる?」

「あー……いや、これは無理かも。ほとんど再生出来てませんし、もう眠らせてあげた方がいいかもです」


 アルエが気まずそうに囁く。

 食糧相手とはいえ、さすがに同情心がわいたらしい。


 カミラはしゃがみ込み、ニエの顔を覗き込んだ。

 

 潰れかけた目玉がカミラを見る。

 唇から微かに動いた。


 聞こえるのは小さな声。


「──……」

「なあに? 最後に言いたいことがあるの?」

「……やくに、たち……たか?」


『私はお役に立ちましたか?』


 ニエがそう問うているのだと理解し、カミラは微笑み頷いた。


「ええ、素晴らしい仕事だったわ」


 カミラの答えを聞き、ニエの少女は嬉しそうに口の端を緩めた。


 呼吸音が急速に弱まっていく。


 最後に瞬く瞳。

 それが甘い蜜のような琥珀色をしていると気付き、カミラは手を伸ばした。


 瞼を閉じてやろうとして。

 そして、やめる。


「先輩?」


 不思議そうにアルエが覗き込んできた。

 その無遠慮な目を見返し、カミラは問う。


「本人の意思があればいいのよね?」

「はい?」

「転化よ、転化。この子、鬼にしてみるわ」

「はい!? ニエを鬼になんて聞いたことないですよ!?」


 カミラは自身の指を噛み切る。

 流れる血をそのままに、今まさに死にゆくニエへと向き直った。


「ねえ、お前。私のおやつにならない?」


 琥珀色の目がカミラを見る。

 答えはない。もはや意識があるのかないのか微妙なラインだ。


「嫌なら首を振りなさい」

「いやいや先輩、首を振れとかほぼ死人に無茶振りは駄目っていうか! 本人同意なしの転化は協会法違反ですよ!? ねえ!?」

「よし、心臓より下に鬼の血が入ればいいのよね」

「ああもう、ポンコツなのは先輩の舌じゃなくてオツムの方だったか! どうしよう、ボスに絞られる!」


 大袈裟に嘆き始めた後輩兼お目付役を押し退け、カミラは傷付いた手をニエの口元へ近付ける。

 当然ながら飲まない。


 だから、仕方なく。

 そう仕方なく、掻っ捌かれた腹へと手を突っ込んだ。


 臓腑の中は温かい。

 胃のあたりもまだ残っている。

 そこへ直接血を流し込めば条件は達成だ。


 カミラは嘯く。


「大丈夫、お前は死なないわ。ワンチャンあるもの」


 死に体に鞭を打たれたニエの身体が痙攣を始めた。


 頃合いを悟り腕を引き抜いたカミラと半泣きのアルエが見守るなか、少女の身体は作りかえられていく。


 食い千切られた喉、抜かれた右眼、その他全身の傷口が瞬く間に盛り上がり、新しい組織へと生まれ変わっていった。


「うっわ、グロ」

「馬鹿なことを言わないで。重症時点ですでにグロかったでしょう」

「え、なんで怒られたんですかね? 私より、協会法違反者のポンコツ先輩の方が問題なのに?」

「お前、後で覚えてなさいよ」


 鬼二人が中身のない言い合いをする間にも、ニエの少女は逆再生の世界を彷徨っていた。

 喉に溜まっていた血を吐き出し、取り戻した呼吸に乱れ、派手に咳き込む。


 涙に濡れて歪んだ琥珀の瞳には光が宿り、困惑と苦痛が浮かんでいた。


「わたし、どうして」


 少女は荒い呼吸のままに周囲を見渡し、惨状広がる部屋の有様に硬直。

 何とか視線を逸らした先に見知らぬ鬼二人を発見し、再び硬直。


 数秒の気まずい沈黙を経て、彼女は声を上げる。


「あの」

「『ねえ、お前。私のおやつにならない?』」

「嘘でしょ、先輩。またそこから始めるんですか? うわ、ひくわあ!」


 三者三様の交わらない言葉が行き交い、場は混沌と化す。そもそも部屋がスプラッタのため、見場も臭気も最低最悪だ。


 一つため息をついたカミラは、“穢れ堕ち”が遺したシャツをニエの少女に渡す。

 ある意味あられもない姿ではあったためか、少女は赤面しつつシャツを羽織った。


「ありがとうございます」

「構わないわ。それで、おやつになるの? ならないの?」


 カミラの催促にニエの少女が視線を上げる。


「おやつ……は、よくわからないのですが、私はお嬢様方に助けていただいたということ、ですか?」

「お嬢様! 私はともかくポンコツ先輩がお嬢様? 笑えるんですけど!」

「アルエ、本当に後で覚えてなさいよ」


 重々しく宣言するカミラを見つめ、少女が居住まいを正した。

 アルエのことは意識的に無視している様子なので、実は肝の座った性格なのかもしれない。


 カミラは一つ咳払いをし、説明を試みた。


「色々あったけれど、お前が生きているのは私のおかげと言えるわ」

「説明雑過ぎでしょ。しかも恩着せがましいし」

「……ともかく、お前は私やこのお喋り小娘と同じ、鬼になったのよ」

「なったというか、勝手に転化したから協会法違反ですけどね」


 いちいち茶々を入れてくるアルエを睨んでいると、非常に恐縮した様子のニエが問うてくる。


「……つまり、お嬢様は罪を犯してまで、私を助けてくださったということでしょうか?」

「え? ええ、そう。そうね。お前を助けるため、だったような気もするわ、多分」

「嘘が下手すぎません? そして、キミも重要な部分から目をそらしてない?」


 目を泳がせたカミラと半眼のアルエ。

 そして、血塗れで所在なさげに座り込むニエの少女。


 結局のところ、出会いなどというものは数奇でしかないのだと、三人の姿は物語るのであった。


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