第九十話「課長が、答えを出す日」
年度末の、三日前。課長に、呼ばれた。
◇
課長室に入ると、課長はモニターではなく、窓の外を見ていた。折衝課には窓がない。だが課長室には小さな窓が、一つだけあった。
「森本。照合の、承認の件だ」
俺は息をのんだ。
「……はい」
「条件が、ある。照合して何が出ても——お前は20年前の俺と同じにはならないと、約束しろ」
◇
「20年前の課長と同じ、というのは」
課長は窓の外を見たまま、話した。
「20年前。俺のPAIRデータにも、ERRORが出た。100%だった。相手も、わかっていた。照合すれば、確定する状態だった」
課長も、100%だった。20年前——2048年。恋管設立の年。PAIRの、初期試験の段階で。
「俺は照合の一歩手前で、止まった」
「なぜですか」
「怖かった。100%だと確定するのが。確定したら、その人と生きていく責任が生まれる。データが保証してくれない責任が。俺はそれが怖くて——照合せずに、相手を諦めた」
◇
「諦めて、どうなったんですか」
「その人は今も幸せそうだ。別の人と。PAIRが推薦した相手と。だから俺は自分に言い聞かせてきた。『照合しなくて、正解だった。100%なんて確かめなくて、よかった』と」
課長は、振り返った。
「だが、お前たちを見て——わからなくなった。お前たちは答えが怖いのに、知りたがる。20年前の俺ができなかったことを、しようとしている」
「課長」
「俺は100%をエラーにする設計を作った。『100%の縁は、存在しない』と。だが本当は——存在しないことに、したかっただけだ。自分が、確かめられなかったから」
100%をエラーにする設計は、課長が自分の確かめられなかった縁を「存在しない」ことにするための設計だった。
◇
「承認する」と課長が言った。
俺は課長を見た。
「いいんですか」
「お前が20年前の俺と同じにならないなら。照合して答えを知って——その答えとちゃんと生きていくなら。承認する」
「約束します」
課長は、少し笑った。初めて見る、笑い方だった。
「お前のスタンプ、まだ空白だな。俺はな、20年前に諦めたとき——スタンプを押せるようになった。『この縁は終わった』と押せるように。諦めたから、押せた」
課長は、窓の外を見た。
「お前は諦めていないから、押せないんだ。それで、いい。押せないまま、答えを知ってこい」
◇
課長はシステムに、承認を入力した。
「鶴田に伝えろ。照合の承認が出たと」
「……ありがとうございます」
「礼は、いらん。これは20年前の俺への、詫びだ」
俺は課長室を出た。
◇
廊下で、鶴田が待っていた。
「承認が、出ましたね」
「なぜ、わかるんですか」
「森本さんの歩く速度が、来たときより一割遅いです。重いものを受け取った、速度です」
「……承認が、出ました。照合を、お願いします」
鶴田は、頷いた。
「準備します。年度末まで、あと三日です。最後の日に、照合しましょう」
◇
今日はスタンプを取り出した。書類は、なかった。ただ手に持って、見た。
課長の言葉が、残っていた。「お前は諦めていないから、押せない」。諦めたら、押せる。諦めていないから、押せない。俺はまだ、諦めていない。だから明日、照合する。
しまった。100%をエラーにした設計者が、20年かけて、その設計に詫びた。三日後、俺はその設計が隠してきた数字を、確かめに行く。
次話「承認の出た、夜」




