第四十一話「鶴田は、答えなかった」
翌朝、出勤すると、鶴田が来なかった。
保守課に行くと、鶴田は休暇を取っていた。監査の週に休暇を取るのは異例だと、総務の田中が言った。保守課が一番忙しい週に、その中心にいる人間が、いない。
「鶴田さん、こんな週に休むなんて、初めてですよ」と田中が言った。「あの人、何年も無欠勤だったのに」
何年も無欠勤だった人間が、川瀬奈緒に画面を見られた翌日に、休んだ。偶然ではない気がした。見られてはいけないものを見られて、その後始末のために、いったん身を引いた。そういう休み方に見えた。データを閉じるあの素早さも、休暇のタイミングも、計算ずくの動きだった。鶴田は、いつも計算している。今回も、計算の上で、消えた。
◇
昼過ぎ、鶴田からメッセージが来た。
「昨日の件、お騒がせしました。監査中のデータは、お見せできません。問題ありません。」
いつもの定型文だった。ただ、最後の「問題ありません」が、今日は引っかかった。問題ない、わけがない。川瀬奈緒が自分の名前を俺のERRORの下に見た。それのどこが、問題ないのか。
俺は返信した。「川瀬奈緒の名前が、なぜ俺のERRORの下にあったのか。それだけ教えてくれ」
返信は、夕方に来た。
「それを言うには、計算が終わっている必要があります。終わっていません。」
それきり、返信は来なかった。何度か送ったが、既読の表示だけがついて、言葉は返ってこなかった。
◇
その日、自分のPAIRデータを、もう一度開いた。
ERROR
いつもの表示だった。三年間、毎日のように見てきた、五文字。川瀬奈緒の名前は、ここには出ない。俺の権限では、ERRORの下の領域は開けない。表示は「ERROR」で止まっていて、その奥に何があるのかは、俺には見えなかった。
鶴田の権限でしか開けない領域を、鶴田はずっと見ていた。配属当初から、俺を見る目が、他の職員と少し違った。廊下ですれ違うとき、胸ポケットを一瞬見る、あの目。スタンプを見ているのだと思っていた。違ったのかもしれない。スタンプの、もっと奥にあるものを、鶴田は見ていたのかもしれなかった。
◇
端末を閉じた。
俺のいちばん近くにあるものが、俺には見えない。鶴田にだけ、見える。配属初日から、ずっとそうだったのかもしれなかった。自分のERRORの下に何があるのかを、自分以外の誰かが先に知っている。
それは、川瀬奈緒が「機械が先に気持ちを知っていた」と言ったのと、同じ構造だった。彼女は、自分の気持ちをPAIRに先に知られた。俺は、自分のERRORの中身を鶴田に先に知られている。折る側も折られる側も、自分のいちばん奥を、自分では見られない。同じ制度の中で、同じ目に遭っていた。折る側だけが安全な場所にいるわけではなかった。
三年間、俺は折る側だと思っていた。数字を持つ対象者を、数字のない自分が折る。安全な側にいるつもりだった。けれど、本当は逆だったのかもしれない。対象者には、少なくともスコアがある。自分の数字を、自分で見られる。俺には、それすらない。ERRORの一語に蓋をされて、その下を、自分では開けない。いちばん数字を持っていないのは、折る側の、俺だった。
次話「いつも通りの訪問が、いつも通りではなかった」




