第六十二話「川瀬さんは、どう思っているのか」
今週も、川瀬奈緒の部屋に上がった。
照合の話を、お互い避けていた。コーヒーを飲んで、いつものインタビューをして、当たり障りのない話をした。ただ二人とも、それを意識していた。意識しているのが、わかった。部屋の真ん中に、触れない話題が一つ置いてあって、二人でその周りを回っていた。あの白い封筒が、テーブルにあった頃と、少し似ていた。
◇
「照合の話、しなくていいんですか」と川瀬奈緒が先に言った。
「川瀬さんが、したくなったら」
「私が、ですか」
「はい。俺が決めることでは、ないので」
川瀬奈緒は、カップを置いた。
「ずるいです、それ」
いつか聞いた、同じ言葉だった。
「すみません」
「謝らないでください」
これも、同じだった。同じやり取りを、二人で、もう一度なぞった。なぞることで、少し笑えた。重い話題の前で、軽い反復が、緩衝材になっていた。決まった手順を踏むと、人は落ち着く。コーヒーを淹れる手順や、この「ずるいです」「すみません」のやり取りや。意味のある会話ではない。ただ、決まった形をなぞるだけで、二人とも、少し息がしやすくなった。
◇
「90日、らしいですね」と川瀬奈緒が言った。
「知っているんですか」
「鶴田さんから、聞きました。私のところにも、来たんです。『照合の期限は90日です』とだけ言って、帰っていきました。何の説明もなく。インターホン越しに、それだけ言って」
鶴田が、奈緒のところにも行った。俺に言ったのと、同じことを。記録の残らない場所で、必要なことだけを。
「鶴田さんって、変わった人ですね」と川瀬奈緒が言った。「でも、悪い人じゃない気がします。いつも必要なことだけ言いに来る。私たちが知っておくべきことを。説明はしないけど、知らせには来る。知らせて、判断は私たちに任せる」
必要なことだけ、言いに来る。鶴田は、ずっとそうだった。胸ポケットを一瞬見たあの日から、ずっと。判断は変えない。ただ、判断の材料だけは、こちらに渡す。それが、鶴田の流儀だった。繋げも折りもせず、上から見ている鳥。見たものを、当事者に知らせる。あとは任せる。鶴田にとって、それが「見ている」ことの責任の取り方なのかもしれなかった。
◇
帰り際、川瀬奈緒が言った。
「90日、考えます。私も。折衝さんも、考えてください」
「考えます」
「同じ答えに、なるといいですね」
俺はその言葉の意味を、少し考えた。考えても、聞き返さなかった。聞き返せば、答えを急がせることになる。
帰り道、駅のホームで、その言葉をもう一度思い出した。同じ答え。確かめる、確かめない。どちらに揃えばいいのか。
いや。彼女が言ったのは、たぶん、そういう意味じゃない。確かめるかどうかではなく、確かめた先で、同じ気持ちでいられるかどうか。そういう意味だ。100%でも0%でも、同じ気持ちでいられるか。それを、彼女は「同じ答え」と呼んだ。電車が来た。今日も、一本、見送った。同じ答えに、なるといい。俺も、そう思った。
次話「鶴田の、照合シミュレーション」




