第九十三話「鶴田が、自分のデータを取る」
照合前日、鶴田は自分の心拍データを机に並べていた。
「何をしているんですか」
「対照群を作っています」
「あなたの?」
「はい。通常、人間は恋愛照合の前に心拍が乱れます。しかし私は照合されません。したがって私のデータを基準にすれば、森本さんの乱れがどれくらい非通常か測れます」
「それ、必要ですか」
「必要ではありません。気になります」
この男は、たまに業務と趣味の境界が消える。
◇
鶴田の端末には、俺と川瀬さんの接触記録が時系列で並んでいた。
一話目の訪問。二人分のコーヒー。田村の苦情。婚約。傘。スタンプ目撃。終了処理未完了。外れ値カップル。11%から12%。照合申請。
すべてが、線になっていた。
「これだけ見ると」
鶴田が言った。
「森本さんは、折衝していません」
「では、何をしていたと」
「育成です」
「縁を?」
「はい」
鶴田は、悪気なく頷いた。
「折りに行くたびに、接触頻度、情緒安定、相互記憶、未来志向が増えています。これは折衝ではありません。育成です」
◇
否定できなかった。
俺は低確率の恋を折るために行った。だが彼女は、俺が来るたびにコーヒーを変えた。俺は、飲む量を増やした。彼女は俺の言葉の逃げに気づき、俺は彼女の沈黙の意味を読むようになった。
折ったのではない。
通った。
その違いを、PAIRはどう読んだのだろう。
◇
「森本さん」
鶴田が端末を伏せた。
「対照群を組んでいて、一つ、見つけたものがあります」
「何ですか」
「過去のログに、痕跡があります。100%相当の波形が出て——結ばれなかった組の、痕跡です」
「……100%が出たのに、ですか」
「一件では、ありません。数字は答えを出します。ですが答えは、結末を保証しません」
「その人たちは、どうなったんですか」
「わかりません。記録は、途中で切れています。自然に切れたのではなく——誰かが切ったように」
「それは、俺のERRORの記録と同じ場所にあるんですか」
「いいえ。眠っていた場所が違います。あちらは核心の奥。こちらは、観測ログの浅い層です。浅い層に残った切り口だけが、見えました」
鶴田はそこで言葉を切った。
「誰が、ですか」
「明日、わかるかもしれません。わからないかもしれません」
まただ。この男は、いつも一番大事なところで、計算中になる。
「鶴田さんは、明日が怖くないんですか」
聞くと、鶴田は端末から目を離さずに答えた。
「怖いという感情は、今のところ数値化できていません。ただ、心拍は通常より高いです」
「それを怖いと言うのでは」
「仮説としては成立します」
鶴田は胸ポケットの機器を見た。表示を確認して、少しだけ眉をひそめた。自分の数値の意味がわからないと言っていた男が、明日の前には自分の心拍を何度も見る。それだけで、明日は鶴田にとってもただの検査ではないのだとわかった。
「もし100%が出たら、鶴田さんはどうしますか」
「報告書を書きます」
「それだけですか」
「……たぶん、少し、安心します」
鶴田が安心という言葉を使ったのは、初めてだった。
「自分のデータを取ると、何がわかるんですか」
「自分ではわからない、ということがわかります」
鶴田はまじめに答えた。冗談ではなかった。
「心拍が上がっている。手の温度が下がっている。呼吸が浅い。数字は取れます。でも、それが恐怖なのか期待なのか、私には分類できません」
鶴田は胸ポケットの機器を押さえた。
「だから、森本さんのERRORを見ていると、少し安心します。自分だけではないので」
次話「課長が待っていた」




