第四十二話「いつも通りの訪問が、いつも通りではなかった」
今週も、川瀬奈緒の部屋に向かった。恋管での一件の後、初めての訪問だった。
インターホンを押した。扉が開くまで、いつもより時間がかかった。三秒では、開かなかった。五秒でも、開かなかった。
「……また来たんですか」
声が、変わっていた。何が変わったのか、すぐにはわからなかった。少し経って、わかった。「また来たんですね」に戻っていた言葉が、今日はまた「また来たんですか」になっていた。最初の頃の、距離のある言い方に。
◇
部屋に上がった。コーヒーが2人分、用意されていた。いつも通りだった。ただ、川瀬奈緒は、いつもより俺を見なかった。窓の外を見ていることが、多かった。コーヒーの濃さは、また少し、濃くなっていた。薄くする必要がなくなった、と言っていた濃さが、また元へ戻りかけていた。
「先日は、すみませんでした」と俺は言った。「説明が、できなくて」
「いえ。私が、急に立ち上がったので」
「いえ」
会話が、少しだけ、ぎこちなかった。お互い、「いえ」を繰り返していた。本当に言いたいことの周りを、二人で回っていた。
◇
インタビューをした。川瀬奈緒は質問に答えた。ただ、いつものように聞き返してこなかった。「あなたはなぜこの仕事を」も、「11%は0%じゃない」も、今日は言わなかった。彼女の口癖が、今日は一つも出てこなかった。口癖が消えると、彼女が遠かった。
川瀬奈緒が、何かを考えている。あの画面のことを。自分の名前が、俺のERRORの下にあったことを。
「川瀬さん」と俺は言った。
「はい」
「先日の画面のこと、まだ気にしていますか」
川瀬奈緒は、少し間を置いた。
「気にしていない、と言ったら、嘘になります」
「俺も、わからないんです。本当に。なぜ川瀬さんの名前が、俺のデータの下にあったのか」
「折衝さんは、自分のデータがERRORだって、知っていたんですよね」
「はい。配属当初から」
「でも、理由は知らない」
「知りません」
川瀬奈緒は、カップを持った。両手で包むように持つ、いつもの持ち方だった。その仕草だけは、今日も変わらなかった。
「変ですね。あなたも、自分のことを知らないんですね」
「そうです」
「私も、自分のことが、最近わからなくて。似てますね」
◇
川瀬奈緒は、少し笑った。その笑い方は、今までと違った。何かを確かめているような笑い方だった。遠ざかった分、何かを見極めようとしている。そういう笑い方だった。
「折衝さんが私のところに来る理由も、たぶん、ERRORなんでしょうね。理由が、表示されない」
俺は、何も言えなかった。彼女は、俺のデータの比喩で、俺の気持ちを言い当てていた。理由が表示されないまま、来続けている。その通りだった。
それから、窓の外を見た。俺も、同じ方を見た。ブランコが、風に揺れていた。誰も、乗っていなかった。揺れ幅が、今日は少し大きかった。風が、強い日だった。
スコアの出ない男と、11%が消えない女。二人とも、自分のいちばん近くにあるものを、自分では見られなかった。それだけは、今日、はっきりと同じだった。遠ざかった日に、いちばん深いところが同じだと、わかった。
次話「別案件で、笑えなかった日」




