第四十四話「コーヒーの手が、止まった」
今週も、川瀬奈緒の部屋に上がった。
コーヒーを淹れる川瀬奈緒の背中を、見ていた。最近、俺が淹れる日と川瀬奈緒が淹れる日が、半分ずつになっていた。どちらが淹れるかは、その日の流れで決まる。決めていないのに、自然に半分ずつになっている。それが、少し不思議だった。今日は、川瀬奈緒の番だった。
◇
インタビューの途中、俺は何気なく聞いた。
「川瀬さんは、ERRORについて、どう思っていますか」
川瀬奈緒の、コーヒーを注ぐ手が、止まった。ほんの一瞬だった。ポットの口から、コーヒーが一筋、細く落ちて、止まった。すぐに、また注ぎ始めた。何でもないように。何でもないようにしすぎていた。
「どう、というのは」
「あの画面を見てから、何か考えましたか」
「考えました」
「どんなことを」
川瀬奈緒は、カップを置いた。
「折衝さんのERRORって、何だと思いますか」
質問を、質問で返してきた。返し方が、用意されていた。前から、この問いを温めていた人の返し方だった。
「わかりません。データが算出できないときに出る表示、としか」
「算出できない、というのは」
「値が、出ないんです。普通は0%から99%の間で出るスコアが、俺のは出ない。ERRORになる」
川瀬奈緒は、少し黙った。
「0%から99%」
「はい」
「100%は、ないんですか」
川瀬奈緒の声が、少しだけ慎重だった。何でもない質問のふりをして、いちばん聞きたいことを聞く。そういう声だった。俺は、少し考えた。当たり前のことを、なぜ聞くのだろうと思った。
「ないと思います。100%は、理論上、存在しない数値です。確率なので。どんな縁にも、成立しない可能性が、わずかには残ります」
「100%が出たら、どうなるんですか」
「出ません。100%の縁なんて、ありませんから。もし出たら——システムは、それをエラーとして処理するかもしれません。ありえない値なので」
言ってから、自分の言葉が、少し引っかかった。ありえない値は、エラーになる。俺のデータは、エラーだ。その二つを、今、自分の口で並べてしまった。並べてはいけないものを並べた気がして、口をつぐんだ。川瀬奈緒は何も言わなかった。ただ、俺がつぐんだことには、気づいていた。気づいた顔で、こちらを見ていた。
川瀬奈緒は、俺を見た。長く、見た。それから、窓の外を見た。
「そうですね。100%なんて、ないですよね」
◇
俺は、自分のカップを見た。今日は、川瀬奈緒が淹れた番だった。コーヒーは、また、濃くなっていた。手が止まったあと、彼女は少しだけ、濃く淹れた。
窓の外で、ブランコが風に揺れていた。誰も、乗っていなかった。川瀬奈緒は、それきり何も言わなかった。ただ「100%なんてない」と言ったときの川瀬奈緒の声は、否定しているのに、どこか確かめているようだった。否定と確認が、同じ一言の中に入っていた。出ないはずの数値の話をしたとき、コーヒーを注ぐ手が、一瞬だけ止まった。その一瞬を、俺はうまく説明できなかった。説明できないまま、濃いコーヒーを飲み干した。
次話「田村からの、着信」




