第五十七話「鶴田が、A4を37枚持ってきた」
翌朝、鶴田が紙の束を持って、デスクに来た。普段は端末しか持たない男が、紙を、何枚も抱えていた。
「これは」
「私がこれまで『計算中』と言った回数の記録です」
A4が、何枚もあった。一枚に一回ずつ、日付と状況が、几帳面に記録されていた。
「数えたんですか」
「数えました。森本さんと最初に話してから今日まで、私が『計算中』と言った回数です」
「何回ですか」
「37回です」
37。鶴田が昼食に悩んだ時間と、同じ数字だった。偶然だろう。偶然のはずだ。ただ、鶴田に偶然という言葉が似合わないことも、知っていた。
「鶴田さん。昼食に37分悩んだのと、同じ数字ですが」
「気づきましたか」
「偶然ですよね」
「偶然です。ただ、私の中では、37という数字は、保留の数字になりました。決められないことの、数です」
◇
「なぜ、これを持ってきたんですか」
「計算が、もうすぐ終わるからです」
「もうすぐ」
「はい。終わったら、もう『計算中』とは言えなくなります。その前に、記録を残しておきたくて。計算中と言えた時間は、ある意味で楽でした。保留できたので。それが、もうすぐ終わります」
鶴田は紙の束を、俺のデスクに置いた。揃った束だった。角が、きっちり合わせてあった。
「37回、計算中と言いました。その間、私はずっと同じことを計算していました」
「同じこと」
「はい。一つのことを37回、計算中と言って保留してきました。本当は最初の数回で、答えは出ていました。出ていたのに保留しました」
「なぜですか」
「言えば、森本さんの行動が変わるからです。観測が、結果を変える。だから、37回、待ちました」
「それは——」
「もうすぐ、言います」
鶴田はいつもの仕草で、端末を持ち直した。ただ今日は、その手が、少しだけ震えているように見えた。感情の読めない男の手が、震えていた。それを見たのは、初めてだった。
◇
「鶴田さん」
「はい」
「計算が終わったら——俺は、楽になりますか。それとも、つらくなりますか」
鶴田は、少し黙った。
「それは、計算できません」
「また、それですか」
「はい。ただ今日は——本当に、計算できないんです。森本さんが答えを聞いて、楽になるかつらくなるか。それは森本さん次第なので。同じ答えでも、受け取り方で楽にもつらくもなります。それは、私の計算の外です」
鶴田は、保守課に戻っていった。震える手で、空の端末を持って。
◇
俺は、A4の束を見た。37枚。鶴田が「計算中」で保留し続けた、たった一つのこと。最初の数回で、もう答えは出ていた、と鶴田は言った。37回、答えを抱えたまま、待っていた。それはたぶん、俺のERRORの、本当の意味だ。
鶴田は感情を計算する男だ。他人の心拍も好意の係数も、すべて数値にする。その男が一つの答えを37回抱えて、最後に手を震わせた。数値にできるものを全部数値にしてきた人間が、最後に残った一つだけは数値にできずに震えている。震えるということは、その答えが鶴田にとってもただのデータではないということだった。
川瀬奈緒は次に聞くと言った。鶴田の計算は、もうすぐ終わる。二つの「もうすぐ」が、同じ一点に向かって近づいていた。所見欄に一行だけ書いた。
「鶴田の手が、震えていた。」
次話「聞けない質問の、輪郭」




