第九十五話「全員が揃った」
照合室は、恋管庁舎の地下にあった。
普段は使われない。職員と対象者を照合することは、制度上ありえないからだ。ありえない部屋は、ありえないことが起きる日まで、鍵をかけられている。
その鍵を、鶴田が開けた。
「全員、揃いました」
部屋には、俺、川瀬さん、鶴田、課長がいた。
それだけで十分なはずだった。
だが扉の横に、もう一人立っていた。
「架橋課、桐生です」
眼鏡の奥で、感情の読めない目がこちらを見ていた。
◇
「なぜ架橋課が」
俺が聞くと、桐生は淡々と答えた。
「成立確率、照合結果、マッチング履歴は架橋課の管轄です。折衝課職員と対象者の照合という異常事案について、立会いを求められました」
「誰に」
「本部です」
課長の表情がわずかに硬くなった。
鶴田は端末を見ていた。おそらく、知っていたのだろう。だが言わなかった。言わない方がいいと計算したのかもしれない。
◇
川瀬さんが俺の隣に立った。
「折衝さん」
照合室で聞く、いつもの呼び方だった。白い部屋では、その四文字がいつもより短く聞こえた。
「大丈夫ですか」
「こちらの台詞です」
「私は、大丈夫ではないです」
彼女は正直だった。
「でも、ここにいます」
その一言だけで、俺もここにいる理由を思い出せた。
◇
鶴田が中央の端末を起動した。
照合画面には、二つの名前が並んでいた。
森本遼。
川瀬さん。
その下に、警告が出ている。
職員・介入対象者間の照合は、通常許可されません。
課長が承認コードを入力した。
警告が一つ消えた。
桐生が記録開始を告げた。
鶴田が、こちらを見た。
「始めます」
川瀬さんが、隣で小さく息を吸った。
俺は胸ポケットに触れた。スタンプは、今日もそこにある。
川瀬さんは、警告文をじっと見ていた。
「通常許可されません、って、嫌な言葉ですね」
「そうですね」
「通常じゃないことをするとき、毎回こんなふうに警告されるんですか」
「恋管は、だいたいそうです」
「でも、通常じゃないから間違いとは限りませんよね」
彼女は画面から目を離さなかった。11%のときから同じことを言っている。低いから間違いではない。通常じゃないから間違いではない。彼女の論理は、最初から変わっていなかった。ただ、向いている先だけが、田村から俺へ、俺から制度へ、少しずつ移ってきた。
桐生が小さく咳をした。
「記録上、発言を残しますか」
川瀬さんは頷いた。
「残してください。通常じゃないから間違いとは限らない、です」
桐生は無表情で記録した。
照合室の机は、妙に大きかった。
向かい合うためではなく、距離を置くために作られた机だと思った。俺と川瀬さんの間には、端末と、承認書類と、鶴田の紙束がある。数字にたどり着くまでに、いくつものものが二人の間に置かれていた。
それでも、彼女は隣に立った。
向かいではなく、隣だった。
その位置だけで、今日ここに来た意味が少しわかった。向かいに座る相手は、いつか別れるかもしれない。隣に立つ相手は、同じ方を見ている。俺たちは今日、同じ画面を見るために、ここにいた。
次話「147通りの紙」




