第九話「俺は、終了処理を出せなかった」
「川瀬案件の接触回数が、基準を超えました」
翌日、鶴田が公式書類を持って来た。
標準は五回。前任二名を含めて、もう十回を超えている。
「標準は、五回以内での終了処理です」
「わかっています」
「今日中に終了処理を提出しない場合、課長への報告義務が発生します」
「わかりました」
「森本さん」
鶴田が、めずらしく俺の名前を呼んだ。
胸ポケットの機器に、一度手をやる。
「報告義務は、私の職務です。私が報告したくてするわけでは——いえ。計算中です」
それだけ言って、出て行った。
最後の一言は、要らなかったはずだ。
鶴田が要らない言葉を言ったのは、初めてだった。
◇
午後、終了処理書類を開いた。
川瀬奈緒。
介入完了。
調整終了。
テキストを入力しようとした。
できなかった。
「調整終了」と打った。
消した。
「継続確認中」と打った。
これは終了処理の言葉ではない。
消した。
カーソルだけが、白い欄で点滅していた。
312件は、書類のテキストだけで終わらせてきた。スタンプは押さなくても、文字は打てた。
今日は、その文字が打てなかった。
川瀬奈緒、という四文字の隣に、終了、と並べることが、どうしてもできなかった。
スタンプの次は、文字も押せなくなった。
順番に、終わらせる手段が、自分の中から消えていく。
窓の外が暗くなった。
◇
鶴田からメッセージが来た。
「18:00が報告の期限です。」
五時五十八分だった。
端末を持ったまま、二分間、何もしなかった。
点滅するカーソルと、自分の心拍だけが、やけにはっきりしていた。
六時になった。
俺は川瀬奈緒の番号を呼び出した。
一コールで、出た。
「はい、川瀬です」
「森本です」
「あ、来るんですね」
「……来ます。明日、伺えますか。書類を持って——もしよければ」
「何時でも」
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
電話が切れた。
一秒後、また着信が鳴った。
「何時にしますか」
「十時で」
「わかりました」
今度こそ切れた。
終了処理書類は、まだ白いままだった。
俺は、終わらせる代わりに、また会う約束をした。
それが終了処理の逆だということは、自分でわかっていた。
◇
翌朝、鶴田がデスクに来た。
「昨日の件、課長に報告しました。川瀬さんに連絡したんですか」
「なぜわかるんですか」
「川瀬さんの接触ログが今朝更新されていました。通話記録として」
「業務上の接触として、処理されます」
「はい。業務上の接触です」
鶴田は、そこで少し黙った。
「業務上の接触として処理されることと、それが業務だけであることは、別です」
「鶴田さん」
「今の発言は、計算中です」
「言ったあとに計算中にするんですか」
「はい。発言後に計算が必要になることもあります」
鶴田は端末を閉じた。
「森本さん。業務記録は、嘘をつきません。ですが、業務記録に残らないものを、嘘だと決めることもできません」
「それは、慰めですか」
「報告です」
それだけ言って、鶴田は付け加えた。
「課長が呼んでいます」




