第七十三話「鶴田が、食堂で寝た」
ログの洗い出しは、続いた。鶴田は何日も徹夜で、データを見ていた。保守課の前を通るたびに、鶴田の席の明かりだけが、夜でも点いていた。窓のある部署で、窓の外が真っ暗になっても、鶴田は画面を見ていた。
◇
ある昼、食堂に行くと、鶴田がトレーを前に立ったまま目を閉じていた。
「鶴田さん」
返事が、なかった。
「鶴田さん?」
近づくと——鶴田は立ったまま寝ていた。トレーを持ったまま、メニュー表の前で、眠っていた。姿勢は、まっすぐだった。眠っていても、姿勢だけは規則的だった。
◇
「鶴田さん、起きてください」
「……はっ。失礼しました。計算中でした」
「寝ていましたよ」
「いえ。目を閉じて、計算していました」
「立ったまま、トレーを持って?」
「効率的です」
鶴田は明らかに、寝起きの顔だった。目の焦点が、まだ合っていなかった。
「何日、寝てないんですか」
「3日です。データの洗い出しに、集中していました」
「休んでください」
「休めません。年度末まで、あと約75日です。それまでに、PAIRの異常の全体像を把握する必要があります。期限を過ぎると、監査領域が閉じます。閉じる前に、見ておきたいものがあります」
◇
「鶴田さん。なぜ、そこまでするんですか」
鶴田はトレーを持ったまま、少し考えた。
「……私はPAIRの保守担当です。PAIRが設計通りに動いているか確認するのが、仕事です」
「でも3日徹夜は、仕事の範囲を超えていませんか」
「超えています」
「では、なぜ」
鶴田は、メニュー表を見た。A定食とB定食を、いつものように見た。寝起きの目で、それでも見た。
「……PAIRが縁を探しているなら。それは、私がずっと見たかったものだからです。私は繋げも折りもしません。ただ、見ています。鶴のように、高いところから。でも——もしPAIRが本物の縁を探しているなら。それは私が見ているだけではわからなかった人間の何かを、PAIRが見つけているということです」
鶴田は、トレーを置いた。置く手が、少し乱暴だった。普段の鶴田なら、しない置き方だった。
「私はそれを、知りたいんです。人間の何が縁になるのか。私には計算できなかったものを、PAIRが計算しているなら。私が一生かけてもわからなかった答えを、PAIRが持っているなら。それを、確かめずにはいられません」
見るだけの鳥が、初めて、空腹のようなものを見せた。知りたい、という空腹を。
◇
鶴田は結局、A定食を選んだ。今日は3秒で決めた。
「早かったですね、今日」
「寝ていないので、悩む気力がありません」
「それで決められるなら、いつも寝ないでください」
「それは、計算に合いません。睡眠不足の判断は、平常時より精度が18%落ちます」
「今のA定食の判断は、大丈夫なんですか」
「……今のは、精度の落ちた判断です。明日、後悔するかもしれません」
鶴田はA定食を食べ始めた。いつも自分の昼食さえ決められない男が、人間の何が縁になるのかを知るためだけに、3日眠らずにいた。鶴田にも、業があった。他人の感情ばかり数えてきた男の、たった一つの計算できない欲望。
次話「外れ値は、誤判定ではない」




