第八十話「鶴田に、照合を頼む」
翌朝、鶴田を呼んだ。
「鶴田さん。照合を、お願いします」
鶴田は端末から、目を離した。
「決めたんですか」
「決めました。川瀬さんも、決めました。二人で、決めました」
二人で、を強調した。俺一人の決断ではなかった。彼女が「撤回しない」と言った。その上での、決断だった。
鶴田は少しの間、俺を見ていた。確かめるような目だった。
「わかりました。準備します。ただ——照合には、課長の承認が要ります」
俺は、鶴田を見た。
「課長の、承認」
承認、という言葉が、重く響いた。これまでの照合は、俺と川瀬奈緒の二人の問題だった。確かめるか、確かめないか。二人で決めればいいことだった。そこに、もう一人、課長が入ってくる。二人の問題のはずが、制度の問題になった。確かめるために、隠してきた人間の許可が、要る。
◇
「はい。照合はシステムの深い層にアクセスします。その権限は私にあります。でも実行には課長の承認が必要です。監査領域へのアクセスは、責任者の承認が要るので。折衝課に関わる部分は、課長の承認範囲です」
外れ値を隠してきた課長。「余計なことを考えるな」と言い続けてきた課長。その課長に、照合の承認を求める。一番、承認しなさそうな人間に、一番、認めてほしいものを、頼みに行く。
「課長は、承認しますか」と俺は聞いた。
鶴田は少し黙った。
「……わかりません。ただ計算上、承認しない確率の方が高いです。課長はこれまで、外れ値もシステムの異常も、すべて隠してきました。照合はその異常を、表に出す行為です。隠してきたものを、自分の承認で、表に出す。課長がそれを承認するとは——思えません」
◇
「鶴田さん。課長はなぜ、隠してきたんですか」
鶴田は端末を持ち直した。
「……それは私にはわかりません。課長の、感情の問題なので。私が読めるのは、データだけです。課長がなぜ隠すのか——その理由は、課長の中にしかありません。課長に聞くしかない。そして、課長に聞くことは、照合の承認を求めることと同じです。隠す理由を聞くことと、隠したものを開ける許可を求めることは、同じ扉の、表と裏です」
俺は、頷いた。
「課長に、会ってきます」
頷きながら、少し怖かった。これまで課長は、督促を出す人だった。叱る人だった。最近は、督促をやめて、確かめるようになった人だった。その課長に、これまででいちばん大きなものを、頼みに行く。俺と川瀬奈緒の照合。隠してきた人に、隠してきたものの中でいちばん大きなものを、開けてくれと頼む。断られる可能性の方が高い、と鶴田は言った。それでも、行くしかなかった。承認がなければ、照合はできない。照合できなければ、俺と川瀬奈緒は、ずっと空欄のままだった。
「森本さん。気をつけてください。課長は——たぶんあなたが思っているより深いところに、何かを隠しています」
鶴田が初めて、忠告らしいことを言った。いつもデータしか言わない男が、データにないことを言った。それだけ、確信があるということだった。データにないことを言う鶴田を見たのは、初めてだった。
俺は、課長室の方を見た。あの部屋にも、窓はなかった。折衝課にも、課長室にも、窓がない。隠す人間の部屋には、外がなかった。
次話「課長に、報告する」




