第五十二話「なぜ折ろうとしたんですか」
外れ値カップルの問いが、頭から離れなかった。
「あなたは、なぜ折ろうとするんですか」
配属されたとき、この問いには答えがあった。PAIRの精度は92%。成立しない縁を早期に終わらせれば、当事者は次の縁に向かいやすくなる。それが、当事者のためになる。配属研修で習った、模範解答だ。三年間、この答えで312件を折ってきた。
今、その答えを口に出そうとすると——止まる。模範解答は、まだ頭の中にある。ただ、口がそれを言うのを拒む。頭は覚えていて、口が忘れたがっていた。
◇
その日、川瀬奈緒の部屋に上がった。
「最近、何かありましたか」と川瀬奈緒が聞いた。「少し、顔が違います」
「……外れ値の方々が、恋管に来ました。18%で介入を受けて、別れなかった人たちです。今、結婚して子供もいます」
川瀬奈緒は、少し黙った。カップを持つ手が、止まった。それから、静かに聞いた。
「その人たち、幸せそうでしたか」
「……幸せそうでした。幸せすぎて訴訟を起こす気力がない、と言っていました」
川瀬奈緒は、少し笑った。声を出さない、息だけの笑いだった。
「いい話ですね。私も、そうなれますか」
また、この質問だった。前にも、聞かれた。あのときと、同じ言葉。ただ、聞く声が前より静かだった。期待でもすがりでもない。ただ確かめる声だった。
◇
あのときは、「データ上は、11%の可能性があります」と答えた。今日は、違う言葉が出た。
「なれると思います」
川瀬奈緒が、俺を見た。手のカップを、置いた。
「データ上は、ですか」
「いえ」
「いえ、というのは」
三秒、五秒。
「データ、ではなく」
言いかけて、止まった。データではなく、何だ。俺は、何を言おうとしている。データではないなら、それは俺の——俺の、何だ。その先の言葉が喉の手前でつかえた。
「今日は、ここまでです」
川瀬奈緒は少しの間、俺を見ていた。それから、笑った。困ったような、けれど嬉しそうな笑いだった。
「折衝さん、最近『データではなく』って言いかけて止まること増えましたね。前は、全部『データ上は』で終わっていたのに」
「そうですか」
「はい。私、それ数えてるんです。今日で、四回目です」
彼女も、数えていた。鶴田が49回を数え、彼女が俺の言い淀みを四回数えていた。数えられていることに、嫌な感じはしなかった。むしろ四回分、俺は彼女の中に残っていた。PAIRには0回しか記録されない接触が、彼女の中では別の数え方で積もっている。記録に残らないものを、誰かが数えていてくれる。それは、思っていたより悪くないことだった。
◇
帰りの電車で、その指摘を思い返した。「データ上は」で閉じていた言葉が、閉じなくなった。閉じない分の言葉が、どこにも行き場がないまま口の手前で止まる。データではなく、何なのか。その答えを言えたとき、たぶん俺は何かを認めることになる。所見欄は、開いてすぐ閉じた。書く言葉も、止まったままだった。口で止まる言葉は、紙の上でも、止まった。
次話「初めて、課長に問う」




