第五話「保守課の鶴田は、今日も計算中」
「昨日の確認も、問題ありませんでした」
翌朝、鶴田からそんなメッセージが来ていた。
昨日、俺は何の確認も依頼していない。
そう返信した。
五分後に、返ってきた。
「そうですね。問題ありませんでした」
何も確認していないのに、問題がない。
問題がないことだけは、確かに正しい。
◇
昼前、廊下で鶴田を捕まえた。
「鶴田さん、何を確認しているんですか」
「川瀬案件の接触記録です」
「俺は何も問い合わせていません」
「そうです。こちらから確認しています」
「なぜですか」
「川瀬さんとのザイアンス係数が——」
「ザイアンス係数?」
「単純接触効果の数値指標です。接触頻度と好意の相関を算出したもので、現在の頻度から推定すると——」
「俺と川瀬さんの話をしているんですか」
「業務上の接触は算出対象外になります」
「だったら、なぜ計算するんですか」
「計算中のことがあります。終わったら報告します」
「何の計算ですか」
「それも計算中です」
鶴田は胸ポケットに手をやった。
何かの機器が入っているらしく、表示を一度だけ確かめると、また手を下ろした。
心拍計か何かのようだった。
自分の数値を測っているのか。それとも、こちらの数値を見ているのか。
聞かなかった。
聞いても「計算中」と返ってくる気がした。
◇
昼休み、食堂で鶴田を見かけた。
トレーを持ったまま、入口に立っている。
一分が経った。
二分が経った。
「鶴田さん、どのテーブルにするんですか」
「計算中です」
「テーブルを選ぶのに計算が必要ですか」
「変数が多いんです。どちらに座るかによって——」
鶴田が止まった。
「どちらに座るかによって、何ですか」
「計算違いでした」
結局、鶴田は俺の隣に座った。
弁当を三分で食べた。咀嚼の回数まで一定なのではないかと思うほど、規則的だった。食べ終えると胸ポケットの機器をもう一度見て、「正常です」と小さく言った。
誰に言ったのかはわからない。
◇
午後、鶴田が書類を一枚持って来た。
「外れ値データの概要です」
「なぜこれを俺に」
「川瀬さんが外れ値データを参照しようとした履歴があります。情報公開請求の前段階の閲覧です。担当者として、把握しておくべきかと」
「そういうことは、確認してから渡すものでは」
「確認しました」
「誰に」
「システムに」
会話が一周した。
書類を見た。
介入後も関係が継続したケース。全体の8%。
その五年後の幸福度スコア。全国平均の2.3倍。
非公開。
「これは、なぜ非公開なんですか」
「私の権限では答えられません」
「鶴田さんは、なぜだと思いますか」
鶴田は少し間を置いた。
今日はいつもより、間が長かった。
「8%が公開されると、折衝課の存在意義が問われます。それ以上は、計算中です」
「また計算中ですか」
「はい」
「鶴田さんの中では、もう答えは出ているように見えますが」
鶴田は俺を見た。
それから、視線を俺の胸ポケットに落とした。
「出ている計算と、出していい計算は、別です」
それだけ言って、書類を置いて去った。
出ている計算と、出していい計算は、別。
その言葉を、しばらく考えた。




