第六十話「あなたのERRORは、私と関係がありますか」
その日が来た。
午前中、鶴田がデスクに来た。いつもより、早かった。
「照合が、終わりました」
俺は、顔を上げた。
「鶴田さん。教えてください」
鶴田は端末を持っていた。ただ今日は、画面を見なかった。俺を、見ていた。
◇
「森本さんのPAIRデータは、配属当初からERRORでした」
「はい」
「ERRORは、データが算出できないときに出る表示——ではありません」
「違うんですか」
「違います。PAIRは0%から99%で、確率を算出します。100%は理論上存在しない数値として、設計段階でエラー扱いになっています」
100%は、エラー扱い。いつか川瀬奈緒に言ったことと、同じだった。
「森本さんのデータが、ある人物と照合されたとき——100%が、出ました」
◇
俺は、鶴田を見た。
「100%」
「はい。100%は、存在しない数値です。だからシステムはそれをバグと判断し、ERRORとして処理しました。その記録は、システムの深い層に眠っていました。私だけがアクセスできる領域に」
「100%の、相手は——」
鶴田は、答えなかった。
「鶴田さん。誰ですか」
「……川瀬奈緒さんと森本さんは、照合されたことが一度もありません。職員と対象者は、システム上、照合対象外です」
「では——」
「照合されていません。だから、答えは出ていません」
「さっき、照合されたとき100%が出た、と言いました。誰も照合していないのに、ですか」
「——照合、という言い方は、正確ではありませんでした。私たちの側の誰も、かけていません。かけた記録も、ありません。ただ、結果だけが深い層に残っていました。誰が照合したのかは、わからないままです」
誰が。その一語だけが、部屋に残った。
「でも画面に、川瀬さんの名前が」
「あの画面は、照合の候補リストです。100%が出た記録に近い人物として、システムが川瀬さんの名前を候補に挙げていました。ただ、照合はされていません」
「照合すれば——」
「照合すれば、答えが出ます。されていないだけです」
◇
俺は、しばらく動けなかった。
俺のERRORは、100%だった。誰かとの100%。その候補に、川瀬奈緒の名前があった。照合すれば、答えが出る。されていないだけ。
「鶴田さん」と俺は言った。「照合は、できるんですか」
「できます。私の権限で。ただ——照合すれば、答えが出ます。出た答えは、消せません」
鶴田は端末を、俺の方に少し向けた。
「照合しますか」
◇
三秒。五秒。十秒。
「……それで俺は、どうすればいいんだ」
鶴田は、少し黙った。
「それは、計算できません」
いつもの言葉だった。ただ今日は、続きがあった。
「感情の、問題なので」
◇
午後、川瀬奈緒が恋管に来た。
今日は面談室だった。介入継続理由の、正式な説明の場だった。川瀬奈緒は、椅子に座っていた。今日の顔は硬かった。いつか玄関で見た顔と、同じだった。聞く覚悟をしてきた顔だった。
「折衝さん」
「はい」
「今日、聞きます」
「……はい」
◇
川瀬奈緒は少しの間、俺を見ていた。それからゆっくりと言った。
「あなたのERRORは——私と、関係がありますか」
◇
部屋が、静かだった。
聞けない質問の輪郭は、見えていた。前に、辿り着いていた。川瀬奈緒は本当に、それを聞いた。俺は午前中に、答えの半分を知った。100%。候補に、川瀬奈緒の名前。ただ照合はされていない。答えは、出ていない。
「わかりません」と俺は言った。
川瀬奈緒の顔が、少し動いた。
「わからない、というのは」
「俺のERRORが100%だということは、今日知りました」
川瀬奈緒が、息をのんだ。
「100%」
「はい。0%から99%で動くスコアの、外側の数字です。存在しないはずの数字が出て、エラーになりました」
「誰との、100%ですか」
「照合されていないので、わかりません。ただ——候補に、川瀬さんの名前がありました」
◇
川瀬奈緒は、長い間、何も言わなかった。
「照合すれば、わかるんですか」
「わかります。鶴田さんの権限で。ただ——出た答えは、消せないそうです」
「川瀬さん」と俺は言った。「俺はまだ、照合していません」
「なぜですか」
三秒。五秒。
「怖いんだと思います」
「答えが、ですか」
「はい」
川瀬奈緒は、少し笑った。涙ぐんでいるような、笑い方だった。
「私と、同じですね。聞くのが怖くて、ずっと聞けませんでした。折衝さんも、照合するのが怖くて、できないんですね」
「はい」
◇
川瀬奈緒は、立ち上がった。面談室の窓の外を、見た。恋管の窓からは、街が見えた。子供の姿の少ない、2068年の街が。
「11%は0%じゃないって、ずっと言ってきました」と川瀬奈緒が言った。
「はい」
「私は、自分が11%の側にいると思っていました。でも——もしあなたのERRORが100%で、その相手が私だとしたら」
川瀬奈緒は、振り返った。
「私は、最初から0%じゃなかったのかもしれません」
◇
俺は、何も言えなかった。
「照合、しないんですか」と川瀬奈緒が聞いた。
「川瀬さんは、してほしいですか」
「……わかりません。答えが出るのが、怖いです。でも——答えを知らないまま終わるのも、怖いです」
二人とも、答えを知りたくて、怖がっていた。同じだった。
◇
「今日は、ここまでにしませんか」と俺は言った。
川瀬奈緒は、頷いた。
「照合はいつでもできます。鶴田さんが、待ってくれています。37回計算中と言って、待ってくれていました。あと少しくらい、待ってくれます」
川瀬奈緒は、少し笑った。今日初めて、硬さの取れた笑い方だった。
「折衝さん。また、来ますか」
初めて会った日と、同じ言葉だった。ただ、意味がまるで違った。
「……来ます」
「来てください」
◇
川瀬奈緒は、帰っていった。俺は面談室に一人で残った。スタンプを、取り出した。
書類は、なかった。ただスタンプを手に持って、見た。配属初日に渡された、一度も押していないスタンプ。
俺のERRORは、100%だった。折れないものが、あった。だから312件、押せなかった。押せなかった理由が、今日わかった。ただ、その相手が川瀬奈緒なのかは、まだ照合していない。候補に、彼女の名前があるだけだ。
胸ポケットに、しまった。
二人とも、答えが怖かった。怖いのに、確かめたかった。照合する日が来るのだろうか。来るとしたら、それはどういう日だろう。
次話「俺は、確かめたい」




