第五十九話「月が変わる、前夜」
月末が、近づいていた。
課長からの督促は、最近来なくなっていた。鶴田の報告義務の話も、聞かなくなった。督促が止まると、かえって静かすぎて落ち着かなかった。叱られている方が、まだ楽だった。ただ、終了処理は相変わらず出していなかった。出さないことが、いつのまにか、咎められなくなっていた。咎められないことの方が、重かった。
◇
その日、鶴田がデスクに来た。
「明日、計算が終わります」
俺は、顔を上げた。
「明日」
「はい。最後の照合を、明日行います。監査の残務処理です。普段は照合されない領域も、年度末に一度だけ照合します。明日が、その日です」
鶴田はいつもより静かだった。声の調子が、一段、低かった。
「森本さんのERRORも、明日照合されます」
「何と、照合されるんですか」
「それは、明日わかります」
◇
「鶴田さん。俺は明日、何を知ることになるんですか」
鶴田は端末を持ったまま、俺を見た。今日も、画面ではなく、俺を見ていた。
「……森本さんが、ずっと知らなかったことです。配属当初から、ずっと」
「それは、楽になることですか。つらくなることですか」
「わかりません。ただ——森本さんが3ヶ月以上、川瀬案件を折れずにいる理由が、わかると思います。スタンプを押せなかった理由も」
俺は、何も言えなかった。三年間の空白の理由が、明日わかる。三年、わからないままやってきたことの答えが、明日、来る。
「明日、川瀬さんが聞きに来ます」と鶴田が言った。
「川瀬さんが」
「介入継続理由の説明の、再設定です。延期されていたものが、明日に設定されました。明日、森本さんは計算の答えを知り、川瀬さんは聞けない質問を聞きに来ます。同じ日です。偶然ではありません。私が、そう設定しました」
「鶴田さんが」
「はい。同じ日に重ねた方がいいと、判断しました。計算ではなく、判断です。年に数回の、判断の一つです」
◇
鶴田は、保守課に戻っていった。
俺はデスクで、明日のことを考えた。明日、俺はERRORの答えを知る。明日、川瀬奈緒は聞けない質問を聞きに来る。同じ日に。鶴田が、わざと重ねた。俺は「答える覚悟をしてこい」と言われた。川瀬奈緒は、聞く覚悟をしてくる。覚悟を、二人とも、明日に持ち寄る。
◇
その日、スタンプを取り出した。書類の上に、持っていった。「介入完了」の欄の、上に。書類は、川瀬奈緒のものだった。
一秒。三秒。五秒。七秒。十秒。今までで一番長く、持っていた。手が、スタンプの重さを覚えるくらい、長く持っていた。
明日もし答えを知ったら、俺はこれを押すのだろうか。それとも——しまった。押すために持ったのではなかった。ただ、明日の前に、一度、構えてみたかった。
俺は、答える側だった。いつも、答える側だったはずだ。312件、ずっと。明日だけは、何を答えればいいのか、わからなかった。答える側の人間が、答えを持たないまま、明日を待っていた。問いの方が、先に来ていた。
次話「あなたのERRORは、私と関係がありますか」




